18:呪われてなんかいませんよ?
「助けてもらったからってお礼は言わないからね! 元はと言えばあんたたち人間のせいなんだから! 人間があたしを捕まえて、人間があたしを解放した! ぜーんぶ人間の勝手、ぜーんぶ人間の都合じゃないの! 何の罪もない可憐な妖精をよりにもよって虫取り網なんかで捕まえやがって! あんたたち人間にとって妖精といえば神秘の象徴、頭を垂れて敬い崇めるべき存在でしょう!? そのあたしを、高貴な妖精を! その辺の虫と一緒にするんじゃないわよクソが!! クソクソクソ!! みーんなクソだわ地獄に落ちろ!!」
ルカ様の手によって檻から解放された妖精は金切り声で喚き散らし、虚空に向かって猛然と攻撃動作を繰り出した。
大きく蹴り上げる動作のせいでドレスのスカート部分がめくれ上がり、危うく下着が見えそうになっているのだがお構いなし。
その羽根で縦横無尽に飛び回り、とにかく滅茶苦茶に暴れている。
「……だいぶ
自由を取り戻したことでタガが外れたのだろうか。
檻の中で怯えていた妖精とは別人――もとい、別妖精のようだ。
「妖精の境遇を考えれば仕方ないことだろうな」
そう答えたルカ様は遠く離れた広場の木々を見ている。
妖精の下着が見えそうだから目線を外しているのだろう。さすが。紳士だ。
「ああもうこのドレス、重たいし、動きにくいったら! 頭の装飾も邪魔! 何なのよこの浮かれた大きな花は! 馬鹿じゃないの!?」
ひとしきり暴れ回った後、妖精は美しいドレスの裾に手を掛けて引き裂こうとし、力が足りなかったらしく諦めた。
その苛立ちをぶつけるように頭の装飾を毟り取って投げ捨てる。
髪を結っていたリボンが解かれ、長い水色の髪がばさりと広がった。
「現実とは残酷なものなんですね。私が読んだおとぎ話の中に出てくる妖精は穏やかで優しい、可憐な淑女だったんですが……甘い幻想は打ち砕かれました」
地面に叩き落された可哀想なリボンを見て、しみじみと呟く。
「ああん!? なんかあたしに文句でもあるの!?」
「何でもありません」
上体を屈めて腰に両手を当てた妖精にギロリと睨まれて、私は口をつぐんだ。
「けっ。勝手な
「はい、無理です、ごめんなさい。無茶なことを言いました」
頭を下げると、ぷいっと妖精は顔を背けた。
「ふんっ。人間なんか大っ嫌いよ。バーカバーカ。毎朝家具に足の小指をぶつけて苦しめばいいのよ」
理不尽な目に遭わされたにしては随分と生温い呪いだ。
口は悪いけれど、この子は優しい妖精なんじゃないだろうか。
さっきも助けて『もらった』って言ってたし、ルカ様に助けられたことを感謝はしているんだ。多分。
「すまなかった。人間はお前に酷いことをした。お前が怒り狂うのも当然だ」
吹き荒れる風に黒髪を揺らしながら、ルカ様は人間を代表して真摯に謝った。
ルカ様は妖精を救った恩人であって、何一つ悪いことはしていないのに、それでもささくれだった妖精の心を慰めようとしている。
「………………」
それがわからないほど愚かではないらしく、妖精は口をきゅっと結んだ。
「ドレスが気に入らないなら新しい服を買いに行かないか。人間の都合で押し付けられた服は捨てて、お前自身が好きな服を選べばいい」
ルカ様の台詞に、ぴく、と妖精の尖った耳が動いた。
顔は背けたままだけど、彼女にとって魅力的な提案ではあったらしい。
脈ありと見たのだろう、ルカ様は微笑んで右手を差し伸べた。
「通りに小さな人形を売っている店があったから、一緒に見に行こう。あの店ならお前に合う服があるかもしれない。もし合わなかったら頼んで調整してもらおう」
「……行く」
妖精は四枚の羽根を動かして空中を滑るように移動し、ルカ様の手のひらの上に舞い降りた。
足を畳み、ちょこんと座る姿が愛らしい。
「行くけどさ。他の人間に狙われたらちゃんと守ってよね。店に行くふりをして闇市で売り払ったりしたら末代まで呪ってやるわよ」
妖精は七色の瞳でルカ様を睨みつけ、人差し指の先端を向けた。
「ああ。そんなことはしない。何があっても守ると約束する」
ルカ様は妖精を大事そうに手に持ったまま歩き出した。
私もルカ様についていき、隣に並ぶ。
「ふん……」
妖精はチラッとルカ様を見てから、またそっぽ向いた。
「あんた、人間にしては良い奴じゃないの。褒めてやってもいいわよ」
「ありがとう」
ここまで偉そうにされるとむしろ痛快なのか、ルカ様はなんだか楽しそうだ。
「名前を聞いてもいいか? 檻の中で聞いていたかもしれないが、俺はルカだ」
「私はステラ・コーレン」
自己紹介の機会を逃すまいと、私はすかさず名乗った。
バーベイン様から家名と戸籍を頂いた私はエメルナ皇国の下民ではなく、アンベリス王国の平民ステラ・コーレンになったのだ。
「プリムローズよ。珍しい七色のプリムローズの上で生まれたからこの名前なの」
その名前に誇りがあるらしく、妖精は胸を張った。
「長いな。プリムと呼んでいいか?」
「……妖精女王から頂いた名前を略すの……まあ、許すわ。ルカはあたしの恩人だし」
プリムは不承不承といった顔で頷いた。
「私もそう呼んでいい?」
「……ルカのついでに許してあげる」
「ありがとう」
微笑む。
「ならプリム。妖精の瞳は一切の呪術や幻術を見破る『真実の瞳』だと文献に書いてあったが、それは本当なのか?」
広場の入り口で足を止め、ルカ様は真剣な表情で尋ねた。
「『真実の瞳』を持つのは一部の特別な妖精だけよ。でもルカは幸運ね。妖精女王の18番目の子どもであり『真実の瞳』を持つこのあたしに出会えたんだから」
プリムは胸に手を当てて自慢げに上体を反らし、すぐに手を下ろして首を傾げた。
「事実かどうか確認するってことは、あたしの目で見て欲しいものでもあるの?」
「……ああ」
覚悟を決めるような数秒を置いてから、ルカ様は尋ねた。
「俺を見て欲しい。俺には何か……呪いがかかっているのか?」
まるで世界までも息を潜めたかのように、この瞬間だけ風が止んだ。
どうか否定して欲しい――
私はルカ様の隣で唾を飲み込み、祈りながらプリムの言葉を待った。
「いいえ? ルカには何の呪いもかかってないわ」
プリムはあっけらかんとした口調でそう答えた。
「そ――」
「やったー!!」
私はルカ様の台詞を打ち消すほどの大歓声を上げ、プリムの発言内容よりも私の声量に驚いているらしい彼の手を握った。
「やっぱりルカ様は呪われてなんかいなかったんです!! 王宮では呪われた王子とかなんとか言われてましたけど、みんな嘘だったんですよ!! 王宮に戻ったらすぐにノクス様にご報告しましょう!! きっと喜んでくださいます!! ギムレット様にも陛下にもご報告しなければ!! なんといっても妖精のお墨付きなんですから、これはもう間違いのない事実ですよ!!」
喜色満面でルカ様の手をぶんぶん上下に振る。
「……俺よりお前のほうが嬉しそうだな」
ルカ様は笑っている。
「それはもちろん、守護聖女として喜ばずにはいられませんよ!! おめでたい!! 本当に良かった!! 今日は良い気分で眠れそうです!!」
「でもさあ、ちょっと気になることがあるんだけど……」
プリムが何か言ったため、私はお喋りを止めて妖精に顔を向けた。
「何? どうしたの?」
「……いや、こんなにうじゃうじゃ人がいれば呪われてる人がいてもおかしくないか。きっとすれ違ったか、ぶつかった拍子に残滓が付着したんでしょう。二人とも、っていうのがちょっと奇妙だけど、あり得ない話じゃないわよね」
顎に手を当てて俯き、プリムはぶつぶつ呟いている。
「何? 何を言ってるの?」
小さな声を聞き取るべく耳を近づけようとしたら、プリムは首を振って私を制した。
「なんでもないわ。あたしの服を買ってくれるんでしょ? さっさと行きましょう」
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