鳴鐘(その4)
ユーライカ死去にまつわる王宮からの公布は、それ一つ取っても様々に議論を呼んだが、クラヴィス王の暗愚さが影で非難される一方で、市井の人々の多くは、ユーライカの死を敬愛の思いとともに深い悲しみや嘆きをもって受け止めていた。
リアンもまた、その一人であった。
噂話としてその一報がもたらされた時、悪質な流言飛語のたぐいであって欲しい、と切に願ったものだった。だが正式に公布がなされるに至って、彼女はそれこそ、話を聞いたその場に膝を折って崩れ落ちてしまった。
おのが父の死は何も分からぬ幼少の頃であった。その父は流れ者の農民兵くずれの男で、母は人造人間であったから、彼女には親類縁者のたぐいが皆無であった。長く村の診療院にいたから中には手を尽くしても助からぬような患者などもいなかったわけではなかったが、それを除けば、とにかく身近な者が死ぬ、という経験が彼女には無かったのだ。その初めてが母と慕った女性で、しかも牢に繋がれての無念の獄中死となれば、その悲しみと衝撃は計り知れなかった。
元々王族であり、リアンのような市井の民草がおいそれと会える者では本来はない。だからと言って、かつて親しく言葉を交わした彼女がこのようにある日突然二度と会えぬようになるなど、彼女の生涯の中で初めての出来事であった。目の前が真っ暗になる、というありきたりの比喩が、身に起きてみれば確かにその通りであることをリアンはまさに体感したのであった。
そしてその悲しみは彼女だけのものではなかっただろう。まず脳裏に浮かんだのはまさに身を粉にしてこれまで姫殿下に尽くしてきたシャナン・ラナンの事だ。とくに病に倒れた彼女を北の塔から出そうと奔走していたさなかであっただけに、シャナンの受けた落胆、衝撃もどれだけ図り知れぬものかと、想像するだけでも胸が傷んだ。
そして何より、おのが母ギルダだ。この報がウェルデハッテにもたらされるまでには今しばらく猶予があったかも知れないが、リアン自身遠く王都にあって、この事を一刻も早く母にも伝えなくては、という思いと、あれだけ思い詰めた表情で北の塔を見つめていた母がこの件を知った時に、一体どうなるのか、という不安が同時に去来するのだった。
「本当は、私が今すぐにでも村へ帰って、私から母さんにこの事を伝えたいくらい」
そう言って、メルセルの前でリアンは涙をこぼすのだった。心配顔の夫の前で、彼女は脳裏に去来した、かつての思い出を語るのだった。
「姫殿下のお茶の席に話し相手として呼んでいただく事がたびたびあったけど、一度、夕食後の遅い時間にお呼ばれした事があって。行ってみると、殿下はお酒を召していらっしゃって、私を待っている間にソファに座ったままうたた寝をされていらっしゃったの。私は毛布をかけて差し上げて、そのまま失礼させていただこうとしたのだけど、殿下がそこで目を覚まされて、私を呼び止めたの。……ギルダ、行ってはならぬ、行かないでおくれ、と」
「……」
「酔っていらしたのか、寝惚けていらっしゃったのか。ギルダ、と私を呼んで、泣きながらに、すまなかったと詫びられた。あの日勝手にしろなど言わなければよかった、お前を連れて帰ると息巻いたが本当はついて来ておくれと周りの目も憚らず地に伏せ、泣いてすがるべきであった、何故そう出来なかったのかと……そのようにしきりに悔いておられた」
「あの姫殿下が、そのようなことを」
「私は何も言えなかった。……親子とは言っても私では姫殿下にとっての衛士ギルダの代わりにはどうあってもなれない。でも、母のことをそこまで思って下さって、私にもここまで目をかけて下さるのであれば、私がこの人を母の代わりと思ってお慕いすれば、幾らかは慰めになるかと……そのときに、そう思うことにしたの」
「そうだったのか。それで結婚式の時にあんな事を言ったんだね」
メルセルは感心げに呟いて、泣き伏せるリアンの手をそっと握りしめた。
「ごめんなさいね、メルセル。あのとき姫殿下ともあろうお方に突然あんなことを言い出すなんて、なんと失礼な女なのかと、あなたをびっくりさせてしまったかも」
「いやいや、そんな事はないよ……でも、このたびの訃報がウェルデハッテに伝わったら、お義母さまは一体どうなさるおつもりだろう?」
「それは、私にも分からない」
リアンはただ力なく、首を横に振る。
むろん、事実がそのようになってしまったのであれば、人造人間のギルダはそれを淡々と受け入れるだけかも知れない。それとも主君が死してもなお忠義を果たし、汚名を雪ぐべく一人で仇討ちなどを企んだりするだろうか。
いずれにせよ、この報が母にいずれ伝わる事、その事何が起こるのかという事そのものが、リアンには不安で仕方がないのだった。
もちろん、夫であるメルセルやその父母、商会の者たちも悲しみは計り知れなかったであろう。とくに、ユーライカが逮捕された時点で右往左往していた事を思えば、彼女の死はアルマルク商会にとってもおおごとであろうから、クロードなどにはこれから大きな苦難が待っているだろう。
だが兎にも角にも、リアン自身が千々に乱れるおのれの内心をどのように落ち着かせてよいのか分からなかった。
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