生き残りたければわたしを愛でろ!
壱単位
プロローグ 呪いは忘れて参りましょう
暑い。
彼の体を包んでいる分厚く、ぼろぼろの布地は、強い日差しに焦がされて内側に熱を溜め込んでいる。
喉が渇いているのか、空腹であるのか、苦しいのかそうではないのか、それすらわからなかった。ただ、そこにいた。気がつけば、歩いていた。
折からの炎天で、広場の店先にもほとんど人はいなかった。閉まっている店も多い。彼は広場の中央にある噴水を目指していた。足が重く、わずかな距離を進むにもひどく時間がかかる。
水はそれほど清潔ではなく、砂も浮かんでいたが、彼は右手で掬い上げ、ひとくち飲んだ。その時にやっと、どれだけ自分が乾いていたのかを思い出した。
溜まっている水に頭をつけるように夢中で飲む。
「おい、なにやってんだ」
背後から声がする。振り返ると男が三人立っていた。いずれも黒い布を巻きつけたようないでたち。彼にはわからなかったが、それは<術師>の法衣であった。
「物乞いか。どこからきた。ここらじゃ見ねえな」
「……」
「しゃべれないのか。名はあるのか」
エルレア。
彼の脳裏に言葉が浮かんだが、その意味はわからなかった。
「名前はあるのかっていってんだよ、おら」
別の男が前に出て、彼の腰を軽く蹴った。彼は身をよじった。のろのろ立ち上がり、足を引き摺るように歩き出した。
その足を最初の男が蹴り上げたので、彼は地面に叩きつけられた。口の端に血が滲む。肩を抑えて、彼はうめいた。
「てめえ無視してんじゃねえ。俺たちが話しかけてるんだ。術師様に声をかけられるのがどれだけ光栄なことかわかってんのか」
彼はその言葉も聞こえなかったように、ふたたび歩き出そうとする。
男はチッと舌打ちをし、おい、と他の二人に声をかけた。三人の術師が彼の周りを取り囲む。最初の男が、彼の襟首、顔の周りに巻きつけられただけの粗末な布をぐっとつかんで、顔を近づけた。
「よくみりゃ綺麗なツラしてんじゃねえか。どこかの男娼館から逃げてきたのか。俺たちには趣味はねえが、まあ売れそうな店なら知ってるぜ」
他の男も下卑た笑いを浮かべる。彼は乱れた深緑色の長髪の隙間から、同じ色の瞳を強く正面の男に向けていた。
と、そのとき。
彼の周りにあわい光が浮かんだ。
日差しが強く、照り返しも酷いから明瞭ではない。しかし、術師たちにもそれは感じられた。ふっと怯んで手を離す最初の術師。
彼は少し苦しそうに眉を寄せ、片膝をついた。燐光が徐々につよくなり、彼の周りを天の川のような光の粒となってめぐりはじめる。
一瞬、光が強くなり、止んだ。
「……あ?」
さきほどまでの男性は姿を消していた。そのかわり、同じ年頃の、しかし顔も背丈もまったく違う、栗色の髪の女性が膝をついていた。肩で息をしている。汗も浮かんでいるようだ。
「……なんだこれは。女に化けたのか。いや……そんなんじゃねえな。まさか、神式か?」
術師たちがさっと色めきたった。
彼らは正規の神式術師ではない。いわば、野良の術師であり、正しい教育を受けたわけではない。それでも目の前で起こった現象がふつうの神式では起こし得ないものであり、仮にそのような神式があるとすれば、それは王室の術師団でも作り出せないようなおおきなエネルギーが必要であることを直感的に理解した。
つまり、術師たちは、本能で彼……彼女を敵と認識したのだ。
「てめえは何者だ。いますぐ答えろ。みっつ数える。答えなければ……」
先頭の術師が手印を結んだ。他の術師もそれに倣う。
「いち」
彼女は霞みそうになる目でそれを捉える。
意識せず、ことばが口をついて出る。
エンリュウノアギト……。
彼女の中に、なにかが小さく渦巻きはじめた。
「に」
流れは強く、はやくなる。身体の芯が熱くなる。
「……さん!」
術師たちが両手の手印を前に突き出す。周囲が瞬間的に暗くなる。日光ではない熱量が、彼らの正面に集約され、凝縮される。
「炎龍の顎!」
三人の術師たちから放たれた熱の奔流が彼女に殺到する。距離は近い。呪いの炎は瞬時に彼女に到達した。爆発するように炎上する彼女。
術師たちは構えを解き、ふうと息をついた。
瞬間、彼女を包んでいた炎が内側から膨れ上がったように見えた。まばたきより短い時間だったが、術師たちにもそれははっきり認識できた。
彼女が顔の前で組んだ手印、それを中心として、彼女のまわりで術師たちがはなった炎が輪となって踊っていた。そして炎は、放った時よりもずっと大きく、強くなっていた。
「……エンリュウノ……アギトっ!」
彼女が叫ぶと同時に踊っていた炎が術師たちに向かう。
悲鳴を上げる間もない。術師たちは振り払うような動きを見せたが、大量の炎に巻かれて悶え、やがて倒れた。呪いの炎は現実の熱量と魂にはたらく圧力とで構成される。術師たちの火傷はおそらくたいしたものではない。しかし、魂に刻まれる傷は深いものになるだろう。
彼女は肩で息をついている。術師たちが動かなくなってしばらくたってから、やっと彼女は立ち上がった。先ほど……男性であったときと同じように、ゆっくりと歩き出した。
逃げなくてはならない。
どこへ、なにから……?
彼女の脳裏にいくつかのことばが浮かんでいた。
堕としてやる……のたうち苦しめ……わたしが受けた苦しみはぜんぶおまえに返してやる……を奪ったおまえに……すべてを奪ったおまえに……
絶望と焦燥のなかで、彼女はかつて、それを聞いた。
わたしをとめてみせろ……エルレア!
広場を後にし、路地をいくつも抜け、どこへ向かっているのか自分でもわからないままに歩みを進めた。引き摺るように足を出すたびに繰り返し再生される、わざわいのことば。
さきほど術師たちと対峙したあとから、頭痛が激しくなっていた。
高い建物に日差しを遮られ、心地よい風が通り抜ける裏路地の市場にたどり着いた。なんにんかの客が彼女の方をちらっと見て、かかわりあいになるのを避けるかのように顔を背ける。
「……ねーちゃん、だいじょうぶ?」
ふいに後ろから声をかけられた。
手にかじりかけの果実を持っている、幼い子。女の子にも男の子にも見えるその子供は、彼女の顔をおそれもせず、じっと見上げている。肩までの金髪が揺れる。
「なんだかくるしそうだよ。これたべる?」
そういってポケットに入っていた果実を取り出し、彼女の方へ差し出した。
彼女は振り返ってその子になにか話しかけようとして、視界が急にせばまったのを感じた。どういうわけか、遠かった地面がすぐ目の前に迫ってくる。
「えっ、ちょっ、ねーちゃん」
その子に当たらないようになんとか身をひねり、どさっと音を立てて倒れた。
「わーっ。たおれたー。かあちゃんかあちゃんたいへんだー」
その子は果実を放り出して走っていき、少し離れた店へ駆け込んだ。やがて前掛けをした女性の手を引き、戻ってきた。女性は手に持っていたカップを彼女の顔の前に差し出す。
「あんたどうしたんだい、ほら、これ飲みな」
彼女は薄く目を開き、少しだけうなずいてゆっくり身を起こし、水を口にした。なにかの薬が溶けているのだろうか。わずかに苦く、すっとする味がした。
「ぼろぼろじゃないか。どこからきたんだい……名前は」
さきほど術師たちから尋ねられたのとおなじ内容だが、少しも嫌な気持ちにならない。前掛けの女性と、金髪の子供をゆっくり見て、小さな声で答えた。
「エルレア……帰るところは、ありません」
◇
プロローグを読んでいただきありがとうございます!
ほんとにほんとにうれしいです!
エルレアを気に入っていただいたなら……
評価とフォローをいただくと泣きながらお礼にうかがいます。
今後とも、わたしのエルレアを見守ってやってください。
またすぐ、お会いしましょう。
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