33:あなたのための怒り

 事件から二日後の夜、私はバーベイン様に招かれて王宮の食堂にいた。


 白いクロスがかけられた長テーブルには豪華な黄金色の食器と銀色のナイフとフォークが並べられている。


 銀の燭台に灯された蝋燭は静かに揺らめき、等間隔に置かれた小さな花瓶には可愛らしい花々が。


 ガラスの容器には飾り切りされたフルーツが盛られており、ディエン村でも食べた紅白リンゴが見事な鳥の形になっていた。もはや食べ物というより芸術品だ。


「どうした聖女よ。食が進まぬようだが、遠慮は要らぬぞ。今宵は無礼講だ」

「は、はい」

 ルカ様の横に座るバーベイン様に言われて、私はナイフで丁寧に切り分けた肉を口元に運んだ。


 宮廷料理人が腕を振るった料理はとても美味しいはずなのだが、緊張で味わう余裕がない。


 それはルカ様もシエナも一緒のようで、二人ともさっきからずっと無言だ。


「お、この肉柔らかくて美味しー。甘酸っぱいソースもいいね。さすが宮廷の料理だわ。最高級の食材を最高級の料理人が使ってるんだから、美味くないわけがねーんだよなー」

 心から国王様との晩餐会を楽しんでいるのはラーク一人だけだ。


 ラークのグラスが空いたのを見て、給仕が新たな酒を注ぎ、速やかに下がった。


「しかし王様も心が広いねー。宝物庫の扉に大穴を開けて侵入し、国の重要文化財を十数点も破壊したのにお咎めなしとは。損害賠償を請求されたら逃げようと思ってたけど、そんなことにならなくて良かった」


「王太子の命を救った英雄を罰するわけにはいくまい」


 事件の翌日に開かれた御前会議により、呪術という最悪の禁忌に手を出し人外の身となったアドルフは満場一致で死刑。


 現在アドルフ共々王宮の地下牢にいるギムレットは王家の籍から除籍され、海外追放されることが決定した。


 ノクス様はさぞ驚かれることだろう。

 寝て起きたら王太子になっているのだから。


 ルカ様のためにも早く起きないかなと、私はずっとそわそわしている。


 でも、あれから二日経ってもノクス様は目覚めず、ルカ様の表情は冴えないままだ。


「そう言って頂けると助かります。暴れた甲斐がありました」

 ラークはぺこりと頭を下げた。


「お前は面白い男だな。仮にも国王の前にいるというのに、まるで緊張しておらぬ。ルカのほうが遥かに緊張しておるわ」

 バーベイン様は愉快そうに笑ってから、ルカ様を見た。


「陛下と共に食卓を囲む栄誉を賜ったのは初めてですので。お心遣いに感謝致します」

 王家の一員として認められているからこそ、対面に座る私たちとは違ってバーベイン様の隣に席を用意されているのに、ルカ様の物言いは家族というより臣下のようだった。


「臣下みたいな言い方するなあ。王様とは全然会話してねーし」

 全く同じことを思ったらしく、ラークは顔をしかめてからバーベイン様に顔を向けた。


「なあ、王様。王様にかかってた三つの呪いは解けたんだろ?」

「うむ」


 バーベイン様にかかっていた呪いとは、まず最初に《意思の衰弱》――自分の意思が弱まり、他者の指示や暗示を受け入れやすくなる呪いだ。


 バーベイン様の意思を弱めて操りやすくさせた後、アドルフはルカ様が黒髪なのを理由に王妃の不貞を吹き込み、ルカ様に対する《嫌悪》と《不信》の感情を呪いとして植え付けた。


 だからバーベイン様はルカ様のことを毛嫌いしていたのだ。


「余にかかっていた呪いはノクスと違い軽度のものだったらしいのでな。プリムローズの指摘によって『呪いがかかっている』ことを自覚した途端に解けた。あの妖精には感謝しなければならぬ」


 プリムは晩餐会の誘いを断って『蒼玉の宮』にいる。

 主人ノクスを間接的に救った妖精としてちやほやされるのが気持ち良いらしく、彼女は「ノクスが起きるまで『蒼玉の宮』から出ない」と宣言していた。


「そっか。なら聞くけど、呪いが解けて正気に戻ったいま、ルカのことはどう思ってるんだ? 本気で?」


 ルカ様の表情が強張り、時間が凍り付いた。


 シエナが、壁際に控えている騎士が、給仕が――この場にいる全員がぎょっとしている。


 ――こいつ、王宮最大の禁忌に踏み込んだぞ!!?


 という全員の心の叫びが聞こえてくるようだった。


「や、止めなさいラーク! 何てことを言うんですか!! 無礼な!!」

 シエナが青ざめて叫ぶ。


「無礼講だって言ったのは王様だろ。誰も言わねーからオレが言ってんだよ。これじゃいつまで経っても王様とルカの関係は歪なままだろ。なあ王様、そこんとこどうなんだよ。ハッキリ言ってくれ」


「だから何故ラークにハッキリさせる権限があるんです!? どの立場からの台詞!? あなた何様なんです!?」


「うるせー。で?」

 もはや泣いているシエナを一言で黙らせ、ラークはバーベイン様を視線で突き刺した。


 もし自分の子どもだと思っていないと言うなら心底軽蔑する、態度がそう言っている。


 ラークは怒っているのだ。

 多分、彼はずっとバーベイン様に怒っていた。

 他の誰でもなく、ルカ様のために。


 バーベイン様はルカ様を離宮に閉じ込め、貴族連中による虐待を放置した。

 さらにバーベイン様はノクス様の必死の働きかけによってルカ様が王宮に移ることを許された後も、ルカ様を何度も死地に送っている。

 呪いがかかっていたから仕方ない――そんな簡単な一言で済まされることではない。断じて。


 この上さらに『息子だと思っていない』と言い出すようなら、ラークの怒りは頂点に達するだろう。下手をすればこの場で殴り掛かってもおかしくはなかった。


 誰も何も言わず、固唾を飲んで成り行きを見守っていると、バーベイン様は微苦笑した。


「お前は本当に肝が据わっているな。国王の座に就いてから、余にそんな物言いをした人間は初めてだぞ。しかし良い機会だ。そもそも余はこの言葉を伝えるためにお前を呼んだのだ、ルカ」


「……はい」

 受け止めるための間を置いてから、ルカ様はバーベイン様を見つめた。


「守護聖女たちが王宮を揺るがす騒動を起こしたおとついの夜、余は久しぶりにドラセナの夢を見た。そして思い出したのだ。ドラセナとは政略結婚であったが、ドラセナは一途に余を愛し、支えてくれる良き妻であった。ドラセナが余を裏切るような過ちを犯すはずがない。誰が何と言おうと、お前は余の息子だ、ルカ」


 バーベイン様は真摯な眼差しをルカ様に注いだ。


「…………、……。はい。父上」

 そのときルカ様が浮かべた表情を、私は生涯忘れないだろう。


「明日から国議に参加せよ。王子として公務もさせる。忙しくなる故、覚悟せよ」

「はい。精一杯努めます」

 ラークは満足そうに笑い、シエナやその他の人間たちは皆、一様に安堵している。


 ……良かった。

 本当に良かった。


 十六年もの間切断されたままだった親子の絆が結ばれた喜びを噛み締めていると、一人の騎士が「失礼致します」と断って食堂に入ってきた。


 騎士はバーベイン様に近づき、その耳元で何かを囁いてから頭を下げて退室した。


「吉報だ。ノクスが目を覚ましたぞ」

 バーベイン様がそう告げた瞬間、ガタン、と椅子が鳴った。


 全員の視線が音の発生源に向かう。

 視線の交差点にいるのはルカ様だ。


 反射的に立ち上がろうとして王の御前であることを思い出し、座り直したらしい。


「……失礼致しました」

 ルカ様は軽く頭を下げた。


「良い。余のことは気にせずノクスの元へ行け。許す」

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