第13話 銀の鍵

 王葎華の尋常でない反応にも、琅玕は、平然としていた。

「遺体の解剖時、胃や食道、小腸大腸など、腹のなかから異物が発見されることは結構あるものだ」

 彼女の剣幕など想定内と言わぬばかりに、講釈を垂れはじめる。

「服のボタン、小銭、指輪などの装身具、歯車や螺子ねじ等の何かの部品など、大概は口から呑み込んだ場合がほとんどだな。自然に排泄はいせつされる場合もあれば、何処かで引っかかって体内にとどまりつづける例もある」

 ことさら毒性のあるものでもないかぎり、その種の異物を飲み込んだからと言って、大半はなんの害もない場合がほとんどらしい。ただ、時には腸閉塞ちょうへいそくなどの疾患しっかんの原因になったりもする、のだそうだ。

「この場合はみ込んでから日があさく、特にこれと言って身体の害にはならなかった例だな。まあ、もっと長く体内にあればわからぬが、その前に赤熱病で死んでしまった」

 本来なら、解剖の際、こういうものが遺体の腹から出てきた時は、その価値にかかわらず、後日に衣類などと一緒に遺族に返却する、のだそうだ。

「が、まさか墓泥棒をしてきた遺体から出たものは、そういうわけにはいかぬ」

 それでなくても琅玕が墓から掘り出してくる遺体は、身元不明や天涯孤独など、遺族がそもそもいない場合も多いので、よほどの値打ちものでもない限り(そんなものが公共墓地の遺体から出てきたためしはないらしいが)、とりあえず、琅玕の手元で保管する。

 が、

「要するに、大概はしまい込んだきり放置だ。このての物は、かさばらない小さなものがほとんどだからな。一応、書斎の抽斗の中に小筐がひとつあって、そこに遺体から出たものをまとめて放り込んである」

 とはいえ、いつ何を入れたかなど、琅玕自身はいちいち覚えてなどいない、とのこと。

「ただし解剖時の記録には、いつどこの遺体の、どの部位からなにを取り出したか、それはかならずきっちり詳細に記載する。当然のことだ」

 出てきたものを無視する、記録にも残さぬということはあり得ないし、どんなものであれ捨ててしまうようなこともまずない、とのこと。

 …破落戸の苑環と、貧民街で語りあったその日。

 別邸に帰ってきてから、留守中に侵入者の形跡を発見した後、琅玕は紫翠を追っ払ってひとりでしばらく考えこみ、しかし思い当たる筋もなく、

「仕方がないので、脱色剤を撒き散らすような強引な手段を使うしかなかった」

 侵入者がそれに首尾よく引っかかってくれたからよかったが、と琅玕。

「いや、それは、普通引っかかるでしょう…」

 べつに琅玕をなぐさめるつもりではなく、腹から本音で紫翠は言った。脱色剤を床に撒くなど、そんな突拍子もない手段は琅玕以外の者がそうそう考えつくとは思えぬ。

「まあな。とにかくそうして侵入者である女中某を特定し、当人をとっちめて、目的のものが銀の鍵であることや、命じた者が御母堂、貴女であることなど、知っている限りのことを吐かせた」

 無論、銀の鍵そのものも、女中某から取り上げたが、

「ただし今、その“銀の鍵“をここには持ってきはいない」

 現物は、某所に隠してあるのだという。

 …琅玕は昨夜、その銀の鍵とやらを『たれも知らぬ場所』に隠したのち、だいぶ遅い時間帯ではあったが公邸へ戻って、

「ちと、義伯父貴おじきのところへ顔を出して参りましてな」

「え⁈」

 王葎華がなにか言う前に、紫翠の方が反応してしまった。

「な、なぜここに華公閣下の御名おんなが出てくるのですか」

「華公閣下であるぞ、代理。代理をつけぬとあのお方は怒り出すゆえな」

 などと、どうでもいいことを琅玕は呑気に突っ込んだ。

 ―――華公代理閣下・緑閃りょくせん

 ここ華国のあるじ、国主の一族・華氏の頂点に現在、君臨する人物である。

 早世した先代華公夫人の異母兄。先代華公夫妻は、夫婦揃って若くして世を去ったが、その際に忘れ形見であるひとり娘を遺した。このひとり娘がつまりは華氏の跡取りオメガで、現在、琅玕の正妻である。

 華緑閃は、そのひとり娘の伯父であり後見人の地位にある。彼女の両親の死後、『代理』の肩書きで国政の全権を掌握し、跡取りオメガである姪の婿に琅玕を指名した当の本人でもあった。

 琅玕にとっては。いわば恩人で、日頃どうにも人を人臭いとも思わぬ性分の琅玕も、この義伯父に対してだけはさすがに、なみなみならぬ敬意を表して接するという。

 が、

「この一件、華公代理閣下御本人が御出馬なさるような重大事件なのですか」

 紫翠のような新米木っ端役人としては、名前が出るだけでもつい恐縮してしまうが、

「出張りはせぬだろうが、色々と聞きたいことがあったのだ」

「聞きたいことって何です、一体」

「ひとつやふたつではないから、説明が大変なのだが、まあ一番はこちらの御母堂の件だ」

 御母堂とうちの義伯父貴とは、ひとかたならぬ御縁がおありであらせられる、と琅玕は謎のようなことを言い出した。

 詳細は長くなるゆえ後で解説してやる、などと言いながら、琅玕はあらためて王葎華に向き直り、

「念を押しますが、貴女が欲しがっていたのは、この“銀の鍵“にそうございますまいな?」

 と、異論をゆるさぬ勢いでだんずる。

 王葎華は、無言のまま般若はんにゃのごとき形相で琅玕を凝視。が、すぐにそれはふてくされたような表情に変わり、やはり無言のまま、顔をそらした。

「この場合の沈黙は肯定とみなします」

 琅玕、無慈悲むじひ一刀両断いっとうりょうだん

 それでも、王葎華は強情に沈黙を続けたので、今度は琅玕は解剖所見の頭部とうぶ素描の頁を出して、

「確認するまでもないかも知れませぬが」

 王葎華の目の前に、無理矢理突き出すように、それを広げてみせた。

「…」

 さすがに、王葎華が目を見張った。

 先刻、琅玕の手から所見を奪い取って凝視していたのは、あくまで消化管から異物として回収された銀の鍵に関する記述の部分のみであったようだ。

 頭部の素描をこう目前もくぜんにしたのは、どうも、いまがはじめてである模様。紫翠がさきのせんしょう王家おうけの第二王子、玉髄ぎょくずいと見間違え、琅玕と苑環は王仁礼と勘違いしかけたその素描を、食い入るように眺め、暫時ざんじ硬直したかのように動かず、しばらくしてようやく口を開き、

「…このかたのお亡骸なきがら、本当に、あなたが腑分けなさったのですか」

 と、うわごとでもつぶやくようにそう聞いてきた。

「それはもう間違いなく。…こちらが御子息の父親、かつて貴女のもとへ通っていた人物で、お間違いありませぬな?」

 と琅玕に逆に訊かれ、わずかに迷ったようだが、やがて渋々といった様子でうなずいた。

「結構。それでは、この御仁の素性をご存知ですか」

「…ええ」

「先尖晶王家の第一王子、えいすい殿下ですな?」

「そう聞いております」

 少しは気も落ち着いたか、あるいはあきらめたか、口がほぐれて来たようだった。

 もっとも琅玕は、そんな王葎華の様子には、あまりこまやかに構ってやるつもりはないようで、

「彼は、なぜこんな鍵などを飲み込んでなどいたのです?いんか、それともなにか目的あってのことか」

 ずけずけと、遠慮えんりょに切り込んだ。

「…それは、わたくしにもわかりませぬ」

 彼のお人が、最後に妾の元に通ってきた時は、以前と変わらず細い鎖で首に下げていたはずです、それ以降はどうか知りませんが、と王葎華。

「なにしろ妾は、彼のお人の素性もさることながら、通いが途絶えた理由が、当の本人がお亡くなりになってしまったゆえだなどと知ったのは、ごく最近になってのことなのです」

「ああなるほど、では、岐鋭錘殿下の臨終りんじゅうに立ち会った前尖晶王家の御家族にあたるほかないわけですな」

「閣下、閣下、前尖晶王家の一族のかたはみな、すでにお亡くなりのはずでは」

「ん?ああそうか、それもそうだったな」

 それは困った、などと天井を仰ぐ琅玕。

 が、

「仮にご一族の方々が生きておいでだったとしても、ご存じだったとは思えませぬ」

 憶測だが、鍵は隠して持っていたのではなかろうか、と王葎華。

「ほう、そのように思われる理由は何です」

「彼のお人、どうやら、そうとうこの鍵に執着しゅうちゃくをしていたらしいふしがございますゆえ」

 彼女はその当時、逢瀬おうせの際に、たわむれにこの鍵を欲しいとねだったことがあるそうで、そのとき、それまではしごく機嫌よくしていた岐鋭錘が、

「聞いた途端とたん、底冷えのするような目つきでにらみつけられた」

 のだそうだ。

「ほう、御母堂、貴女はなぜそのとき、それを欲しがったのです」

 が、琅玕は、王葎華の語る岐鋭錘の反応もさることながら、そちらの方に興味を持ったようだった。

「閣下、そういうことは、さっして差し上げて下さいませ」

 女人にょにんに対して失礼にあたる、と横から、紫翠がたしなめる。

 この国で、貴人の男が身分のひくいせいの女のもとにひそかに通う場合、滅多めったなことでは真の身分を明かすようなことはない。が、そのかわり身につけたしょうや装身具などを女に渡しておく習慣があった。もし女がごもるようなことがあれば、女は渡されたものをたずさえて、しかるべき筋に申し出る。もし身篭らず、いずれ男の通いが途絶とだえることがあっても、渡されたものを売れば幾許いくばくかの金になる。

 推察するところ、王葎華はその種のものを、岐鋭錘からは渡されていないものと思われる。

 琅玕は、不満げな顔で、

「そんな事は俺とて知ってはおるさ。この場合、男から女に渡しておく物品は、要するにぶんしょうであると同時にたんのようなものだろう」

 と、身もふたもないことを言い出した。

「だからこそ一般には、個人を特定しやすい、できれば家紋かもん署名しょめいなどのはいったもので、かつ市場価値の高いものを女に渡すのが望ましいとされておるな。だが例の鍵は、まあまあった細工の彫刻がほどこされてはおったが、何処ぞの家柄を示すような図案ずあんは全く見当たらず、それに、所詮しょせんはたかが銀の鍵で、宝石がめ込まれているわけでもなし、高名なたくみの手になるものでもない。仮にあれを売ったところで二束三文にしかなるまいよ」

「それは現実的にはそうでしょうが、この場合、ものの価値はくにしろ、男性側から渡されるというのが重要なのです、男としての義務から逃げぬ、誠意のあらわれを示すもので、つまりは愛情の証明なのですから」

「なら余計におかしいではないか、男の側から自発的に渡されるのを待つならわかるが、女の側からねだるのでは意味があるまい」

 紫翠は頭を抱えたくなった。琅玕が、夢やロマンをありがたがるような性分ではないのは身に染みてよく知っているが、それが気にならないのは紫翠なればこそである。世間並の女ならこんなことを言われれば普通は腹を立てる。

 王葎華が、さぞかし気分を害しているだろうと思い、ともかくも琅玕を黙らせた紫翠が謝罪をすると、

「何もかも、昔のことですから」

 むしろ、もはや今更そんなことはどうでも良いと言いたげな仏頂面ぶっちょうづら

 そして、

「なんにせよ、あのお方は、相手が誰であれ、あの銀の鍵をたれぞに預けるなり、れてやるなりする気はいっさいなかった御様子。であれば、そういうものをお持ちであること自体を、周囲には秘しておられたのではございますまいか」

 それは確かに説得力ある説である。鍵のことを知る者が身近にいれば、なにかのはずみで鍵を奪い取られたり、盗まれたりすることも考えられる。

「しかし、まさか御自分が病でこうも早く死んでしまうなど、いくらなんでも予想外のことではなかったかと」

 …病床でおのれの死が近いことをさとり、たとえ死後でも鍵が余人の手に渡ることが我慢ならず、たれも周囲に目撃者のおらぬ状況で鍵をみずから飲み込んだのではないか。

「念を押しますが、憶測ですよ。実際のところはどうなのか、それは誰にもわかりますまい」

 普通なら、飲み込んで腹の内に隠した上で死んでしまえば未来永劫、鍵はたれのものにもならずに済むはずである。まさか死後に自分の遺体が承諾しょうだくもなしに解剖されるなど、そんなふざけた未来を予知できる者はおるまい。

「なるほど、赤熱病はかかれば急激に症状が悪化する。動けなくなってから死に至るまでほんの数日となれば、鍵をよそに隠しに行くような余裕はたしかにないでしょうな」

 物的根拠はないにしろ、琅玕も、王葎華の説にはそれなりに現実味を感じた様子だった。

「しかし岐鋭錘殿下が、そこまでこの鍵に執着なさったのも不思議だが、理由にお心当たりは?」

 そう訊かれた王葎華は、ふいと視線を外し、再度沈黙。一時的に妙に饒舌じょうぜつではあったが、かといって何でもかんでも全部ぶちまけてしまえと言うほどの気分ではないようだ。

 双方、暫時だんまりが続いたが、結局は口火を切ったのは琅玕の方だった。

「これが、交換条件になるかどうか解らぬが」

 と、妙な前置きをして、

「いまからでも遅くはない、御子息の遺体の解剖を許可していただきたい。屍の腹を開いて臓器を確認さえ出来れば―――あるいは、貴女の御子息、王仁礼は、どこかで生きているやも知れぬ」

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