40:とんでもない大物

 一週間ぶりに会うルカ様に少しでも気に入ってもらいたくて、ドレス選びには時間がかかってしまった。


 ミアやロゼッタの意見を聞きながら、頭が痛くなるくらいに悩んだ挙句、最終的に選んだのは薄桃色のドレス。


 ふんわり膨らんだ袖と三段になったスカート。

 後ろの腰部分で結ばれたリボンが可愛らしいドレスだ。


 頭にはリボンを結び、シンプルな意匠の小さな首飾りもつけた。


 ――あ、来た。


 頼りない月光の下でも、ぼんやりと浮かび上がる輪郭だけでわかる。

 真ん中にいるのがルカ様で、向かって右にいるのがラーク、左にいるのがシエナだ。


『柘榴の宮』の外灯が照らす範囲内に三人が入るのを待ってから、私はスカートをつまんで優雅に一礼した。


「お帰りなさいませ。長旅お疲れ様でした」

 月と星の社交場と化した夜空を背景に、ルカ様は軽く目を見張って動きを止めている。


 シエナはルカ様と似たような顔をしているし、ラークは「へえ。様になってんじゃん」といわんばかりに唇の端を上げた。


「……どうでしょうか?」

 誰よりもルカ様の誉め言葉が欲しくてドキドキしながら尋ねると、ルカ様は笑った。


「驚いた。どこの令嬢かと思った。――ただいま」

 いつものように抱擁されるのかと思いきや、ルカ様は私の左手を取ってそこにキスを落とした。


「!?」

 予想外の行動に心臓が飛び跳ね、血が団体で頭に上っていく。


「あー。遠慮せず熱烈なキスを交わしてくれてもいいぜ? ルカが一刻も早く帰りたい、ステラとフィーに会いたいっつーから、せっかく王都を通ったのに何の店にも寄れなかったんだよ。いい加減腹減ったし、オレらは先に帰って夕食にするわ。後はどうぞごゆっくりー」


 ラークはシエナの背中を押して私の傍を通過しながら手を振った。


「な、何を言ってるのラーク。私も夕食はまだだから、仲良く皆で食べましょうそうしましょう!」

「え? お帰りのキスは口でしなくていいの?」

「しませんっ!!」

 振り返ってニヤニヤしているラークに、私は激しく動揺しながら叫んだ。





 主人の帰還を祝ってその日の夕食はいつもより贅沢だった。


 国民の血税を浪費するのを厭ってか、ルカ様が普段食べている食事は庶民と大差のない内容なのである。


「ユグレニー公国の園遊会はいかがでしたか?」

 私は鴨肉のソテーを食べながら、隣に座るルカ様に目を向けた。


 ユグレニー公国はドラセナ王妃の出身国。

 アンベリスの南西に浮かぶ豊かな島国では各国との交易が盛んに行なわれており、ドラセナ王妃のお父様のユグレニー大公が国の統治者だ。


 神力を持ち、国王であると同時に神官でもあるユグレニー大公は毎年春に各国の王侯貴族を集めてもてなす会を開いている。


 おととしはギムレット、去年はノクス様。

 そして今年はルカ様が行くことになった。


「庭園が見事だった。肝心の各国の王侯貴族との社交は……特に問題もなく、無難にこなせたと思う」


 あまり自信はないらしく、ルカ様は目を伏せて焼きたてのパンを口に運んだ。

 ルカ様の足元ではフィーが白い身体を丸めて眠っている。


「ルカ様は立派にお役目を果たされたと思いますよ。難点を上げるとすれば、笑顔が少々足りなかったかもしれませんね」


「……人前で笑うのは苦手だ。あれでも精いっぱいだった」

「あのさーステラ。こいつ、無駄に愛想を振りまかない硬派なところが良いって、園遊会に参加してた女たちの心臓を鷲掴みにしてたぜー」


「!? わ、鷲掴みって、えっ?」

「ステラを不安にさせるようなことを言うな」

 ルカ様は射殺せんばかりの鋭い視線でラークを睨んだ。


「うわ怖ッ!? いやいや大丈夫だって。一度だけ積極的な女に言い寄られてたけど、ルカは『私には愛する女性がいる』って真顔で断言したから」


「!!」

 それが誰のことか知っている私は、真っ青だった顔を真っ赤に変えた。


「おかげでルカの株は爆上がりよ。きゃー素敵、私もあんな風に一途に思われてみたーいって、物陰で騒ぐ女たちの声がこっちまで聞こえたわ」


「……浮気されなくて良かったです」

 デザートに出されているリンゴよりも赤くなった顔を隠すように俯く。


「当たり前だろう。言ったはずだ、俺が生涯愛する女性はお前ただ一人だけだ、と」


 ルカ様が私を見つめて大真面目な調子で言うものだから、私の顔はもう火を噴いてしまいそうだった。


「わ、私も、……ですよ」

 ルカ様の顔をまともに見ることができず、照れをごまかすためにパンをちぎって口に運ぶ。


「え、えーと。ラークはどうだったの? 園遊会。楽しかった?」


 このままでは恥ずかしすぎてどうにかなってしまいそうなので、私はとってつけたような台詞をラークにぶつけた。


「ああ、楽しかったぜ。決闘もしたし」

「……決闘? 何故? 園遊会の余興?」

 私は困惑した。


「違いますよ。ラークはルカ様を侮辱したユグレニーの貴族に決闘を申し込んだのです。本当に喧嘩っ早いんですから。何故行く先々で問題を起こすんですか」

 彩り豊かなサラダを食べながら、シエナはため息をついた。


「いやーだって、あいつがルカの黒髪をしつこくからかうからさー。オレも最初は穏便に注意だけで済ませようと思ったんだぜ? そんなこと言っちゃいけませんよって優しく、笑顔でさ。でも、そいつはアンベリスに滞在したことでもあったのか、なんでお前だけアンベリスの王族の中で唯一黒髪なんだ、ひょっとして不義の子では? とかルカに直接聞くからさ。護衛としてはもう社会的に殺すしかねーだろ? オレが負けたら何でも言うことを聞く。その代わり、お前が負けたらルカに跪いて詫びろって決めて、いざ決闘。五秒で地面に這わせてやったわ」


 ラークは愉快そうに笑い、皿に残っていた鴨肉のソテーの最後の一切れを平らげた。


「正確には三秒ですよ。あの人も可哀想に。大公様を含む各国の王侯貴族の面前で気絶させられた挙句、跪いて許しを乞う羽目になって。最後には泣いていたでしょう。あれだけの無様を晒したんです、社交界への復帰は絶望的でしょうね。ラークのように実家から絶縁を言い渡されてもおかしくありません。いくらルカ様を侮辱されたからとはいえ、あれは少々やりすぎだったのでは?」


「大公様も良いじいちゃんだったよなー」

 シエナの台詞には全く聞く耳を持たず、ラークは懐かしむように目を細めた。


「騒ぎを起こして怒られるかな? と思ったけど、良くぞ私の孫に対する侮辱を許さなかった、見上げた忠義だって《紅蓮の騎士》の称号までくれたぜ。《紅蓮の騎士》って、なんか格好良くない?」


 ラークは上機嫌でデザートのリンゴを頬張っている。


「……何故ラークは組織や国の頂点に立つ人間にことごとく気に入られるのか、私には不思議で仕方ありませんよ……あなた、オーラム共和国の王子やエメルナ皇国の皇女ともお酒を飲み交わしていましたよね?」


「ああ、二人とも良い奴だったぜ。ジギート王国の宰相さんもユーフォビア王国の王様も見た目に反して面白いおっちゃんだったな。機会があったらまた会いたいなー」


「……ルカ様はとんでもない大物を護衛にしましたね」

 呑気にリンゴを食べているラークを見てから、ぽつりと呟く。


「ああ。全くだ」

 ルカ様は苦笑した。

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