3話目 《新しい土》
ふたりは別々にウマを走らせながら混沌の森をめざした。なにしろ不慣れな、険しい道だ。自分の屋敷と王城との間を行き来するのとはわけがちがう。ときどき馬を休ませ、足を止めては方角を確かめながら進んだ。そうして、ようやく森にたどりついたのは、城を出て二夜目のことだった。
クローバーが生えるまで、あと五日。一刻の猶予も残されてはいない。どうにかして、この広い森から魔法のクローバーを探し出さなくては。
森は、ふたりが思っていた以上に深かった。頭上は
とはいえ、なにしろほとんど休まずに森へとやってきたせいで、ふたりともくたくたに疲れていた。とにかく、まずは休まなくては。ふたりは適当に横になれる場所を見つけると馬を木につなぎ、ごろりと横になった。
あたりは、街とはまるで別世界のように静まり返っていた。眠りに落ちたふたりの騎士を、闇の向こうから森の生き物たちの目が見つめていた。
ノットは翌朝早くに目を覚ますと、体についた朝露をはらいながら立ち上がった。さて、今日からクローバーを探さなくては。だが、いったいどうすればいいだろう?
「いくら魔法のクローバーとはいえ、クローバーというからには地面から生えるに決まっている。となると、地面にくわしい者に尋ねるのがよいだろう」ノットはあごに指をあて、じっと考えた。
「そうだ。大地の王子ノームならば、なにか知っているにちがいない。なにしろ、大地のことならなにもかも知り尽くしていると言われているのだから」
ノットは馬にまたがると、ノームを探して森じゅうを歩きはじめた。だが、どこを見わたしても同じような景色の広がる森のなかでは、見ず知らずのノームを見つけることなど不可能と言ってもよかった。ノットは行く先々で森の生き物たちにノームの居所を尋ねまわった。すると、意外にも簡単に居場所をつきとめることができた。
「これは幸先がいいぞ。もう、魔法のクローバーはもらったようなものだ」
ノットはほくそ笑みながら、ノームの
ノームは、ノットが聞いたとおりの場所にいた。深い穴ぐらのような家から森へ出てきて、なにかをしているところだった。
「なんの用かな?」ノームは、ノットの姿を見つけると言った。「森の生き物どもが、お前がわたしを探しまわっていると噂しておるぞ」
「そのとおり」ノットは馬を下りながら答えた。
「実は、今日から五日目の朝にこの森のどこかに魔力を持った四つ葉のクローバーが生えると聞いてきたのだ。クローバーといえば地面から生えるに決まっている。大地の王子であるお前ならば、どこから生えるか知っているだろう。さぁ、どこに生えるのか教えてくれ」
「ふむ、、、、、、」と、ノームは考えこむように言った。
「確かに、魔法のクローバーのことなら聞き及んでおる。その力についてもな。だが、この森には生えぬ。この森にそんなものが生えるだなんて、ありえないことだ。誰にそんなでまかせを聞いたのか知らぬが、お前はだまされたのだよ」
「なに?それは本当か?」ノットは信じられない様子でノームに詰め寄った。
「もしや、白いマントを着た騎士に、もう教えてしまったのではあるまいな!」
「白いマントの騎士など知らぬ!」ノームも負けじと大声で怒鳴り返した。「さっきも言ったが、この森にクローバーなど生えぬ!一本たりとも、絶対に生えないのだ。さぁ、これで満足か?満足したなら、とっとと帰るがよいこの森に住んで百五十年、そんな話、聞いたこともない」
これ以上、なにを聞いても無駄だ。彼は
「いや、俺がまちがっているはずがない」
馬の背に揺られながら、ノットは何度も自分に言い聞かせた。すると、心細さがしだいに薄らいでいくように思えた。きっと、ノームがまちがっているのだ。これだけ広い森だ。どこかに魔法のクローバーのことを知っている者がいるにちがいない。
ノットは翌日まで待ち、また誰かを探しにいくことに決めた。
さて、一方のシドも、同じく森の生き物たちに聞いたノームの住処へと馬を進めているところだった。数万年を経てきた固い森の土を馬が踏みしめるたびに、薄暗い森に乾いたひづめの音が弱く響いた。
ノームは、何者かが近づいてくるのに気づくと、音のするほうへと目をこらした。やがて、白いマントを着た騎士がやってくるのが見えた。先ほどの騎士が言っていた白いマントの騎士とはもしやこの男か、と思っているうちに、騎士は馬を下りて彼に近づいてきた。
「あなた様は、この森にお住みの大地の王子、ノーム殿ではありますまいか?」白いマントの騎士シドは、うやうやしく尋ねた。
「まさしくそのとおり。なにか知りたいことでもあるのか?」ノームは、注意深くシドの顔をのぞきこむようにしながら聞いた。
「はい。実は、今日から五日目の朝、この森のどこかに魔法のクローバーが生えると、、、、、、」
「また魔法のクローバーか!」ノームはシドの言葉をさえぎるように大声で言った。
「さっきもほかの騎士に教えてやったばかりだが、この森に魔法のクローバーなど絶対に生えやしない。誰に聞いたか知らぬが、おそらくその
シドは、黙ったまま考えこんだ。ノームの表情は嘘を言っているようには見えなかった。だが、それではマーリンが言っていることと矛盾してしまう。しかし、マーリンもノームも、シドをだましたところでなんの得もないのだ。「この矛盾を解くことこそがカギにちがいない」シドは直感した。
「どうか、お気をおしずめくださいませ」シドは静かに、ていねいに言った。「それは、この森にはどこにも生えないということでしょうか?」
「そのとおり!」ノームは、まだ怒りをおさえきれない様子で言った。
「絶対に、どこにもだ!」
そう言い放つと、ノームは自分の住処へ引き返そうと、くるりと背を向けた。
「お待ちください。あとひとつだけお教えいただきたいことがあります」シドはあわてながらも慎重に続けた。
「なぜクローバーが生えないのかを、知りたいのです」
ノームはもうドアの隙間へと消えようとしていたが、足を止めると振り向いた。
「それは土のせいだ。この森が生まれてからというもの、誰も土を入れ替えたことがない。そんな古く乾いた土では、魔法のクローバーは生えないのだ。魔法のクローバーは、ほかの草や、ただのクローバーとはちがうのだよ」
「それならば、大地の王子ノームよ」シドは胸のなかで、絡まった糸がほどけはじめた。
「もしもこの森に魔法のクローバーを生やそうと思うならば、土を入れ替えなくてはならないのですね?」
「そのとおり」ノームは深くうなずいた。どうやら、怒りもしずまってきたらしい。
「なにか新しいものを手にするには、新しいことを自らしなくてはならぬ。土のせいで育たぬのだから、土を替えることだ」
「どこでならば、新しい土を見つけることができますか?」
「ここから数マイルほど行ったところにカウルズたちの国がある」ノームは、遠くを指さしながら言った。
「そこに行けば、いい土が手に入る。カウルズというのは十二本の脚を持った小さな牛でな。その糞がいい肥やしになっているのだ。あの土ならば問題あるまい」
シドは深々と頭を下げて礼を言い、ノームの住処のドアが閉まるのを見届けると馬にまたがり、カウルズたちの国へと向かった。
「とにかく自分は一歩前進したのだ」という思いに、頬がゆるんだ。
カウルズたちの国に着いたのは、もう夕方になってからだった。ノームの言っていたとおり、そこには豊かな土の香りが立ちこめていた。
「土の香りとは、こんなにも豊かなものなのか」シドは驚かずにはいられなかった。
生まれて初めて土を知ったような気持ちだった。シドは馬の鞍にくくりつけていた袋に土を詰めこんだ。柔らかくひんやりとした土の感触は、いかにも栄養がありそうだった。早く森へ帰ってその土を敷きたいと思わずにはいられなかった。
森に帰ったシドは、できるだけ静かな、開けた場所を選んだ。地面から草を抜き、根をかきだして、裸の地面をむきだしにした。彼が持ってきた土とはまったくちがう、いかにも古そうな土が顔をのぞかせた。シドは汗だくになってその固い土を掘り返すと、持ち帰ってきたばかりの土をそこに敷き詰めた。木々や草と、新しい土の香り。シドは深々とそれを吸いこんだ。これまでかいだことのないその爽やかな香りをかいでいると、見たことのない魔法のクローバーがそこから芽を出すように思えてきた。
一日じゅう動きまわってくたくたに疲れていたシドは、その場所のすぐとなりに横になり、自分が敷いたばかりの土をじっと見つめた。ほんの小さな場所だった。この森のどこかに魔法のクローバーが生えるとはいえ、こんな狭い場所に生えるような偶然は起こらないのではないだろうか。
「だが、とにかくノームの言う理由はこれでなくなったのだ」
明日の朝を待ち、またほかの理由を探しにいけばいい。なぜだか分からなかったが、シドの胸には確信が芽生えていた。
シドは、新しい地面にクローバーが芽を生やすところを想い描きながら眠りについた。そうしていると、「魔法のクローバーはここには生えないのではないか」という不安は自然と薄らいでいくのだった。
夜になり、森は静まり返った。あと四日である。
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