第20話 二年生、マリエラの受難はなくならない(5)


 雨弾き草木伸び出ず四ノ月。二年生の前期日程も折り返し、そろそろ試験のことも考えつつ復習していくのがマリエラである。同室のソフィーも同じように考えているらしい。


「マリエラ様ぁ……全然分からない『魔法構築基礎』を……教えてくださいませんかぁ」


 魔法構築基礎というのは、魔法を行使するということの論理的な解析学である。魔法の土台部分でもあり、数学的要素も強い。魔法式の作り方、組み立て、どのような作用を帯びていくか……など、理解すれば強い味方になる知識である。

 感覚でやるのに長けているソフィーは苦手かもしれない。


「いいわよ。放課後、図書館に行きましょう」

「あの! お、おれもいいですか!」

 ダニエルが右手を挙手して会話に混じってきた。恥ずかしいのかやや顔を赤らめ、必死な様子もみてとれる。


「いいですよ。ダニエルさんも苦手なのですか?」

「おれ、実践になると体が高揚して、ノリとかそういうのでガンガンやれるんですけど、座学になると分からなくなるんですよね。きちんとした魔法の勉強なんてアカデミー来るまでしてなかったし」

「きちんと勉強しなくて、十三歳のあのとき御前試合まで勝ち抜いて、しかもあの激闘ですか? 凄まじいですね」

 見ていたんですか恥ずかしいな、と赤毛をかくダニエルは感覚派の天才なのだろう。




 放課後、三人で図書館に向かった。自習スペースにもなっている二階西側の机を借り、ソフィーとダニエルが横並びに、マリエラが彼らの正面に座る。分からないところを丁寧に教えつつ、この二人はよく似ているなと思った。二人揃うと空気がホワホワするのだ。


「あのーマリエラ様。詠唱や魔法陣なしで魔法を使う場合ってあるじゃないっすか。あれって何がどう変わるんですか? おれ、いつも思いつきというか適当にやっちゃうから、忘れるというか、感覚としては残るけどうまく覚えられないというか」

「それはそれですごいんですけど。そうですね、詠唱している魔法は積み木を積み上げたものだとしましょう。詠唱なしに思いつきで使った魔法は、カードを積み上げたトランプタワーみたいなものかしら。魔力はいるし、簡単に崩れてしまう脆さがあって難しい、感覚は残るけど記憶できない。……どうかしら、伝わる?」

「なんとなく」

「魔法構築を深く理解し、鍛錬を重ねた結果、詠唱なしで積み木を積み上げることもできる。喰う魔力は多いけどね」


 ソフィーとダニエルが二人して「ほー」と気の抜けた返事をした。彼らが魔法構築をきちんと理解し知識として扱うことができたあかつきには爆発的に伸びるだろう。それこそヴァンの背中が見えるところまで。

 魔法の構築は、1+1は2に、2×2は4に、3の二乗は9になる。そこに魔法の属性の組み合わせや、化学反応的要素も加わり、可能性がどんどん広がっていく。土台になる知識量は上を目指せば目指すほど大切なのである。


「思っていたより座学が大事なんだなって分かりました。おれ、今まで莫迦だったんすかね」

「ダニエルさんの場合、なまじ感覚でやれちゃうからここまできたんじゃありませんか? ここで基礎をしっかり作れれば、さらに飛躍すると思います」

 ソフィーが「これ以上強くなるんですかダニエルさん」とおののいている。その可能性は彼女も同じである。

「実は最近伸び悩んでて……ありがとうございますマリエラ様」

 いつもはクラスのムードメーカーであり、溌剌としているダニエルが気弱に微笑した。しおらしい様は仔犬を思わせる。弟がいたらこんな感じだろうか。


「そうだ、マリエラ様にもう一つ聞きたいことがあったんです。《災厄》について――おれたちの地方では御伽噺みたいな扱いだったんだけど、アカデミーでは正史として扱っているし、特に貴族の人たちの認識もおれたちと違っているように感じて。マリエラ様はどう思ってるんですか?」

「あっ、それ私も気になってました」

「そうね。《災厄》は〝在るもの〟として認識しているわ。貴族のほとんどもそう思っている。小さい頃に親から教えられるのよ。だからアカデミーで学ぶ歴史のとおりね」


 魔法あるこの世界は、光と闇が隣り合い秩序が保たれている。《災厄》は数百年に一度巡ってくるもので、人間の誰かを乗っ取る存在である。闇の存在であるかのような《災厄》だが、本来は光でも闇でもない、判定者だ。取り憑かれた誰かを、周りの人間が追い払うことができれば安寧を、できなければ荒廃が降りかかる。《災厄》は判定者であるので消滅させることはできない。


「《災厄》が巡るとき、魔の力も活発になるそうよ。魔物や悪魔の力が強まるから……一年生のときに遭遇した、巨大化した毒妖花みたいなことも起こる。そういうことだと思う」

「あのオリエンテーリングのときの……。もしかしてマリエラ様は、《災厄》はもうすぐやってくるかもと考えているのですか?」

「ええ」


 マリエラは強く肯定した。数百年に一度やってくるものなので、本当のところ誰にも分からない。

だがマリエラたちが四年生になったとき、《災厄》は確実にくるのだ。

マリエラの気迫に押されてか、ソフィーとダニエルは深刻な顔をした。


「でもね、どこの誰がいつ《災厄》に乗っ取られるのかは分かりませんし、怖がるばかりじゃ何もできません。毎日楽しく、精一杯過ごすのが一番ですわ。さ、続きをしましょう」


 難しい話は終わって自習に戻り、二人は授業で出された課題に手をつけ始めた。マリエラはついでに本を借りていこうと思い、席を立つ。四階には小説や伝記がある。

 図書館の木製の階段には薄くて赤い絨毯が敷かれており、トットットッと上がった最上階の天井はドーム状になっている。そこには森の中から空を見上げているような、若々しい森林と青い空の絵が描かれていた。


 四階には魔法書の類はおいておらず、空間の半分はグループワークの小部屋に割かれている。使用されている部屋の一つのドアが半分開いたままになっており、男女の話し声が漏れている。目的書架まで近づくにつれて、会話の内容がはっきり聞こえてきた。


「やだぁヴァン様ったら、本当に口がお上手なんですから」

「俺は本当のことを言っただけだよ。君が美しいのなんて皆も知ってるでしょ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る