第31話 悪女、激昂する。

「どの口が言っているのよ!」


 反射的に、私はこいつを突き飛ばす。

 だけど、こいつはなぜか、私を恍惚とした目で見下ろしてくるのみ。


「あぁ、やはりお前なんだな。ノーラ」


 たとえ現在『叡智王』なんて偉人として名を残していたとしても、八百年前の人物が生きているはずがない。


 だけど、こいつは『ノーラ』と呼んだ?

 そして『会いたかった』と宣った?


 反吐が出る。……目の前の国王陛下が、八百年前の私の婚約者・ヒエル=フォン=ノーウェンなのだとしたら――尚のこと反吐が出る。


「あなたは自分が何をしたのかわかっているの⁉ あなたは、私を――」

「あぁ、当時は本当に愚かなことをした。君の才能を妬み、都合がいいだけの女に現を抜かし……時を重ねるごとに、魔導を極めるほど、自分の愚かさを呪うばかりだった。どうか、君がここにいる奇跡に免じて、僕に謝罪のチャンスをいただけないだろうか。僕にはやっぱり、君しかいなかったんだ」


 ……意味がわからない。

 もう、八百年前の人物が生きていることは後回しだ。


 人を冤罪に追い込み、八百年をも封印してくれた張本人が、何を言う?

 やっぱり、君しかいなかったんだ?


 私がどれだけ悲しかったか知っているのか。私がどれだけ惨めだったと知っているのか。私がどれだけ悔しかったと知っているのか。私がどれだけ絶望したか知っているのか。


 寝言は寝て言え。というか、死んでくれ。私もどうせ、すぐに死ぬから。


 なぜ、八百年も経ったあとに……そんな戯言を聞かされなければならないのか。

 あまりに悔しくて、言葉すら出てこない。代わりの涙なんか要らないのに。


 それなのに昔の面影を残すヒエル殿下が、片膝どころではない、両ひざをついて、私の両手を掴んでくる。


「すまなかった。本当に、僕は取り返しのつかないことをした。どうか、その償いを……今まで以上の時をかけて、償わせてほしい。そしてどうか、僕の伴侶となってほしい。この世の全てを君に捧げるから」

「そんなもの、何も要らないわよ……」


 とっくに風化したはずの想いがこみ上げてくる。

 孤児だった私が欲しかったのは、本当の家族だった。

 能力の高さゆえに孤独だった私が欲しかったのは、ただの友人だった。


 たとえ政略結婚だったとしても……王族とて、魔導の道を共に歩んだ彼だったから、立場が変わろうとも、時に喧嘩して、時に笑って、そんな道を共に歩めればと、そんな淡い期待を持っていた頃を思い出してしまう。


 だからといって、妄執にとらわれるほど愚かなつもりはない。

 私は彼の手を思いっきり振り払う。


「もう二度と、私の前に現れないで」


 そして昔の男の顔を見ることなく、私は踵を返した。


 どうして八百年前の男が現在を生きている?

 いや、面影はあれど、まったくの同一人物ではなかった。だったら彼がこの世に意識を残している理由は、まさか私と同じ……?


 私が顔を上げると、アイヴィン=ダールがそこにいた。心配してくれているのが、顔でわかる。珍しく何も声をかけてこないのは……そりゃそうだよね。こんな八百年越しの修羅場を見せつけられたとて、何も言えないよね。だって彼は、正真正銘の十八歳だもの。そんな人生経験を積んでいるほうが怖いくらいだ。


 だから、私の方から彼に向かって笑いかける。


「見苦しいものを見せたかな」

「……そんなことない。カッコよかったよ」

「それはどうかな?」


 私が重たい瞼を隠した直後。


「なんだ、ノーラはその男が好きなのか?」


 背後から聴こえる男の声に、私は舌打ちを隠さない。

 それなのに、哄笑にも似た耳障りな笑い声が聴こえるから、思わず振り返ってしまえば。

 そいつはなぜか得意げに笑っていた。


「その身体が好きなら、安心するといい。もうすぐ僕のものになる!」

「ふざけたこと抜かすなっ!」


 叫ぶと同時に、私は魔力を放っていた。ろくに編んでいない魔法に秩序はない。だけど周囲の窓ガラスを割り進む衝撃に、ヒエル殿下が安堵したように微笑む。


「もう少しだけ待っていてくれ。すぐ、その身体を我が物に――」


 そして衝撃波が直撃する前に、そいつは消えた。転移したのだろう。「くそっ」と毒づくと同時に足の力が入らなくなる。あぁ、しまった。とっさにシシリーの魔力を使っちゃった……ごめんね。ごめんね、シシリー。


 だけど倒れる寸で支えてくれたのは、アイヴィンで。

 彼はか細い声で言ってくる。


「ずっと黙っていてごめん。俺の身体ね、国王の次の器として狙われてんの。国王は八百年間、嫡子にどんどん憑依していて……だけどそれが仇となって、王族の短命化が続いているんだ。だから、今度は血族外で試すんだって。それが俺なんだって。ふざけているよね」


 たしかにふざけている。とくにもかくにも、全てがふざけている。

 だけど、それにはアイヴィンも含まれてしまっているのではないかな。


「なら、どうして王立魔導研究所に……?」

「それでも、俺は最先端の場所で研究がしたいから」


 それは、誰かを生き返らせるという研究の……?

 それを追求しようとした時だ。


「ちょっと、あなたたちはいつまで油を売ってますの⁉」


 ズンズンと近づいてくるのは、私の大好きなアニータである。

 やっぱり怒っているのは、もはや愛嬌。そのいつも通りの彼女は「なんでこんなにボロボロですの⁉」と割れた窓ガラスに驚きながらも、やっぱりズンズンと近づいてくる。


「アニータ、どうした――」


 私が最後まで尋ねる前に、アニータは大真面目な顔で言い放った。


「どうしたもこうしたも、これから後夜祭のパーティーですわよっ!」

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