僕は自分の夢より君を選んだ。
土蛇 尚
僕 A side
僕は君のために小説を辞めた。
小説家を辞めたと言えないのは、僕が一冊しか本を出せてないから。人によって肩書きの定義なんてそれぞれだろうし、一冊出せたなら小説家だと言う人もいると思う。でも僕は小説家と言える人は、何冊か本を出して生計を立てるに至った人だと思う。
一冊しか出せてない僕は『本を出したことのあるただの人』だ。
小説家と名乗ることは自分のプライドが許さない。
君は2年、僕のわがままを聞いてくれた。2年、本を出したことのあるただの人の僕を待ってくれた。色々な考え方があるけれど、27歳から29歳までの時間って男性と女性で違う。
それでも君は、僕を選んでくれた。
「机と椅子は決まったね。次本棚見に行こう」
今日は新居のために二人で家具屋さんに来ている。小説を書く時間の為に週4でしか働いてなかった生活をやめて二馬力で働くようになった。
それでお金も貯まってきたし引っ越すことにした。あの狭いアパートにも思い入れはあったけど、そう言う時期だったと思う。それにあんな生活を君にいつまでもさせる訳にはいかない。僕にはその責任がある。
「本棚いっぱいあるね」
君がそう言う。見たものを見たまま、真っ直ぐに言葉にする君のそんなところ僕は好きで愛してる。
僕はそんな風に見ることが出来なくて、前の職場の事を思い出してしまう。図書館に勤めていた頃はずっと書庫にいた。視界の全てが本棚の空間が、僕は好きだった。
墓標のように並ぶ本棚。墓碑に刻まれた名の如く並ぶ一冊一冊の本達。図書館は本の墓場みたいな場所だ。誰からも借りられなくなったら、眠り続けるしかない。
でも、もしかしたら図書館に在りさえすれば、誰かに読んでもらえるかもしれない。
たくさんの本棚を見ていく。
本棚にはカバーのかけられた大きさの違う本達が置かれてる。買った時にイメージしやすいようにとの店の配慮だと思う。さっきまで見ていた机にもダミーの食器が置かれた。
僕はダミーの本を一冊手に取る。何でその一冊が目についたのか分からない。
分からないなんて嘘だ。
その本の大きさが、僕が一冊だけ出した本と同じだったからだ。世の中には文庫本が吐いて棄てるほどあるけれど、自分で書いて出す経験をしてしまったら同じようにはもう見えない。
本能に近い部分が辞めておけと警告を鳴らしているのに、僕はその本につけられたカバーを外す。
そばにいた君が僕の様子を見て気がつく。その本を持った僕の腕を掴む。その力は優しいものだけど、僕の心を掴む。
「ダメだよ」
その本は僕が書いたものだった。本当はカバーを外す前から分かってた。うっすら透けたタイトルと表紙は忘れようがない。僕が人生で一冊だけ出した本。何でこんな残酷な偶然が起こるのだろう。
家具屋さんは客に配慮してダミーを置いてくれるなら、自分の本がダミーとして使われてるのを見つけた時の作者の気持ちにも配慮してほしい。そんな馬鹿みたいなことを考える。
君がもう一回同じことを言葉を繰り返す。
「ダメだよ」
分かってる。選ぶよ。僕は君と一緒に家具を選ぶ人生を選ぶ。君は僕を選んでくれたから。
家で図書館の所蔵を検索したら、図書館に僕の本はなかった。
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