受難と奮闘の魔法使い

葛餅もち乃

本編【完結】

第1話 はじまり、はじまり

【受難】

ふりかかる災難。

または、フラグのこと。



◇ ◇ ◇



「ンばッ……!」

「おっ、お嬢様!? ようやくお目覚めになられた……っ」


 七歳の誕生日を迎える間近、公爵家令嬢であるマリエラは突然高熱を出して寝込んでいた。意識も朦朧とした三日間が過ぎ、四日目の朝に彼女は覚醒した。大きな目をバチリと開け、まるで息を吹き返すように、汗ばんだ体でゼェゼェと呼吸する。

 つきっきりで看病してくれていた侍女が目を潤ませ、マリエラの意識を確認すると、家族や医者を呼びに行った。

 マリエラは頭を抱えて浅い息を繰り返した。それどころじゃなかったのである。


(十八禁本はどうなったの――――!?)


 眠り続けた三日間、マリエラは前世の夢を見ていた。二十数年分を凝縮した追体験である。人に語ったところでただの夢か、頭がおかしいと思われるだろう。ただ、あれはきっと本物だった。マリエラの前世は日本という国で生きていた草加部籐子。彼女に関する膨大な情報を半強制的に頭の中に流され、飲み込むのに三日三晩かかったのである。


 草加部籐子は二十代のOLだった。事故により、若くして人生の幕が閉じられる。現在のマリエラは六歳、草加部籐子が前世だと理解しつつも自我はマリエラであるので、あまりショックは受けていない。ある一点を除いて。


 草加部籐子は一人暮らしのオタクだった。借り上げ社宅の1LDKに住んでいて、漫画に小説やゲーム、イベントで入手した同人誌を大量に保有していた。少年漫画から少女、青年、TL漫画、ライトノベルも好きならば政治小説や歴史小説も好きであり、全世代向けゲームからPCゲームまで愛す、雑食のオタクであった。

 乙女ゲームもするし、男性向けアダルトシミュレーションゲームもする。コミケイベントではここ数年サークル参加をする側で、乙女ゲームの推しカプによる二次創作の十八禁漫画を描いていた。いちゃいちゃしているだけの薄い本である。彼女の既刊は八冊、一部か二部ずつ部屋に残してあるし、最新刊は残りが九部。次のイベント時に描きかけの新刊と一緒に持って行こうと思っていた。

その他諸々の証拠もあり、これらが草加部籐子によって描かれたものだとバレるのは明白である。


 ――そう。草加部籐子の死後、誰があの部屋に入り、遺品整理をしてくれたのか――母か、父か、弟か。業者に頼んだとしても、あの部屋に立ち入り、処分するものなどの確認はしてくれたのだろう。

 籐子の城であるオタク部屋を、十八禁モノが多数存在しているあの部屋を見て何を思うのか。まさか描いた同人誌を読んでしまっただろうか。両片想いの推したちが、ご都合主義展開によって最終的にラブラブする漫画を見てどう思っただろう……。吸血鬼パロとか、媚薬イチャコラとか、それとか×××――


(ウワァアアア! じゅうはっきんモノしか描いてないやん! 欲に忠実過ぎる!)


 マリエラは頭を掻きむしって呻いた。病み上がりには厳しい精神的ショックと酸欠で、顔が青くなったり赤くなったり忙しい。全身から脂汗がでてくる。


「マリエラ……! 大丈夫か!?」

 部屋に駆け込んできた父が、マリエラの様子を見て顔面蒼白になった。

(だっ……大丈夫じゃない……!)


 籐子の性癖の全てが彼女の管理下でないところで親族や知り合いに晒されている可能性――弁明なども不可――考えれば考えるほど絶望する。発行した同人誌には色々なものが詰まっていた……薄くて、下手で、内容はイチャイチャしかしてなかろうが、溢れる情熱と愛と内蔵全てひっくり返して検分した性癖が込められているのだ。

(しぬる……いや、籐子は死んだのだけど……)


「お医者様! マリエラは大丈夫なのでしょうか?」

 母が涙ながらに医者に訊ねている。マリエラは大丈夫なのだと、これはある意味病気だけれど病気の発作ではないのだと言いたいのに声が出ない。

 医者は深刻な顔つきだった。すみませんお医者様そういう病気じゃないんです。

「だ、だいじょ、ぶです」

「お嬢様、無理しなくて大丈夫ですからね」

 診てもらったところ、峠は越えたと判断された。もうしばらく安静にしていれば普段通りの生活に戻れるでしょうと言われ、家族や皆がほっと胸を撫で下ろす。

 かなり心配してくれていたことが嬉しい反面、申し訳なく思った。




 マリエラはシュベルト公爵家に生まれた長女である。プラチナブロンドに碧眼、目は大きく冷涼で、鼻筋はすっととおっている美しい顔の持ち主だ。兄が二人に妹が一人、家族仲は悪くなく、屋敷の雰囲気も穏やかである。

 マリエラたちが住むベルグラント王国は安定した治世を保ち、大陸も戦争している国はない。同盟や協定を組み貿易をしつつ、水面下で牽制等しあってはいるが、平和な時代だと言われている。とても恵まれた時代なのだ。


 すっかり体調の良くなったマリエラは、自室の机でノートにペンを走らせる。前世の記憶と現在のことがごちゃ混ぜにならないよう、整理するためだった。


「前世と大きく違うところ……魔法、王政、科学技術の代わりに魔法技術の発達……」


 インターネットやスマートフォンはないけれど、遠隔通信魔法はある。石油の代わりに魔石が重要資源で、魔石には人工モノと天然物がある。プラスチック製品はないけれど、ゴム植物と魔法の組み合わせで魔法樹脂製品は存在する。


「こういう転生って、前世の知識チートがあったりするけど、それはなさそう。よって、私が頑張ることは……勉強!」


 幼少から学生を卒業するまでの時間がいかに大切か、大人になってから身に沁みて分かるのだ。『もっと勉強しておけばよかった』と思ったことのある社会人は多い。色々なアクティビティに参加することの有益さも、結果的に必要になってくる知識を詰め込むことも、大事なのである。それを知識として、教訓として知っていることは大きい。

『全力前進、たまに息抜き』、とノートの表紙に書いた。抽斗にしまい、階下におりる。

 今日はマリエラ七歳の誕生日であった。




 家族や屋敷の皆に盛大に祝われたあと、マリエラは父の書斎に呼ばれた。代々受け継いでいる美術品をしまってある飾り棚、マホガニーの重厚な机、妖精の意匠を施されたテーブルランプ。どこか荘厳さを思わせる室内に、窓からうっすらと陽光が差し込む。


「マリエラ、七歳の誕生日おめでとう。七歳になったからね、〝神さまの子ども〟の時代は終わり。今日から、大人への階段を上がることになる」

「ありがとうお父様。その、神さまの子どもって何ですか?」

「マリエラは知らなかったっけ? 七歳を迎えるまでは、ヒトはまだこの世界に居付いていないあやふやな存在だと言われている。ま、昔からのそういう言い伝えだけれども」

(なるほど。七歳になる直前、前世を思い出したことも関係があるのかな)


「だから、七歳というのは特別な節目の年なんだよ。そして、ぼくたち貴族ではプレ社交界デビューする年でもある」

「プレ……?」

「本格的な社交界デビューは十五歳だけどね、そういう集まりに参加していい、というか公爵家の娘であるマリエラは参加しなければならない。ある程度のマナーは大丈夫だね? よって、来月に王宮で開かれる昼食会に参加します」

「はい」

「よろしい。まぁ、顔合わせみたいなもんだし、マリエラは気楽にいつも通りで大丈夫。同い年の王子殿下も出席なさるだろうから、一緒に挨拶しよう」

「王子殿下、ですか?」

「我が家は王家と親しいシュベルト公爵家だからね。無理して仲良くしなさいとは言わないけれど、不興を買うことはないように注意しなさい。合わないと思えばまず距離を取るのが一番。人生は長く、王子殿下は他にもいらっしゃるからね」

「……? 分かりました」


 父は微笑んで頷いた。それがなんとなく意味深な表情に見えたのだが、後日、その真意を知る。


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