第32話 銀の鍵探し

「このかん、御母堂が息子に、なんぞよからぬ事を命じたと思われる日から…大体ひと月と余日、そう今月の頭ごろまでは、王仁礼は物置ものおきやらくらやら、別邸のあちらこちらを漁っていただけだったそうだが」

 ところが最近になって、王仁礼が、琅玕の私的な領域、寝室やら書斎やら地下の解剖室(…)やらに入ろうとしている様子が目撃されるようになったとな。

 要するにそれで、

 ―――いよいよ本格的に共兵部卿閣下の御身おんみを狙いはじめたか。

 と、密偵たちに判断された様子。

「連中、王仁礼を害するつもりはなく、どこぞに拘束なり監禁なりして、とにかく俺の側近くから遠ざけるつもりだったようだが」

 王仁礼はなんと言っても皇族の血を引く身、上から命じられているのも「保護・監視」であるから、そう簡単に殺してしまうわけにも行かぬ。ともかく琅玕の身命しんめいを害されずに済めば良い。

「ところが彼らが行動を起こす直前に、あの安宿火災で、当の王仁礼が突然焼け死んでしまった」

「はあ、ではあの火災や焼死は、その密偵のかたがたのしたことではないのですね」

「それは確実に違うらしいな。ただ、どこぞの誰かが故意に起こしたことなのか、それとも本当にただ偶然に起こったことなのか、それは連中にもよくわからぬようだ」

 思わぬ展開に、百戦錬磨の密偵連中も驚いたらしいが、ただ彼らがもっと不審に思ったのは、王仁礼焼死の直後から、今度は、女中某が王仁礼同様、書斎や解剖室への侵入をこころみはじめた事であったそうな。

 女中某は女中某で、これまで邸のものに手をつけたり、ことさら手癖てくせの悪いところは見られなかったから、やはり自分ひとりの意志で妙な真似をはじめたとは考えにくい。

 ―――まさか王葎華、あのぎつねめは、息子が死んだというのに今度は別の者をなずけてまで、共兵部卿閣下を害するつもりか。

 王仁礼は、母親からの命令を拒否こそしなかったが、それでも、だいぶ嫌々ながらしていたようで、琅玕のプライベートスペースに至るまでにひと月以上もかけている。それに比して女中某は、そのようにもたもたしていなかった。すぐに書斎の鍵を写し取り、琅玕の留守を狙って出入りするようになる。

 そして昨日の昼下がり、琅玕や紫翠が出仕で留守の際に、女中某は琅玕の書斎に侵入。書物かきものづくえ抽斗ひきだしを漁っている現場を、密偵某に押さえられる。

「で、洗いざらい吐かされたそうな」

 目的は、じつは琅玕の暗殺ではなかった。

「当然ながら、狙いは例の銀の鍵を探し出してくることだ。ここでようやく、くだんの鍵の存在が知れたわけだが」

 女中某は案の定、王葎華から小遣い銭を握らされていた。

「ただし、王葎華が何故そんなものを欲するのか、理由までは知らされておらなんだそうだ」

 ともかくも目的はハッキリしたことであるし、くだんの銀の鍵本体も、密偵某の手の内に確保された。あとは、できるだけ早く口実を作って別邸を抜け出し、公邸にまします華公代理閣下にことの次第を報告すれば良い。 

 が、

「その前に、俺に取っ捕まってしまったわけだな。さすがの手練も、床に脱色剤が撒いてあるなど想像もしなかったようだ」

 と、琅玕。子供でもあるまいに、本職の密偵を出し抜いて妙に得意げである。

「今朝、御母堂に説明したときには、煩雑になるゆえ女中某から直接巻き上げたと言ったが、実際には女中某→密偵→俺の順で鍵を取り上げていったのよ」

 昨日の夕刻、予定なく忍び込むように帰宅した琅玕は、洗濯室で、裾に色落ちのある制服を『二着』発見したのだそうだ。

 着用者は片方は女中某、もう片方が密偵某で、琅玕は多少迷ったが、結局両方を順にとっちめることにしたとやら。まず先に密偵の方を呼び出したのに特に深い意味はなく、単に手近にいた順だそうな。

「密偵は、まあなんだ、こういう展開は全く予想外だったようで、最初はぼう然としておったわ。経緯を説明しろと迫ると多少は渋ったが、最後は全部吐かせたぞ。そして鍵も取り上げた」

 その後は女中某も呼び出して、こちらも知ることを残らず喋らせ裏を取る。密偵と女中某、双方の言い分に矛盾のないことを確認し、さらには念のため鍵を某所に隠した上で、公邸へと戻った。

「そして実際に義伯父貴を訪ね、今度はこっちが洗いざらいぶちまけてみれば、御母堂の狙いが俺の命ではなく、古道具じみた鍵なんぞであったと言うのは、やはり義伯父貴にとっても相当思いもよらぬ事だったようだ。当然ながら、鍵の素性についても全く知らぬと」

「当たり前よの。儂にしろ観長の沈どのにしろ、たとえ相手が華公代理閣下だとて銀の鍵のことを口外したりは決してせぬ」

 と、菱陽起。以前から内々に鍵探しをしていたとはいえ、それと今回の件とは全く別件と思っていたわけで、当然、誰が相手であれ無関係と思われる相手に話す理由はあるまい。

 が、今日の昼間、すでに観に到着していた菱陽起のもとに華公代理閣下から書状が届く。

 中身は、当然ながら今回の一件の詳細で、老乾道にも協力を依頼する内容だった。それだけでも十分に菱陽起を驚かせたが、くだんの銀の鍵らしき品についての言及に一番驚愕きょうがくさせられた。それはそうだろう。なんの関係もないと思っていた事件どうしが思いもよらぬ形でこのように関わってこようとは。

「ただ、わからんのは葎華のやつを抱いた客のなにがし、やつが一体どこから鍵のことを知ったのかだ」 

 老乾道は、それがなにより気になって仕方がないらしい。

 当然、菱陽起は昼間のうちに、王葎華にいろいろと問いただしていたわけだが、

「どうせ言を左右にして素直には答えなかったのではございませぬか」

「その通りだが、儂は慣れておるでな。問うに落ちぬなら語らせれば良いのよ」

 老乾道はうまく彼女を誘導尋問したと見える。王葎華は、どうも問題の客のなにがしに本当に洗いざらい喋ってしまったようで、

「その客のなにがしは、葎華のやつの息子、王仁礼が皇族の落とし胤であるなどという話をされてもにわかには信じず、証拠を見せてみよ、故・岐鋭錘殿下から何も渡されておらぬのか、などと混ぜっ返し、彼女を激怒させたらしい」

 その客のなにがしは、息子の王仁礼には会ったこともなく、その容姿を知らぬ。それでいきなりそんな話をされたのでは、与太よたとしか思えぬ気持ちはわからぬではない。

「で、葎華のやつは、例の鍵をねだって睨みつけられた話やら、あげく例の宋灰廉の臨終に立ち会って聞かされた話やら、華公代理閣下との秘密会談の内容やら、全て喋ってしもうたわけだな」

 これには、その客のなにがしもさすがに驚いた様子。それはまあ、岐鋭錘の死後に遺体が解剖用に売り払われていたりだの、買い手がよりにもよって今をときめく出世頭の共兵部卿閣下だっただの、解剖後は寸分違わぬ解剖模型が作られただの、そんな話を聞かされて驚かぬ者がいたら顔が見てみたい。

 ただ、その客のなにがしは、こちらはこちらでなにを思ったか、

 ―――そなたがねだって睨まれたという銀の鍵、それはいま、共兵部卿閣下の手元にあるのではないか。

 と示唆してきた、のだという。

「つまり葎華のやつは、そう指摘されるまで、くだんの鍵が岐鋭錘の腹の中に入ったまま共どののところに行っているなどと、全く気づいておらなんだということだな」

「そ、そうなのですか⁈」

 今朝の王葎華の発言からして、てっきり宋灰廉の臨終の際の告白で、すぐに気づいていたと思い込んでいた。

「ああ、いかにもあやつらしい見栄の張りかただわい。葎華のやつは、おのれのいま暮らすこの観に、秘密の観宝があるなどとはいまでも知らぬ。それが銀の鍵であることもな」

「いまでも知らないのですか⁈」

「知らん知らん。それをあらかじめ知ってでもおらねば、いちいち古道具じみた銀の鍵などには誰も注目せぬわ」

「はあ、まあ、それは確かに」 

「生前の岐鋭錘が、銀の鍵など持っていたという話は、葎華のやつにとっては苦い思い出のエピソードだから覚えていて、疑うようなことを言われたから語って聞かせたというだけのこと、重要なアイテムだなどとは思っておらぬし、のちに今どこにあるかなどと考えたことは全くなかったはずだぞ」

 つまり、彼女はその客のなにがしから聞かされてはじめて、昔の愛人にねだって睨みつけられた鍵が、なにやら価値のあるものと知ったと言うことか。

「左様、それも、その客のなにがしは葎華のやつに、何も詳しいことを説明せぬまま、ただ探せと命じただけらしいな。それもあって王葎華はいまでも銀の鍵=玄牝観の秘密観宝と気づいておらぬわけだ」

 だとすると、どう考えてもその客のなにがしという者、はじめから銀の鍵の素性を知っていて、しかも、岐鋭錘が先代観長から強奪していったことも承知していたとしか思えない。

「一体、どこからどのように洩れたのやら…」

 老乾道は、苦虫を噛み潰したような顔でつぶやいた。

「菱先生は、岐鋭錘による観宝の鍵の無断拝借の件、よそでたれぞに喋ったりなど、しておらぬのですな?」

「当たり前だわい」

「では、ここの観長沈氏はいかがです」

「さて、当人に確認はしておらぬのだが、彼女がみずから進んで誰ぞに喋るというのは考えにくいと思うぞ。このことをを自ら口に出せば、わざわざ亡夫のことを思い出さざるを得ぬわけだからな」

 とはいえ絶対ではないから、本当なら当の観長沈氏に確認するべきなのだろうが、

「それをたずねるならば沈どのに理由を説明しなければならない。繰り返すが今回の件は、事情を知る人間をみだりに増やしたくない極秘事項であるから、それもはばかられる」

「当代観長の沈氏でないなら、先代観長、岐氏が生前に漏らしたか…」

「そうなると当人はなにしろ故人、確認のしようがないな」

「故人といえば岐鋭錘殿下本人も、生前にどこかで漏らした可能性はございましょうぞ。まあこのお方に関しては盗んでいった理由からしてよくわからぬわけだが」「いや、しかし王葎華どのが宴で接待した客のなにがしというのは、特定されておるのでしょう?それならその者をさっさとしょっ引いてきて、どこから知ったか尋問すればよいのでは」

「簡単に言うてくれるな。この宴に出席が赦されるような客は皆、相当な社会的地位の持ち主だ。華公代理閣下とて、おいそれと好き勝手ができる相手とそうでない相手というのが居るわ」

 とはいえ、その客のなにがしの身辺にも、すでに密偵は放たれておるそうで、情報をどこから得たのか知れるのは時間の問題とのこと。

「ただ、さらにわからぬ事―――それこそ儂がどう探りを入れても葎華のやつが答えようとせなんだことが、ひとつある」

「い、一体なんでございますか」  

「どういうわけか、葎華のやつ、息子の仁礼が焼け死んだとされた後も、鍵探しをあきらめなかった事だ」


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