第2話 オクタヴィアンと娘のヨアナ、その乳母のローラと妻のエリザベタ

 この日、一四七六年十一月二十六日、ヴラドは新たに公になるべく公宮入りし、公室評議会で新たに三度目の公(国王)に任命される事になっていた。


 前公のバサラブ三世とは、敵国にして何度もこのワラキア公国に侵略してきているイスラム教国家、オスマントルコに対抗すべく、キリスト教国家のハンガリーとモルダヴィアという隣国二国から推されて当時、公を務めていたオスマントルコの手先でヴラドの弟、ラドゥを追い出して公になった男。


 しかし、オスマントルコにしっかり寝返ってしまった。


 困ったキリスト教二国の反感を当然買い、二国は十二年間無実の罪で幽閉されていたヴラドを担ぎ出してバサラブを撤退させて、また公にしたというややこしい事情がある。

 

 そんなややこしい国の大事な行事を行う評議員の一員なのに、地主貴族のオロロック・オクタヴィアン(ワラキアでは性が前、名が後)はそんな事より、自分の髪の毛の抜け具合の方がよっぽど気になってしょうがない。


 そもそもオクタヴィアンは評議員と言っても、三ヶ月前に謎の病死をした父、コンスタンティンの代わりにいきなり後を継いだところ。


 あくまで父の代理に過ぎない。


 それに本来の父の仕事もまともに出来ていないのに(これもイヤイヤやっている)、こういった国政に関わる重大な仕事になど出たいハズがないのであった。


 そんな訳でオクタヴィアンはだだっ広い屋敷の中の、大好きな愛娘のヨアナの狭い部屋の窓際にある子供には大きすぎる鏡台の前で、朝から寝巻きのままでここに来てゴネていたのだった。


「そろそろ出かけないと、議会に遅刻してしまいませんか?」


「パパ~。大丈夫~?」


 乳母のローラと愛娘のヨアナが鏡台の窓を挟んで横にある机に座って心配そうに見つめている。


 愛娘のヨアナは今年まだ五歳という幼さだが、すでに美人の母親の血を受け継いでいるようで、顔がかなり整っており、ブロンドの美しい髪を胸ぐらいまで伸ばしていた。


 そしてまだ五歳だが、すでに語学の勉強も始めており、それを乳母のローラが見ているのである。


 その乳母のローラは、ジプシー出身、インド系のかなりな美人で、もう二十年以上、子供の頃からこの屋敷に住み込みで働いている。

 オクタヴィアンよりも年は一つ上だが、元々一歩引く大人しい性格で背丈もそこまで大きくもないせいなのか、幼く見える。


 そしてオクタヴィアンとは幼馴染の関係でもあってか、屋敷内で数少ない友達のように話せる間柄でもあった。


「い、いや、どう思う? この髪型? イケてると思う? ローラ! 正直に答えてくれ!」


 振り返って質問をしてきたオクタヴィアンのその頭は、長く数の少なく細い前髪を一生懸命まとめて九一分けにして横に流している。

 しかし当然分けている部分の肌は丸見えで、髪のかかっている部分も毛量が少ない上に、赤ちゃんのような生毛がフワフワとそこらかしこに浮かんでおり、その下の肌色がしっかりと目に入る困った髪型だった。


 それをまじまじと見てしまったローラは、目をそらしてダンマリを決め込んだ。


 しかしヨアナは違う。


「パパ、ハゲてる」


 そのドストレートな愛娘の言葉にオクタヴィアンは鏡台の前に腰から崩れ落ちた。


「ぐぐ~……」


 両手を床について嘆くオクタヴィアンの元にヨアナは寄っていくと、ポンと手を肩に乗せた。


「でもパパはカッコいいんだから、こうしちゃえばいいんだよ」


 そう言うとヨアナはおもむろに髪の毛をすべて後ろに持っていった。


 何回もゴシゴシと髪を流すので、オクタヴィアンは大事な髪の毛が抜けてしまう~っっと心中穏やかではなかった。


 ローラも同じく心中穏やかではない。


 何せヨアナの指に何本もオクタヴィアンの髪の毛が絡んで抜けているのだ。


 ローラはとても見ていられなくなり、顔を下に向けた。


 オクタヴィアンはだんだん涙目になってきたが、ヨアナは全くそこには気がつかず、髪の毛をすべて後ろに流すと、最後に髪の毛を手でペタペタと頭に叩きつけた。


 そして一歩下がるとじっくりオクタヴィアンの頭を見つめた。

 そして納得をすると笑顔になった。


 ちなみにオクタヴィアンは不安でいっぱいである。


「パパ。できた♪ カッコいいよ♪」


 笑顔いっぱいでヨアナが答えると、オクタヴィアンはすぐに立ち上がって鏡を見た。

 そこにはオールバックになったオクタヴィアンがいた。


「おお~……」


 正直さっきの髪型より見栄えがいい。

 オクタヴィアンは驚いて感動した。


「ヨアナ! ありがとう! ヨアナは天才だ! さすがボクの娘!」


 オクタヴィアンはヨアナを抱きしめると天井高く掲げた。

 ヨアナは嬉しそうに笑っている。

 ローラはそんな光景を見て、とりあえずホッとした。


 そんな時だった。


「あなた、いつまでこんな所で遊んでいるんです? 早く支度してください。時期に議会が始まります」


 その言葉を聞いた瞬間に、部屋はまるで氷でも押し寄せたかのような冷たさに変わった。

 オクタヴィアンの妻、エリザベタである。エリザベタは評議会の後に行われるパーティーに出席する為のドレスをまとっていた。


 しかし顔は氷のように冷たい。


 その氷のような冷たさは自分の娘のヨアナにもしっかり伝わっており、ヨアナは母を恐れていた。


「ヨアナ、お父さんの事なんか気にしないでサッサと朝ごはんを食べに食堂へ行きなさい。ローラ、ヨアナをよろしく頼みますよ」


「はい」


 ローラはエリザベタに頭を下げると、ヨアナを部屋から連れ出した。


「オクタヴィアン。その痛々しい髪の毛、サッサと切ってください。みっともない。さ、早く支度してくださいな。私は馬車に先に乗っています」


 エリザベタはそれだけ言うと、ヨアナの部屋から出ていった。


 ヨアナの部屋に、一人残されたオクタヴィアンは、なんだか虚しい気持ちになりながら自分の部屋に戻った。


 そして服を着替えると、ヨアナがセットしてくれたようにオールバックに髪をあらためて直そうとした。その時、両手がまた痺れた。


 最近ちょくちょく痺れるんだよなあ……父上と同じ病気じゃないといいけど……


 そんな事を思いながら、あらためて形が乱れないように卵白で髪の毛を固定した(現在のポマードの代わりだそうです)。


「よし!」


 オクタヴィアンは鏡の自分に向かって気合を入れると、急いで部屋を出て食堂へ向かい、ヨアナとローラの前まで行った。


 ヨアナはそれまで捨てられた子猫のように寂しい顔を見せていたが、オクタヴィアンの顔を見た途端、また目を輝かせた。


 そんなヨアナを真横で心配していたローラも、オクタヴィアンの登場につい笑ってしまった。


「どうだ! ヨアナ、ローラ!」


 オクタヴィアンはそのセットした髪を二人に見せびらかして、その場でクルッと一回転した。


 ヨアナは大喜び。


「うん! カッコいい!」


 その言葉を聞いて安心したオクタヴィアンは、


「じゃあ行ってくるよ♪ ローラ、ヨアナを頼むね」


 そう二人に言い、慌ててエリザベタの待っている馬車まで走った。

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