終戦(その3)
そんなわけで、戸口に立ったギルダが一歩廊下に出てみたところで、誰も咎め立てする者はいなかった。
そうやって、扉を開けたり段差があれば乗り越えたりも練習のうちだ。そう思いギルダは廊下に出た。
途中何度か転びそうになりながらも進んでいく。脚が一本、杖が一本では歩くという体はなしておらず、杖に体重をかけて身体を持ち上げ、前方に足をついて……とひょこひょこと跳ねるような動きを繰り返すしかない。
そうやってどうにか進んでいくと、廊下の先に開け放たれた大扉があり、その向こうに開けた空間があるのが分かった。
そこが、僧院の礼拝堂だった。
やけにざわざわと騒がしい。誰かが何かの用事で集まって来ているのではなく、元からそこは治療の必要な患者の収容に使われていた。長椅子は押しやられ、寝台も布団もなく、床に敷物を敷いて、そこに怪我人や病人たちが思い思いに身を横たえていたのだった。
その大扉の戸口にぽつんと立ち尽くすギルダを見て、入り口の近くにいた者たちが漠然と彼女の方を見やった。果たして、杖をついた現在の彼女の立ち姿と、その負傷した農夫たちの記憶にある光景とが一致するまでにしばしの時間を必要とはしたようだったが……やや間をおいて、あっ、と誰しもに聞こえるような声で大げさに驚いてみせる者があったのだった。
「魔女だ……!」
果たして、その驚きの声は礼拝堂の喧騒の中に紛れる事なく、他の者たちにも耳ざとく聞き咎められたのだった。その声を聞いて戸口を振り返り、そこに立つギルダの姿をみれば、方々から同じような驚きの声が次々に挙がってきて、途端に場内は騒然とするのであった。
粗末な敷物に身を横たえた怪我人の中にも、彼女の姿を見て慌てて身を起こそうとするものもいた。歩けるもの、声の出せるものは口々に魔女がいるぞと声を上げながら、戸口から距離を置こうと礼拝堂の奥に向かって寄り集まっていく。
何より、戸口にギルダ自身が立っているのだからそこから出ていくわけにもいかない。騒然となる群衆と、呆然と立ち尽くすギルダが対峙するような形になって、その場は思いがけず緊迫した空気に様変わりしてしまったのだった。
丁度礼拝堂で怪我人の世話をしていたアンナマリアが、悪態をつきながらギルダに駆け寄る。
「ここにいてはいけないわ。早く部屋に戻って」
人々の様子を見ればそれが妥当だろうとギルダにも思えた。だが勇敢にも魔女に突っかかっていくアンナマリアの身を案じてか、危ない、とか、下がれ、などと声が上がり、ざわつきは収まるどころか不穏な熱を帯びていく。
僧院の建屋の玄関口に慌ただしい物音が聞こえてきたのは、ちょうどそんな折だった。
アンナマリアたち礼拝堂にいる者達は、こちら側がそういう騒動になっていたので戸口の事にまでは注意が回らなかったが、冷静に耳をすませば村に騎馬の一団がやってきたのか、表から馬のいななきが聞こえてくるのが分かったはずだった。
だれかがずかずかと僧院の建物に入ってくる、そんな足音が響いてきた。
礼拝堂の扉の前に立ち尽くしていたギルダが振り返ると、そこにいたのは腰から剣を下げた一人の大男だった。
「貴様は……ロシェ?」
「おう、また会ったな」
そう、それは農民兵の頭目と目される男、ロシェ・グラウルその人であった。
ロシェは出会い頭にギルダの存在に気づくと、無遠慮にしげしげと眺めまわすのだった。彼女が片足で立っているのに気づいて、おや、という表情を見せたが、特に言及はしなかった。
「あのまま死んでしまったかと思ったが、なかなかどうして。存外にしぶといものだな」
「私を仕留め損ねたようだな」
「それはお互い様かな」
ロシェはそういうと、ざっと礼拝堂を見回して、その騒然とした雰囲気を察する。
ギルダをそっと脇に押しやるようにして、礼拝堂の中にずかずかと進み出てくる。
「ロシェ!」
「ロシェ殿!」
人々が口にするのは英雄の訪問に感激しているのが半分、その英雄の背後に魔女が立っている事に気が気でない、といった反応が半分といったところか。
「ふむ、そうだな……そういうことか」
ロシェは一人納得したように頷くと、おもむろに声を張った。
「ここに敵の士官がいる事に驚いている者もいるようだ。……そういう事なんだな?」
魔女、とはロシェは言わなかった。
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