グッドラック
小さな神様
1話目 セントラルパークでの再開
よく晴れた、ある春の日の午後。六十四歳になる初老の男、フォンは、セントラルパークのお気に入りのベンチに腰掛けていた。カジュアルながらもどこか上品な身なりをして、木々を優しく揺らす風の中、行き交うカップルや走り回る子供たちを眺めていた。そうやって気持ちを静かにして草の上に素足を投げ出していると、これまで必死に働いてきた日々が遠い昔のことのように感じられた。何もかもが過ぎ去り、自分はいま満ち足りた気分でのんびり青空の下に座っている。これほどの幸福があるだろうか。フォンは深々と息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
その時だった。フォンの隣に一人の男が腰を下ろした。
見ると、どうやらフォンと同年輩のようだ。彼は男が座りやすいように横にずれながら、そっと男の顔を盗み見た。
「どこかで見たことのある顔だ、、、」
男の青い目を見ていると、なぜか遠い昔にあったことがあるような気がしてならなかった。
男の方も、フォンの顔をじっと見つめていた。なにかが胸につっかえているように目を細めながら。やがて、男は口を開いた。
「もしかして、フォンかい、、、?」
その言葉に、フォンの頭に懐かしい名前が浮かんだ。
「ジン!?」
「やっぱり!そうだと思ったんだ!」ジンが叫んだ。
「まさか、こんなことがあるなんて!」フォンも、思わず大声を出していた。
二人は笑いながら立ち上がると、相手を確かめるように、しっかりと握手を交わした。
フォンとジンは、少年時代の親友だった。ニューヨークのブルックリンに住み、家族ぐるみの付き合いをしていたのだ。しかし、十歳の頃ジンたちが黙って引っ越してしまってからというもの、すっかり音信が途絶えていた。それがまさか、こんなところで会えるとは。二人にとってそれは、驚くべき幸運だった。
「それで君は、あれからどうしていたんだい?」
ひととおり昔話に花を咲かせた後、ジンが言った。
「私は、あの後すぐに働き始めたんだ」フォンが答えた。
「知ってのとおり、うちは貧乏だったからね。学校になんて行かせてもらえなかった。最初に洗車の仕事をやって、次はホテルのベルボーイ。あとは知り合いに紹介してもらいながら、高級ホテルのドアマンの仕事なんかを転々としていったんだ」
「そうか。それは大変だったね」ジンが感慨深げにうなずいた。
「いや、そうでもなかったんだよ」フォンはいたずらっぽい笑顔を浮かべた。まるで十歳の少年に戻ったかのように。
「二十歳で経営者側に回ってからは、どんどん上手く行くようになったんだ」
「へぇ」ジンは興味深そうに身を乗り出した。
「いったいどんな仕事をしたんだい?」
「カバン作りだよ」フォンは答えた。
「貯金を全部はたいた上にローンを組んで、小さな工場を一つ買ったんだ。工場と言っても、家と作業場がくっついた粗末なものだったんだけどね。それでも、どんなカバンを作ればいいのかはよく分かっていたから、それほど不安じゃなかった」
「というと?」
「レストランやホテルで仕事をしている間に、金持ちがどんなカバンを持ちたがるのか、嫌というほど見てきたからね。それと同じようなものを作ればよかったのさ」
「そんなもんなのかい?」ジンはいぶかしげにフォンを見た。
「その証拠に、一年目はそこそこの成績を上げることができた。私はそのお金で全国を旅しながら、人のカバンを調べて回ることにしたんだよ。カバンを持っている人を捕まえては、しつこく話しかけたもんだ」
フォンは本当に楽しそうに昔の事を振り返った。その様子を見ていると、ジンは自分まで楽しくなっている様な感じがした。
「そこからは、全て順調だった」フォンは、旧友に自分の過去を打ち明ける楽しみにすっかり熱中していた。
「なるほど、、、」ジンは、複雑な表情を浮かべた。
「君の方はどうだったんだい?」
「いや、ひどいもんだよ」ジンはしばらく押し黙った後に、静かに首を振りながら答えた。
「ひどいって?」フォンは声の調子を落として身を乗り出した。
「実は引っ越したのは、祖父が他界して父が織物工場を継いだからなんだ」ジンは遠くを見つめながら、噛みしめるように言った。
「黙ったまま引っ越したのは、なんとなくご近所には言いづらかったからなんだ。遺産が転がり込んだなんてね」
「そうだったのか」フォンも、ジンと同じほうへ、見るともなしに目を向けた。
「言い出しづらいほどの遺産だったのかい?」
「そうなんだよ」ジンは深くうなずいた。
「祖父の工場はとても調子が良くて、まさにひと財産だった。それを、父が更に大きくしたんだ。けど、父が他界してからというもの、僕たちはすっかり運に見放されてしまった」
「そうだったのか、、、」フォンは地面に視線を落とした。
「うちの商品は売れなくなってしまった。だからって、質が悪かったわけじゃないんだ。質だけじゃどうにもならない時代になってしまったんだよ。他の会社は、質よりも流行を追い求めていたのさ」
フォンはなんて声をかけていいのか分からなかった。ただ黙ってジンを見つめていた。だが、そうして見れば見るほど、やつれ果てた横顔にはどこか育ちの良さが残っている気がして、たまらなく切なくなった。
やがて、当時の絶望を思い出したかのようにうつむくと、力なく微笑みながら肩をすくめてみせた。
「僕も、君みたいに運さえあったらなぁ、、、」
「運?」フォンは、思わず聞き返していた。
「そう、運だよ」ジンは深くうなずいた。
「同じように会社を持っても、君には運が微笑み、僕には運が微笑まなかったということさ」
フォンは、じっと目をつぶって考え込んだ。怒っているわけではなかった。
「いや」ジンが、沈黙を恐れるように言った。
「怒らせようとしているわけじゃないんだ」
だが、フォンはそんなことを気にするふうでもなかった。
「いいかい、ジン。私の祖父はひとにぎりの遺産だって残してはくれなかった。でもその代わりに、運と幸運のちがいをおしえてくれた。君には、それがわかるかい?」
「運と幸運の違い?」ジンが怪訝そうに言った。「同じものだろう?」
「まぁ、聞いてくれよ」フォンが言った。「祖父がまだ生きてるとき、ある話を聞かせてくれたんだ。もしその話を聞いていなかったら、私はおそらく、最初の工場も買ってはいなかっただろう。私が上手くいったのは、全てその話のおかげなんだよ」
ジンが「そんな事あるはずがない」という顔をしているのを見て、フォンは更に熱っぽい声で続けた。
「私達はもう六十歳になってしまった。しかし、今からでも遅くはないだろう。どうだい?この話を聞いてみないか?」
ジンは複雑な気分だった。せっかく数十年ぶりに再会した友達との間に溝を感じるのも、哀れまれているような気がするのも、気持ちの良いものではなかった。
フォンは押し黙ったままのジンを見て言った。
「運と幸運は、全く別のものなんだ。運は確かにそうそう巡ってくるものじゃなし、巡ってきてもすぐに離れてしまう。でも、幸運は誰でも自分の手で作り出すことが出来るんだ。そして、手にした人に必ず幸せを運んでくれる。本当の幸せをね。だから、幸運と呼ばれているんだよ」
「本当?」ジンが身を乗り出した。「どうしてそんな事がわかるんだい?」
「その質問に答えるためにも、話をさせてくれないかい?」フォンの目は真剣そのものだった。
ジンは考えた。どうせ、過ぎてしまったことはもうどうにもならない。それに、フォンは本心からその話をしたいと思っているようだ。先程までの複雑な気分の隙間から、嬉しさが顔をのぞかせた。
「よし、聞いてみよう」ジンはうなずいた。
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