50:短期淑女養成計画(2)

「よろしい、歩き方に関しては修正するところがありません。最初はアヒルの物まねでもなさっているのかと絶望しましたが、目覚ましい進歩です」


 陽が沈み始めた夕刻。


 この日最後の先生であるダーナ伯爵夫人は銀縁の眼鏡をくいっと持ち上げた。

 いましがたミアたちがつけた部屋の照明に反射して、きらりと眼鏡が輝く。


「カーテシーも上出来です。百点満点とはいきませんが九十点くらいは差し上げられますので、これにて合格と致しましょう。明日からは本格的にダンスレッスンを始めます。一週間後に王家主催で開かれる舞踏会には当然、ルカ王子もご出席予定ですが、ダンスを完璧に習得するまでステラ様の参加は許しません。幸い、舞踏会という名はついていますが実質はダンスパーティーです。簡単なステップさえ覚えて頂ければ大丈夫ですよ」


「わかりました。頑張ります」

「良いお返事です。それでは本日のレッスンはこれまでと致します。踊り続けてお疲れでしょう。しっかりお休みください」


「はい。ありがとうございました」

 退室した夫人を見送ってから、私は寝台に仰向けに寝転がり――たいのを我慢して、よろよろと化粧台の前の椅子に座った。


「疲れたー……」

 一時間も踊り続けたせいで足が棒のようだ。


 足だけではなく、伸ばし続けた首や背筋、もはや身体中の筋肉が痛い。


 ダンスってこんなに体力を消耗するものだったのか。

 真面目に踊ったことなんてなかったから知らなかった。


「貴族の人たちの凄さを思い知ったわ……重いドレスを着ていながら、それを全く感じさせず、笑顔で軽やかに踊るなんて。踊るならもっと動きやすい服のほうが良くないかしら? どうしてコルセットで身体を締めあげてまでドレスを着るの? 被虐趣味でもあるの?」


「美とはすなわち忍耐です、ステラ様」

 ロゼッタが淡々と言う。


「なるほどお……ごもっともです……」

 上体を傾け、ひんやりした化粧台に頬をくっつけていると、壁際でミアと遊んでいたカーバンクルが私の膝の上にぴょんと乗ってきた。


 さらに化粧台の上まで飛び上がり、私の顔を覗き込んでキューと鳴く。


 どうやら心配してくれているようだ。

 このカーバンクルには高い知性があり、人語を理解しているようなそぶりもみせる。


 ノクス様のものだったこのカーバンクルはルカ様が譲り受けた。

 ルカ様は大喜びで連れ帰り、丸一日悩みに悩んだ末に「フィオリスルーシェ」と名付けた。


 私はその言葉が何を意味するのかわからなかったけれど、ラークはすぐに「大層な名前だな」と笑った。


 シエナに訊いてみると、「フィオリスルーシェ」とは「最高の幸せ」という意味の古代語らしい。


 やはり三人とは知識量が違うなと痛感した出来事だった。


「フィーはいい子ねえ」

 私は微笑んでカーバンクルを撫でた。

 フィオリスルーシェという名前は長いので、みんなフィーと縮めて呼んでいる。


「うーん、本当に素晴らしい手触り。ルカ様が夢中になるのもわかる。なんて極上のもふもふなの……」

「ハーブティーでも淹れましょうか?」

 フィーを撫で回している私を冷静な眼差しで見ながらロゼッタが尋ねてくる。


「ええ、お願い」

 陽だまりのような匂いがするフィーを堪能していると、部屋の扉がノックされた。


「ステラ様、よろしいでしょうか」

「はい、どうぞ」

 だらしない姿勢から一転、背筋を伸ばして返事をすると、声の主は部屋に入ってくることなく告げた。


「さきほどルカ様たちが王都の港に着いたと連絡が入りました」

「本当に!? ロゼッタ、ごめんなさい! ハーブティーは後で! 先に着替えを手伝ってちょうだい!」


 私は勢いよく立ち上がった。

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