第5話 相似
義姉から、肖像画をなかば強引に借り受け、ろくに事情も説明せぬままふたりはとっとと退散した。
そして今度は、琅玕の先導で街中へと足を運ぶ。
「…閣下、一体、どちらへ向かっておられるのですか」
実は、紫翠は行き先をまったく聞かされていない。
が、どういうわけか周囲の風景に見覚えのある
先日、火災で焼け落ちた安宿の近所だった。
世辞にも巷の
が、肝心の琅玕は、そんなことは意にも介していない。
「ここだ」
やがて立ち止まった先は、薄汚れた安酒場の前だった。
小汚いなりに、繁盛はしているようで、扉の外にいても酔漢どもの
「…閣下、一体こちらにどのような御用でございますか」
戸惑う紫翠を構わず
「ああら、これはこれは共先生、じゃなくて兵部卿閣下、お久しぶりじゃありませんか」
わざとらしく高い声をあげて、厚化粧の年増女が寄ってきた。
「よろしいんですか、うちなんかに出入りして。可愛いお
そんなことを言いながら、琅玕にしなだれかかろうとして、背後の紫翠の容貌にぎょっとして半歩後ずさる。
琅玕は、相手にしない。
「
ぶっきらぼうに、そう問うた。
「上にしけこんでますけど…」
それだけ聞けばもう用はないとばかりに、指先で銀粒をひとつ弾きとばして放りながら、足早に階段へと向かう。
階上には、個室がいくつか並んでいた。
「うわっ、な、なんだ」
叩扉もせずに勝手に扉を開けては、早くも女の上で
(意外と、閣下はこういう所でのお遊びに精通しているのだろうか)
「痛え!だ、誰かと思えば先生じゃねえか、何事だい」
「いいから早く来い」
まだ若い男である。素っ裸のまま、琅玕にひったてられるようにして、空室のひとつにたたき込まれた。
琅玕も紫翠を連れて部屋に入ると、念入りに内側から鍵をかけた。
「先生よう、久しぶりだってのにひでえなあ、一体なんなんだ」
「聞きたいことがあるのだ」
正直に答えれば、あとで金でも酒でもなんでもくれてやる、そう言うと、裸で床にじかに座り込んだままの男に着物を放った。
苑環とやら言う男が服を着るのを待って、琅玕は、ものも言わず彼の目の前に、くだんの解剖所見の素描を突き出した。
「なんだいこりゃあ、誰かと思や、王仁礼じゃねえですかい」
あいつは絵描きのモデルなんぞやってたのか、それにしちゃ古い紙だな、などと苑環は、
その言に、紫翠が目をみはって驚く。
横から、
「王仁礼を、
「ぎ、妓楼?」
琅玕の
「細かいことはあとだ、肖像画を出せ」
琅玕に
「ん?ああこの素描の完成品がこれですかい。王仁礼の野郎、売れっ
そこで急に言葉を切って、
「…いや、変だな。こんな
こっちの素描も紙が日焼けしてやがる、などとぶつぶつ呟き、
「まさかと思うが先生、こりゃ、骨董品の
「そんなわけがなかろう」
「だったら一体なんの
先刻までとは人の違ったような
紫翠の義姉の説明によれば、“お
「嫁入りで、華にご帰国なさったそうですが」
この肖像画は、北師に暮らした娘時代からの持ち物であるらしい。
紫翠の
「苑環、お前も北師の出だったはずだな」
かたわらの椅子に腰かけ、腕を組んでふんぞり返り、目の前のやさぐれ男を
やさぐれ男は、存外まじめな顔で、素描と肖像画をかわるがわる見比べている。
「この肖像画の人物について、なんぞ知っていることがあるだろう」
「ええ、そりゃ多少は知ってまさあね」
――岐玉髄の肖像、尖晶王家第二王子。
「王家ってなあ、要するに、岐の
尖晶王家ってのはそのうちの一つでさ、とやさぐれ男。
皇帝の兄弟、あるいはその息子や孫など、
「ただ、俺ぁなんせ
苑環なるやさぐれ男は、ぐいと首を曲げて紫翠の方を向き、
「ちょいと整理さして下せえよ。そっちのおっかねえ顔のお役人さん、いやさ先生の
「はあ、
「んで、あんたは肖像画のモデルの素性までは知らなかったが、どうあれ肖像画になるような有名人が一体なんで解剖なぞされているのかと驚いた。そりゃそうだな。ところが当の先生は、大昔に自分が切り刻んだ遺体のことなんぞすっかり忘れてて、そのくせあらためて素描見せられて、どういうわけか全然別人の―――自分とこの奉公人だった王仁礼のことを思い出したと」
無言で
「そんで、わけがわからなくて俺んとこに
「
琅玕に再度睨みつけられ、
「なんと解くもなにも、どうせ先生のこった、もうとっくに仮説のひとつやふたつ、思いついてんじゃねえのかい」
そいつを先に聞かせてほしいなあ、と苑環。
「なまいきな事を言いおって。…まあいい、だったら聞かせてやるが、その前に念のため、さきに紫翠に聞きたいことがある」
「はい?」
「お前、さきごろ焼死した王仁礼の、生前の顔を知っていたか」
「いいえ、火災の現場で黒焦げの遺体をちらりと見たきりです」
閣下がいらしてすぐに御一緒に現場を離れてしまったので、それすら一瞬でした、と紫翠。
「だろうな」
「そりゃいいが、先生よう、あんたはあんたで、その昔に北師の
「知らんな。俺は世間の
「やれやれ、先生らしいっちゃらしいが…」
「ともかくだ、つまり、俺やこの苑環が、この解剖所見の素描や、こっちの肖像画を見せられて、まず思い出したのは焼け死んだ王仁礼の方だ。つまりかつて俺が切り刻んだこの遺体と、紫翠、お前の実家にあったこの肖像画の人物と、死んだ王仁礼の三者は、同一人物と言って通るほどによく似ている―――ということだな」
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