第42話 婚約破棄と疑心

 白姫に案内されるまま車に乗り込む。

 急回転したタイヤがアスファルトを高く鳴らすと、白姫家の黒塗り高級車はあっという間にトップスピードに乗った。


 朝のうちに制服に着替えておいて良かった。

 さもなくば、Tシャツ短パンで学校に連れて行かれるところだった。

 そういえば何か忘れてる気がする。

 もしやと思って振りかえってみると――遥か後方に、べそをかきながら車を必死で追いかけているちゅう子の姿があった。


 そんなちゅう子に、車中から笑顔で手を振る白姫。


 マジっすか? 流石にわざとじゃないよね? 透花の窮地に急いでるからだよね、白姫さん?     

 そして、スッと真面目な顔に戻った白姫が話を切り出した。


「透花さんを苦しめる呪縛についてですが……その前にティアさんは、透花さんが子供の頃、とても厳しい英才教育を受けていた事はご存知ですか?」


 まるでちゅう子のことは無かったかのように話し始める白姫。

 なんか怖かったので白姫にならって、俺も一旦ちゅう子のことは忘れることにした。南無なむ


「えっと、まぁ、透花のことは総一郎から大体聞かされてたら、昔のことも知ってるけど」

「でしたら話が早いですね。ならお聞きしますけど、最近の透花さん、昔と比べてどこかおかしいとは思いませんでしたか?」


 ……昔と違う、おかしいところ?


「セクハラとか、セクハラとか、セクハラとか?」

「え、いえ、セクハラとは別の……いえ、まぁそれも無関係ではないんですけれど……えっとですね、今の透花さん……子供の頃ほどの英才教育を受けていない事に気付きませんでしたか?」

「……そうか、言われてみれば。小さな頃はあれだけ英才教育を受けていたのに、最近はそんな感じ全然なかったような……」


 あの頃の透花は、毎日毎日習い事漬けで、だから家から逃げ出したっていうのに……。

 そりゃ普通の家の子に比べれば、今だって十分な英才教育を受けているはずだ。

 けれど、小さかった頃の姿から考えると、かなり自由に日常生活を満喫しているように見えた。


「六歳の女の子が逃げ場を求めて家出するくらい過酷な家庭環境だったはずなのに……もしかして、何か、透花の生活を一変させるようなきっかけがあったのか?」

「ええ、その通りです。実はかつて透花さんには百合家が決めた婚約者が居たんです」

「は? な……婚約者って……!?」

 

 そんなの初耳だ。透花から全く聞かされたことがない。

 

「ええ、驚かれますよね。透花さんは綾崎君には秘密にしているようでしたから。ティアさんが知らないのも無理はありません」


 婚約者の話だけでも衝撃過ぎて、色々な疑問が頭を渦巻き、俺の思考を混沌に落とそうとする。

 だが、俺はその混沌を振り切って、冷静な思考を保つ。

 俺の知らない透花の話は、まだ始まったばかりなのだから。 


「で、その婚約者とやらと、透花の英才教育がどう繋がるって言うんだ?」

「ええ……実は透花さんの英才教育は、その婚約者の家柄に相応しい淑女になるために行われていたんです……」


 なるほどな、相手方もやんごとなき家柄ってことか。

 ったく、透花の家の大人がやりそうなことだな……。


「でも、今はその英才教育が無くなってるという事は?」

「ええ、その婚約話は、今は破談になっています」

「破談って……どうして?」

「当時まだ中学生だった清明会長が御両親に直談判したんですよ。透花さんに、そして百合家に相応しいのは綾崎総一郎という天才であると」

「まじか……」

「そして透花さんも、綾崎くんと結ばれることを望みました。一悶着はあったようですが、綾崎くんの驚異的な成長もあり、結果的に清明会長と透花さんの望みが通ることになったんです」


「そっか……清明先輩が……」


 ったく、あの人は本当に……。

 今では最大の敵となった、最大の恩人に俺は複雑な感情を抱く。

 清明先輩が、透花と総一郎の関係を応援してたのは知ってたけど、その裏で婚約破棄なんて大事までやってのけていたとは、全くもって恐れ入るわ。


「その結果、綾崎くんと結ばれるのであれば、透花さんへの教育も負担にならない程度で構わないということになり、透花さんは自由を得ることできたというわけです」


 透花さんの望みを叶えつつ、綾崎君も手に入れる――全て清明会長の計算だったのでしょうね、と白姫は付け足す。


「そうか。それで透花は総一郎と結婚するという条件で、見ず知らずの男との婚約を解消して自由を手に入れたってことか……」


 ──って、あれ? ちょっと待て。その話って何かおかしくないか?


「ええ、そうです。綾崎総一郎という天才を百合家に引き入れる代わりに、透花さんは百合家長女という重圧から解放される。それが透花さんとご両親の間で交わされた契約なんです。実質の計画発案者は兄である清明会長ですけどね」


 ――だから、待てよ。それじゃまるで、透花が……。


「ちょっと待ってくれ! だって……でも、それっておかしいだろ。透花は女しか好きになれないんだろ! なのに総一郎と結ばれることを望んだって……それじゃまるで透花が――」


「――〝自分の自由のために総一郎を利用した〟みたいじゃないか!?」


 婚約破棄のため、透花が自由に青春を送るために、透花は好きでもない俺を利用して。

 ずっと、ずっと、ずっと、俺は馬鹿みたいに、無駄な努力を続けてたってのか?


「違いますッ! 透花さんは、そんな人じゃありません!」

「じゃあ、透花は何で!?」

「透花さんも最初は綾崎くんと結ばれることに何の疑問も抱いていなかったんです。それが当然の未来なのだと……信じていたんです」


 ぽたりと、白姫の頬を一筋の涙が零れる。

 白姫の透花への想いが零れ溢れる。


「――透花さんが本当の恋を知ってしまった、あの日までは……」

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