第6話 王立魔法学園生活、はじまる!(1)
王立魔法学園は王都にあり、裏手が森に面している。まるで城のような外観、複雑に建てられた内部構造、アラバスター色の壁、屋根は黒に近い青色のミッドナイトブルー。いくつもそびえ立つ尖塔の周りを極彩色の鳥や漆黒の鷲が飛び回っている。
王立魔法学園は通称『アカデミー』とも呼ばれ、ここに通う者は例外なく寮で暮らす。男女の棟は別々に建てられており、管理人が数人常駐してくれている。
マリエラにあてがわれたのは五階の角部屋である。コンコンとノックしても返事はない。
「失礼します」
部屋の中は明るく、二面にある窓から陽光が入っている。年季を窺わせる木材のフローリングに、左右の隅にカーテン付きのベッドが置いてある。部屋は思いのほか広く、真ん中に運搬用木箱が数個積まれていた。事前に送っていたマリエラたちの荷物だろう。ベッドの傍にはそれぞれ机が置いてあり、白い壁には画鋲と思わしき穴があちこちに開いていた。
「ゲーム画面で見たことあるやつ……!」
マリエラは手に提げたトランクケースを床に置いて窓辺に駆け寄った。やや傾いた太陽は城のような校舎を背後から照らしている。森は思っていたより広大で、東の方には大きな湖も見えた。
いよいよゲーム時間軸が始まるわけだが、不安とは別に、マリエラは期待に胸が膨らんだ。魔法の学園生活なのだ。マリエラがここまでガリ勉に燃えて頑張れてきたのは悲惨エンドを回避するためだが、魔法は素直に面白くて楽しい。
貴族であるマリエラの知っている世界は社交界ばかりで、家庭教師がついていたので学校も行っていない。学園の生徒の半分は庶民であり、残り貴族の四分の一は他国からの留学生だ。学園内では一応、家格や出自で上下を問わないということになっている。暗黙の了解等はあるかもしれないが、差別を禁じる校訓がある。
素直に、新しい環境が楽しみだった。
「同室の方ですか?」
鈴を転がしたような可愛らしい声がした。開いたままにしていた部屋のドアの傍に、ピンクブロンドの髪をお下げにした女の子がいた。身長は低めで、ころんと大きな目は薄い灰色に桃色を混ぜたような瞳をしている。
「はい、そうです。マリエラ・シュベルトと申します。あなたは?」
「ソフィー・ドルトンと申します、マリエラ様」
シュベルトの名を聞いた彼女はぴしりと背筋を伸ばした。緊張したのが手に取るように分かる。シュベルト公爵家は庶民でも知らぬ者はいないほど有名な家名なのだ。
「あのっ……、わた、私、管理人さんに報告してきます。一介の庶民である私がマリエラ様と同室なんて、きっと手違いです」
「待ってソフィーさん、これは手違いなんかじゃないわ。今は緊張するかもしれないけれど、少しお話しませんか? それに――『誇り高き魔法使いの卵たちよ。いち同士である貴君たちに』」
「――『上も下もない。切磋琢磨し、己のため他者のため、世界のために励め』、ですね」
生徒手帳にも書いてある、アカデミーを創設した魔法使いが残した言葉である。ソフィーは肩の力を抜いて笑った。
「これから四年間、仲良くしてくださると嬉しいですわソフィーさん」
マリエラが握手を求めると、ソフィーがおずおずと握り返してくれる。
「下町育ちで無作法なことは多いと思います。こちらこそよろしくお願いします」
「それを言ったら私もです。これまで小さな世界で生きてきましたから。失礼なことをしてしまいましたら、遠慮無く教えてくださいませ」
「は、はい。……その」
「なんですか?」
身長が十センチほど低いソフィーを見下ろし、マリエラは首を傾げた。ソフィーはようやく顔の強ばりが解け、花が咲くように緩み、無防備にも見えるような微笑みを浮かべる。氷をも溶かす微笑とはこのことだ。
「部屋に入ってきたとき、光を纏うマリエラ様の姿が戦女神のように美しくて感動したんです。気遣ってくださり、ありがとうございます。どうか、よろしくお願いします」
それは嘘偽りないまっすぐな言葉で、マリエラの心臓がずきゅんと打ち抜かれた。
(私が絶対に守る……)
「よろしくね。ではまず、どちらのベッドを使うか決めましょうか」
「はい!」
(よし、ちゃんとソフィーと同室になった! ヒロインって本当に可愛いのね。見た目だけじゃなくてこう……雰囲気? 性格? 醸す空気全てが可愛い。可愛いは正義……)
ソフィーは『マジラブ!』の主人公ヒロインである。予定通り同室になれて、マリエラは心の中でガッツポーズをした。
二人はそのあと自己紹介をしあい、簡単なルールも決めた。部屋での生活について不満が出てきた場合はきちんと話し合うこと、である。マリエラは入って左側のベッドを、ソフィーは右側と決めて、荷物の片付けを行っていたら夕食の時間になっていた。基本的に朝夕の食事は寮の食堂で、昼は学食で食べることになっている。寮には予約制の調理室もあるらしい。マリエラたちは食堂へ一緒に行くことにした。
男女別の寮はそれぞれ生徒が百六十人ほどいるため、食堂も大所帯である。広々とした空間演出のためか、天井がかなり高く作られていた。薄いクリーム色の壁に様々なタペストリーがかけられ、橙色の炎を灯すランタンが多数宙に浮いている。
マリエラたちは木製トレーを持って希望の食事セットを受け取り、分厚い木で作られた長机の一席に隣り合って座った。机の中央ラインには等間隔に太い蝋燭が置かれてあり、一番近くのものが独りでに灯る。
「すごいですねマリエラ様……」
「ええ、流石最高峰の魔法学園です」
食事中、マリエラはたくさんの女生徒に声をかけられた。公爵令嬢だからである。中には隣にいるマリエラに冷たい視線を向ける上級生もいた。そうするとソフィーはびくりと肩を揺らし、恐縮してしまう。いつか、上手くフォローしなければならない。
ソフィーの魔法力の高さは大陸レベルでも群を抜いているのだが、それが認知されるのはもう少し先なのだ。
ソフィーと部屋に戻り、片付けの続きをする。マリエラは壁に大きめのピンを打ち、実家から持ってきたボンネットを飾った。保存魔法のかかった紫色の藤の花が二房しゃらりと垂れ下がる。
「綺麗ですね。藤の花ですか? マリエラ様の雰囲気がしますね」
「ずっと前にね、誰かがソフィーさんと似たようなこと言いながら気まぐれでこの花をくれたの。私も藤の花は思い入れがあるし、この花は綺麗だから」
ころころしゃらりと揺れる様子は風流があって好きだし、草加部籐子の名にも藤が入っている。籐子も藤が好きで、見頃には藤棚を見に行っていた。柱を赤く塗った藤棚、一帯に広がる見事な藤の場景、空気すら淡く紫に色づいている、別世界の光景が脳裏に蘇る。
ぼんやりとボンネットを見つめていたら、ソフィーがもの言いたげな目線でマリエラをチラリと見、顔を戻した。
「ソフィーさん、いま、『大事な人から貰ったのかな』とか思ったのでしょう。違いますよ。アレはそういう人じゃありません。強いて言うなら……えっと何かしら? とりあえず特別とかじゃないですから!」
「あっ、バレてた! すみませんマリエラ様。でもそのう、そんなに勢いよく否定すると逆に怪しい感じになっちゃいますよ?」
「えっ、そうなのですか?」
ソフィーは真面目な顔をして二度頷いた。マリエラもこくりと頷く。勉強になる。
頭の中で、記憶にあるヴァンが笑っているのを追い出した。
「明日、マリエラ様と同じクラスになれるといいなぁ」
「そうね。きっと一緒よ」
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