第21話 辛うじての帰宅

 気付けば夜中になり、碧は徐々に痛みを増す体を引きずりながら歩いていた。住宅地に入り、街灯が点在する。しかし既に人通りもなく、碧はその点には感謝した。

 自転車は元の形を失い、置いて来るしかなかった。通学鞄がやけに重く、夜切を杖代わりにして、なんとか前進を続ける。


「はっ……はっ……」


 全身が強く痛み、気を抜けば気絶してしまうだろう。碧は全力でぼやける視界に抗い、ようやく見えて来たわが家の明かりに安堵した。その直後、視界が暗転する。


「……くん、碧くん!」

(秘翠……?)


 家から飛び出してきた秘翠が倒れ込んだ碧を支える、そんな夢を見た気がした。


「碧くん、碧くん!」


 大粒の涙を流しながら、秘翠が目を閉じた碧に呼び掛ける。しかし碧はぴくりとも動かず、秘翠の気持ちは逸る。

 どうしたら良いのかとおろおろする秘翠の肩を、後から走って来た未来が叩いた。


「秘翠さん、突然出て行くからびっくりし……兄さん!?」


 未来は秘翠に寄りかかるようにして気を失っている碧を見付け、瞠目した。そんな未来に、秘翠は混乱したままで言い募る。


「未来ちゃん、どうしよう! このままじゃ、碧くんが……」

「お、落ち着いて! まずは、家に運ばなきゃ」


 落ち着けと言いつつも、未来も慌ててうまく兄を支えられない。そうこうしているうちに、異変に気付いた雄青がひょっこり顔を出した。


「どうした、二人と……碧」

「雄青さんっ、碧くんが!」

「兄さんがぁっ」

「落ち着きなさい、二人共。僕が背負うから、大丈夫」


 大泣きする秘翠と涙を溜める未来に見詰められ、雄青は苦笑を浮かべて息子をおんぶした。腕も足もだらりと力なく下がっているが、心臓の鼓動は聞こえる。首に呼吸を感じ、雄青は息子の帰宅にほっと胸を撫で下ろした。


(全く、女の子を二人も泣かせるんじゃない)


 血と砂ぼこりでボロボロの碧を運びながら、雄青はそう思って呆れていた。




 日の光の眩しさを感じ、碧はうっすらと目を開ける。ぼんやりと白い天井を見ていた碧は、急速に走る体の痛みに悲鳴を上げた。


「ぐっ……」

「碧くん? 大丈夫……?」

「秘翠? 何で、俺の部屋に……痛っ」


 碧は思いがけない人物が部屋にいたことに驚き、思わず体を起こそうとする。しかし傷の痛みがそれを遮り、秘翠にも止められてしまう。


「起き上がらなくて良いよ。昨日の夜、傷だらけで戻って来て、雄青さんが消毒したり包帯巻いたりしてくれたの、覚えてない?」

「……全く」


 枕に頭を置き、碧は左の手の甲を額に乗せた。確かに手や腕、足に腹等至る所に包帯が巻かれ、消毒薬のにおいがしている。自室のベッドに寝た記憶はないが、秘翠の説明によれば雄青が運んでくれたらしい。

 はあ、とため息をつき、碧は昨夜の戦いを思い出す。そしてようやく、右手が握っているものの存在に気付いた。


「太刀……。よかった、失くしたかと思った」


 青い光を放っていないただの太刀に見える夜切。太刀を持ち上げ、碧は痛みを堪えながら苦笑した。安堵する碧に対し、秘翠は太刀を指差し微笑む。


「それ、ずっと手放さなかったんだよ。雄青さん、傷を洗うのにも苦労してた」

「まじか。……父さんは? 今日は平日……学校!」

「まだ起きちゃダメ! 学校には和佐さんが連絡してる。今日はお休みして」

「……すまない」


 慌てた碧を引き留める秘翠の声は、少し揺れた。そこに籠められた気持ちを感じ取り、碧は素直にベッドに横になる。

 もう勝手なことはしないと踏み、秘翠は和佐と共に作っておいた雑炊を近くのテーブルから引き寄せる。まだ温かなそれが盛られた器と匙を手に取り、匙ですくった雑炊を碧の口元に運んだ。


「ほら、食べて」

「え? あ、ちょっと待て。起き上がれば自分で食えるか、ら……」

「和佐さんと一緒に作ったの。未来ちゃんも出掛ける間際まで手伝ってくれたし、ね、食べて元気になって」

「いや、だから……んぐ」


 仄かに温かい雑炊が碧の口の中に入れられ、反論を封じられる。顔を赤らめながらも咀嚼した碧は、ぶっきらぼうに「うまい」と呟いた。


「よかった」

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