第7話 没落王家

 一方で、琅玕の方は例によって、彼の反応など意にも介していない。

「ただなあ、前にも言ったが、俺はそうやって墓場から盗んできた遺体の、生前の身元というやつにはほとんどこだわったことがないのだ」

 そうは言っても、遺体は主に貧困層むけの共同墓地が供給元なのだから、そうそう変わり映えのする屍に出くわすことはない。これまでは、そう思ってきたし、実際に遺体だけを見るかぎり、特に不思議に思うようなことは一度もなかった、とか。

 つらつらと説明を続けながら、卓上の解剖所見の紙束に視線を落とすと、

「ただ、あらためて記憶の糸を手繰たぐるに、この遺体を入手したときは、若干状況が違っていたのを思い出してな」

 このときはめずらしく、すでに埋葬されたものを掘り起こすのではなく、埋葬前に直接そのまま、棺ごと当時の俺の解剖小屋に遺体が運び込まれたのだ、と琅玕。

「そもそも遺体を非合法に入手する際、なぜ埋葬後、墓をわざわざ掘り返すような面倒をする必要があるのか、それにはちゃんと理由がある」

 身寄りが全くない、あとくされのない遺体、或いは遺族の黙認をとりつけた者の遺体なら、いちいち埋めず、そのまま直接に琅玕の手元に運んでしまった方が、それは手っ取り早いのは確かではある。

「それをことさら、手間賃をはずんで人を雇ってまで、いちど土中に埋葬されたものをわざわざ掘り起こして持っていくのは、一見すると無駄にも見えるがな。これは表向き、当人や遺族とは無関係を装い、墓泥棒一味が勝手に遺体を盗んでいったていをつくろうためだ。でなければ遺族もふくめ、ことの次第を黙認してくれた協力者一同に迷惑がかかる」

 それはそうだろう。

「だが、この遺体のときは俺は、墓地に出向いてもおらぬし、遺族に直接会って交渉してもいない。どこの何者で、どんな経緯で遺体を提供することになったのか、全く聞かされておらぬのだ」

 このときの段取りをしたのは、やはり苑の爺だという。

「いわく、詳細は言えぬが今回は特別だ、わざわざ埋めたあとで掘り返さなくても絶対に問題は起きぬ、と言っていた。それはさすがにおぼえている。そのころの俺は、とにかく解剖できる遺体が入手できればそれで良かったからな、苑の爺がそう言うならと、それ以上深くは考えなかったのだが」

 まさか今になって、遺体が生前、貴い血筋に生まれたものだなどという、悪い冗談のような事実が浮かび上がってくるとは。

「コラ苑環、お前、いくらそのころお前自身は子供で、直接かかわってはおらぬと言っても、親父からなにも聞かされておらんとは言わさんぞ」

 琅玕が、行儀悪く足をのばして、苑環のすねのあたりを爪先つまさきでつつく。というか、蹴り上げる。

 苑環は、悲鳴をあげた。

「わかった、わかりましたよ。本当におっかねえ先生だな」

 これでホントに良い所のお坊ちゃんなのかね、世間知らずが聞いて呆れらあ、などとぶつぶつこぼした。


 

 

 

 「要するに、この尖晶王家っつうお家はね、いわゆる絵に描いたような斜陽しゃようぞくっつう奴だったんでやすよ」

 放蕩ほうとうもののご当主さまが何代か続けて出たとかいう話でな、と苑環。

「王家たあ名ばかり、累代るいだいの財産はほとんど手放しちまって、体裁ていさいを取りつくろうのが精一杯っつうとこまで落ちぶれなすってたっつう話だ」

 その世話を焼いたのが、これまたうちの親父っつう寸法よ、と苑環。

「先生とか尖晶王家とか、うちの親父は存外、高貴なお方に信頼されるたちだったようでなあ。おかげで俺も餓鬼の時分、いろいろ手伝わされたからよく覚えてまさあ」

 つったって先生の世話を焼くのたあ種類が違うぜ、と当たり前の事を言う。尖晶王家の者が屍を欲しがるわけがない。

「ナニ、ときおり家令だの、女中頭だの云う人らに呼び出されてな、あつらえもののそろいの銀食器だの、調度品だのお着物だの骨董品だの何だの、そういうもんをな、色々預けられるわけだ。んでこっちは、そいつを金に替えて持ってくわけさ」

「売り食いのたけのこ生活か、没落名家の典型だな」

「全く諸行は無常なもんですよ、哀しいねえ。しかしまあ、なんぼ零落れいらくしたつっても、まさか跡取り息子のご遺体まで金に替えさすたあ、あのときはさすがの親父も驚いたと言ってましたさ」

「…!」

 あまりのことに言葉もない紫翠を尻目に、琅玕は、おおかたの予想はしていたものか、

「ふん、まるで先方から言い出したように聞こえるが、実際にはどうせ、話を持ちかけたのは苑の爺の方からだろう」

 貴金属や骨董品のたぐいを金に替えようと考える者ならいくらでもいる。が、屍が金になるなぞ普通の人間は思いもすまい。

「ま、多分そうだろうね」

 残念ながらうちの親父も、そこまで俺に吐いてから死んだわけじゃねえから確証はねえんだ、と苑環。

「それでも先生の仰る通り、うちの親父の方から言い出したと考える方がそりゃ自然ってもんだよな。先生みたいな人種の面倒見慣れてなけりゃ、こんなこたあ思いつくまいよ」

 なんにせよ、どちらが言い出したことであれ、そのくらい、当時の尖晶王家が経済的に困窮していた、ということには変わりない。

「けどまあなんだ、うちの親父が、ことの次第を先生に黙ってたのは、ここはひとつ先生のおためを思ってってことで、なんとか勘弁してやっちゃくれませんかね」

 じつのところ琅玕がその当時、貧困層の埋葬される墓地で夜な夜な墓泥棒を繰り返していることは、当局も薄々知ってのことだったらしい。

「お上もな、遺族や生前の当人が納得ずくっつう事くらいは知ってたのさ。自分らさえ見て見ぬふりしてりゃ、どこも困らねえってんなら、役人なんざあ横着なもんだし、面倒がっていちいち引っ張りにゃ来ねえよ。おっと失礼、あんたも役人だったな。まあここだけの話ってことで勘弁してくれ」

 琅玕と同じようなことを言う。

 しかし、持ち去る遺体がたとえ没落した身とはいえ、仮にも皇族のそれともなれば、さすがに当局に露見して黙認とは行くまい。

「もしお上にばれたって、先生だけはなんにも知らなかったことにしとけば、あとは親父たちが引っ張られるだけで済む。先生はおとがめなし――は無理でも、まあ微罪で済まねえこともないでしょ、そこはなんだかんだで良家の御曹司さまなんだし」

「ふん、心遣いに涙が出るな」

 当の琅玕は、あまりありがたそうでもない。

 苑環が、亡き父から聞いたところによれば、尖晶王家で葬儀を執り行う際、獣の屍を入れた棺をもうひとつ用意し、直前に棺をすりかえて埋葬したのだそうだ。

「ひでえもんさ、なんせそのころは、くだんの王家は使用人なんぞほとんど解雇しちまってて、葬儀の人手からして全然足りてなかったっつうからな。だからうちの親父が子分ども連れて、下働きに臨時雇いされなきゃ、葬式自体が立ちゆかなかったんじゃねえかと言ってやしたね。おかげで小細工なんざいくらでもしほうだい、怪しむやつなんざだーれも居やしなかったとさ、なんせ周りはみんなお仲間だからな」

 なんともはや、感想の言いようがない。無茶苦茶な話もあればあったものだ。

「で、本物の王子殿下―――兄貴の方、第一王子の岐鋭錘殿下の御遺体は、右から左に先生のところへ直行と」

 あとはいちいち言う必要もねえだろ、と苑環。

「ふむ。…」

 かたわらであきれはてる紫翠のことなど放置して、琅玕は、あらためて解剖所見をめくりはじめた。

「死因は、せき熱病ねつびょうなのだな」

「はあ、そうなのですか」

 紫翠は、伝聞でしか知らない。

 罹患すれば高熱を発し、全身が真っ赤に膨れ上がることによりその名がついたこの病は致死率も高い。数年をかけて地上の人口を半減させたとすら言われる。

 墓場はすぐ満杯、道端には片付ける者もない屍が山積みになり、それが数里にわたって続いた、等々の逸話には事欠かない。いまでも一定以上の年齢の人間のあいだでは語り草になっているようだが、当の紫翠は二十年前、ちょうど病が猖獗しょうけつをきわめている時分に産まれた年頃である。幸いにも感染することなく済み、ものごころつくころには流行はほぼおさまっていたから、話に聞くばかりで実感はない。

「岐鋭錘殿下は、赤熱病の流行りはじめの頃の死人だったからなあ。おかげて餓鬼だった俺でもよく覚えてまさあ。その後は滝の水でも流すような勢いで人が死んでくのが当たり前になっちまったから、誰がいつ死んだかなんぞいちいち覚えちゃいられなくなっちまったが」

「あの当時はこの病で死んだ遺体を数え切れぬほど解剖したものだ。あれは身体各所の粘膜や消化器官、皮下での多大な出血が見られる。全身が赤く見えるようになるのはそのせいだ」

 そのほかにも特徴的な症状について琅玕はごちゃごちゃと語っていたが、紫翠には半分以上わからなかった。それは苑環も同様のようで、止めるのも面倒だから自然に止むのを待っていると言わんばかりの顔つきで薄笑いを浮かべている。

 

 

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