第7話 手招く群れ

 閑散かんさんとした商店街を歩きながら、一樹と奈緒は肩を並べて歩いていた。さすがにあのまま図書館で激論するわけにもいかず、気持ちを切り替える意味でも場所を変えようと思ったのだ。


 活気づいているとは言いづらい商店街の通りを進みながら、ため息をついた後、一樹は告げた。先程に比べ、随分と思考が整理できている。


「大女優に勝つ、か。俺一人じゃあ、絶対に思いつかなかった発想だな」


 対し、隣を歩く奈緒はどこか嬉しそうに、力強く頷いた。


「絶対勝てるよ。だって、そもそもあの“おばさん”、自分で書けやしないんでしょう? だったら一樹君が、しっかりとしたオリジナル作品をぶつけたら、一撃でお陀仏だぶつだよ」


 ――いきなりガラが悪くなったな、おい。


 奈緒の勝気な視線にたじろぎつつ、苦笑を返す一樹。奈緒の中では女優・黒住は、もはや完全な“敵”とみなされたのだろう。

 なにも生き死にの戦争をしかけるわけではないのだが、ある意味で社会的な地位をかけた戦いということなら、これは非常に重要な“転機”になりかねないのかもしれない。


「けど、相手は大女優だぜ? あれやこれや根回しもできるだろうし、そもそも出版社もあいつの味方だろうから、俺がなにかしても徹底的に潰しに来るんじゃあないか?」

「そりゃあ、まあ、汚いことは色々してくるだろうけどさ。でも本当に面白いものかどうかは、きっと分かると思うんだけどなぁ」


 いまだに奈緒は、心のどこかで世間の“真っ当さ”を願ってもいるのだろう。それがどこか都合の良い願望であることに、一樹はまたも苦笑してしまう。


「そうだと良いんだけどね。俺のあの作品だって、もう何度も出版社に持ち込んでるけど、毎回、適当にあしらわれて終わりさ。この前も“ウリがない”だのって言われたばかりだからね」

「失礼だなぁ。人に“代筆”させてる分際で、何様なのよ。ああん?」


 ――一体、誰に向けて凄んでいるのか。


 コロコロと変わる奈緒の表情を見ていると、なんともおかしくなってしまう。

 

 恐らくこのまま、一樹が真っ当に戦いを仕掛けたところで、結果は見えているのだろう。出版社と女優はずぶずぶの関係を作り上げているだろうし、一樹の作品をすんなりと受け入れてくれるとは思い難い。


 信じたくないが、それでも世間というものは、そういった見えない“幽霊”のような仕組みの数々が裏側でうごめき、噛み合い、回っているのだろう。


 力なくため息をつきながら、一樹は商店街を眺め、歩き続ける。ベンチに並んで座り、たこ焼きを食べている女子高生達を横目に進んでいく。


 一方でなにやら、隣を歩く奈緒は真剣に考えているようだった。


「作品の“ウリ”、か……」

「ん、どうしたの?」

「それ、編集者の人が言ったんだよね?」


 彼女の意図がいまいち汲み取れないが、ひとまず一樹は「ああ」と返す。

 またなにか悪態をつくのかと思ったが、奈緒は意外にもその一言から天啓を得たらしい。


「そう、それだ――“唯一無二のウリ”! これだよ!!」


 突然の大声にたじろぐ一樹。奈緒はこちらを振り向き、思いを告げる。


「一樹君にしか書けないものを題材にすればいいんだよ。そうすれば、絶対に誰にも負けない“リアル”な作品になるでしょう?」

「そ、それは、まぁそうだけど。でも、俺にしか書けないものなんて――」

「あるじゃない、一樹君だけしかできない――あ、正確には“私も”できるか」


 いまいち、一樹には彼女の真意がくみ取れない。どこか意地悪に笑う奈緒に、一樹はむすっとしながら問いかける。


「なんだよ、それ。なぞなぞ? 俺と君にだけできること――」


 言いかけて、一樹は思わず足を止めてしまった。本能的に、反射的に、その“答え”に辿り着いてしまったのだ。

 だがだからこそ、一樹は奈緒に眉をひそめてしまう。

 もし“答え”が合っているとすれば、彼女はあまりにも破天荒な提案をしようとしているのだから。


 恐る恐る、一樹は自身の“目”を指差した。


「おい、それってまさか……」

「そう、それだよ!! 一樹君は“幽霊”が視えるんでしょう? それを題材に、物語を書けばいいんだよ」


 ぎょっとし、声を上げてしまう一樹。隣を通り過ぎた自転車の男性が、一樹を見つめて驚いていた。


「おい、おいおいおいおいおい……本気で言ってる、それ?」

「もちろん。良かったぁ、これで何とかなりそうだね!」

「おい、待て待て待て! ちょっと待ってくれ。お、俺が視た“幽霊”を題材にするっていうのか!?」


 勝手に納得しようとする奈緒を引き止める。慌てて一樹は、大げさな身振りで反論した。


「たしかにそりゃ、こんな力は俺と君くらいしか持っていないけどさ。でも、だからってそれを題材にするってのは……」

「でも他の小説家には、絶対できないことでしょ? なにせ、どんなホラー作家も“本物の幽霊”なんて視えないんだから」

「そりゃあ、そうだけどさぁ……だけど、俺らは“あれ”が視えるだけで、その原理だの正体だのは、何一つ分からないんだぜ? それをどうやって……」

「決まってるでしょ。改めて“幽霊”について調べるんだよ。そうやって、リアリティを増強するの。私だって、協力できると思うし!」


 簡単に言ってのける奈緒に、一樹は口をあんぐりと開けてしまう。何から何までこの奈緒という女性は、本気で述べているのだ。

 

 ――冗談じゃあない。


 ただでさえ、授かったことを悔やんでいるこの“能力”を、あえて使って“幽霊”を視る。そしてその存在について調べ、それを小説の題材として使うなど、一樹からすれば無謀極まりない策に思えた。


 だが、徹底否定しようとする一樹を前に、奈緒はまるで揺らぐことなく、力強い歩みのまま語る。


「私、小説の面白さは、その中に秘められた“リアリティ”が大きく関わってくるって思うんだよね」

「“リアリティ”、か……」

「うん。もちろん、物語ってのは作り話なんだろうけど、だからといって適当にあることないことを連ねただけじゃあ、読んでる人には分かっちゃうと思うんだ。ホラーならホラーなりの、ファンタジーならファンタジーなりの揺らがない“世界観”が必要なんだと思うの」


 奈緒の持論を聞き、一樹も思いを巡らせてしまう。


 ――一理はある。


 一樹自身も、小説を読む際、それに似た感覚を覚えたことはある。

 どんなに卓越した文章があろうとも、どこまで緻密なプロットがあろうとも、そこに据えられた登場人物や物事の背景が適当であると、一気に作品全体がチープになってしまいかねない。

 どんな架空の世界だろうと、その世界観がありえる“リアリティ”が必要なのだ。それを受け、読み手は深く“納得”し、その世界に自身を投影できるのだろう。


 テンションに任せて話しているようで、この奈緒という女性はどこか本質めいたことを口走るのだから油断できない。

 思わず顎に手を当て考えてしまう一樹のポケットで、不意にスマートフォンが振動した。


 足を止め、奈緒に断って電話に出る。

 それは、出版社の人間――担当編集者・田中からだった。


「はい。ええ、今日は特に――え、今からですか?」


 一樹の言葉を横で聞きながら、奈緒はじっと通話が終わるのを待っている。

 やがて電話を切った一樹は、眉間にしわを寄せ、ため息をついた。


「ごめん。急遽、呼び出しくらっちゃったよ。これから出版社で打合せ――ああ、もちろん、『ラブ&ゴースト』の方だけどね。残念ながら」


 少しでも奈緒を真似ようと、あえて悪態を多めについて見せる一樹。奈緒は「あらあ」と、一緒に残念がってくれる。その子供っぽい仕草も、随分と一樹にとっては救いになるのだ。


「そっかぁ。じゃあ、今日はここまでだねえ。また作戦、考えないとね」

「まぁ、ねえ。なんていうか、その……色々、ごめんね。君まで巻き込む形になっちゃってさ」

「ううん、全然! むしろ、一樹君の新しい“目標”の手助けができるなら、嬉しいよ!」


 何から何まで、眩しい女性だ。一樹は目の前のキラキラした眼差しに、精一杯応えるように笑って返した。


 二人はそのまま商店街を進み、その先の駅へとたどり着く。

 出版社に行くためにはここから電車で3駅ほどで、偶然にも奈緒も同じ方向の線に乗るらしい。

 

 ホームの人影はまばらだ。一樹と奈緒は階段を下りてすぐのところで、大人しく電車を待つ。


 鞄を担ぎなおす一樹に、隣に立つ奈緒はおもむろに問いかけてきた。

 

「でも一樹君、“幽霊”が視えることを嫌がるわりには、ホラーや怪奇ものを書いてるんだよね。なんだか随分、あまのじゃくなんだね」

「まぁ、ね。そりゃあ、“幽霊”ってのは本当に苦手なんだけど、元々、好きになった作品の影響が強いって言うか……」


 濁す一樹の顔を「興味津々」と言いたげに、奈緒は覗き込んできた。

 その子供っぽい眼差しにくすりと笑い、一樹は観念する。


「“烏真紘彦からすまひろひこ”って作家、知ってる?」

「うん、知ってるよ。それって、怪奇小説の大御所中の大御所だよね?」


 ならば話が早い――一樹は自然なトーンで、続けた。


「俺が小説を読みだしたのは、その烏真からすま先生の一作――“呪喰のろいぐい”ってのを読んだのがきっかけなんだ。実家の親父がたまたま持ってたのを、暇つぶしで読んでみたんだけど、これがドはまりしちゃってさ」


 素直に「へええ」と感嘆する奈緒。一樹はちらりと横目で見て、笑う。


「先生の作品は、もちろん怖い描写もたくさん出てくるんだけど、なんていうか、こう、“ならでは”の味があってさ。恐怖よりも“好奇心”がくすぐられて、のめり込む世界観なんだよ」

「へえ。私も名前は知ってたけど、読んだことなかったなぁ」

「結構、難しい言葉が多く出てくるから、体力は使うんだけどね。けど、その“奇妙な世界”が好きで好きで――だからきっと、無意識に似たようなものを書こうとするのかもしれないね」


 きっとそれは、知らず知らずのうちに一樹が心に抱いた、“憧れ”がそうさせているのかもしれない。

 改めて自分を支える大御所作家の名前に、思いを馳せてしまった。


 他愛のない会話を交わしていると、駅の側の踏切が鳴り響き始める。遠くに、こちらに向かってくる車両の姿が見えた。


 一樹はなにげなく、車両の姿から駅のホームへと視線を流す。

 そして一点――ある違和感に気付いてしまった。


 思わず、それこそ無意識に言葉が漏れる。


「あの人……」

「え、どうしたの?」

「なあ、あれ、なんか変じゃないか?」


 言われるがまま、奈緒もまた視線を向ける。

 ホームの先――一樹らから離れた位置のベンチから、一人の女性が立ち上がり、ゆらゆらと前へと進んでいく。


 正真正銘、生きている女性だ。タイトなミニスカートとブラウスを身に着けた、どこか洒落た格好をしている。

 

 だが、なにかがおかしい。

 足取りはふらついていて、視線は虚ろだ。そもそも、まだ電車はホームに辿り着いていないのに、一歩、また一歩と線路側へと近付いていく。


 一瞬、ちらりと見えた眼差しに、一樹と奈緒は絶句してしまった。


 女性は白目を剥いている。意識がないのか、だらりと開かれた口元からはよだれが垂れ、口元だけでなく首やブラウスを微かに汚していた。


 ぐんぐんと近付いてくる電車が、汽笛を鳴らす。そのけたたましい音で、二人は我に返った。


 奈緒が反射的に、悲鳴にも似た声で叫ぶ。


「駄目……駄目だよ、このままじゃ――!」


 その一言が引き金になったように、一樹は気が付いた時には駆け出していた。緩やかに加速を始めた足は、気が付いた時には力強くアスファルトを踏み、肉体を前に押し出す。


 背後では奈緒の声が聞こえた。だが覚醒する意識の中で、一樹は本能的に走り、女性へと近付く。


 電車が近付き、何度も汽笛を鳴らす。女性がまた一歩踏み出し、線路へと自身の体を押し込もうとした。


 ぐらり、と細い身体が傾く。頭がぐうと吸い込まれるように、向かってくる電車に向かって倒れていった。


 ごおおお、と電車がホームになだれ込み、突風が駆け抜ける。その風を全身に受けながら、気が付いた時には一樹はさらに強く地面を蹴り、女性目掛けて跳んでいた。


 自分自身、なぜここまで咄嗟とっさに動けたのかは分からない。だが気付いた時には、一樹は女性を抱きかかえ、ホームへと倒れ込んでいた。


 間一髪、なんとか間に合った。

 もう一歩遅ければ、女性は電車に突っ込み、轢き殺されていただろう。


 停車した電車のドアが開くも、乗客達もその異様な状況に気付いたようだ。倒れ込む一樹と女性を避けるように、遠巻きを通って降りていく。


 周囲の視線を受けながらも、一樹はひとまずすぐ脇に倒れている女性を見つめた。

 彼女はどうやら昏倒しているようだが、先程までの異様な形相は消え去っていた。どこか苦しそうに「ううん」と唸っているところをみると、なんとか無事らしい。


 全身を汗が伝う。どくどくと心臓が加速し、アスファルトにうずくまったまま、肩で息をする一樹。

 遅れて、ようやく奈緒も一樹に追いついた。


「一樹君、大丈夫!?」

「あ、ああ……なんとか――」


 なにが起こったのか、まるで分からない。少なくとも一樹が救ったこの女性は、正真正銘、血の気の通った生きた人間だ。そんな彼女が唐突に、なぜ電車に向かって身を投げようとしたのか、まったく理解できない。


 自殺志望者かとも考えたが、どうにもおかしい。なにより、直前に見たあの異様な形相は、正気とは思い難い姿だった。


 混乱の渦中にいる一樹の背後から、雑踏に混じって、嫌な“声”が聞こえた。


 ――コッチだよう。


 ぞくり、と全身が震えた。どうやらそれは一樹だけでなく、奈緒にも伝わったらしい。

 いち早く奈緒が気付き、息を飲むのが分かった。

 一樹は反射的に振り向き、そして呼吸を止めてしまう。


 停車した電車の下――わずかに見えるホームとの隙間。

 その闇の中から“それ”が覗いている。


 真っ白な肌に、真っ赤な目。

 ホームの下からひょっこりと顔を出した“それ”が、こっちを見て笑っている。


 いや、正確には――“それら”がこちらを見て、そして一斉に笑った。


 ――ソッチじゃない。


 ――コッチ、コッチ。


 ――ソッチじゃあ、つまらない。


 ――コッチがいいよ。コッチ、コッチ。


 無数に連なる声、声、声。

 そしてびっしりと闇の中に並ぶ、目、目、目。


 数にして十を超える“幽霊”の顔の群れが、びっしりと電車の下に並び、こちらを見て笑っていた。


 この場にいる人間には視えていないのだろう。唯一、一樹と奈緒だけはそのおぞましい笑みを捉えることができる。


 ――こいつらだ。


 一樹は自身の置かれた状況を、本能的に察する。

 この女性を、こいつらが“引き寄せ”ようとしたのだ。一斉に声をかけ、手招きし、不可解な力で女性の正気を失わせ、電車に飛び込ませようとしたのである。


 地面を蹴り、必死に距離をとろうとする一樹。そんな彼になおも、“幽霊”達は口々に誘惑してくる。

 まるで目が笑っていない形だけの笑みが、ただただおぞましく、恐ろしかった。

 鼓膜に響く無数の“コッチ”という言葉を、とにかくかき消したくて、たまらない。


 戦慄し、歯を食いしばる一樹。その隣で立ち尽くし、呼吸を荒げる奈緒。


 改めて“それら”を目の前にして、一樹は確信する。


 ――こんな存在を、小説になんてできない。


 固まりかけた決心が、目の当たりにした特上の“非日常”のせいで、揺らぐ。

 いまだ立ち上がれずにいる一樹の耳には、この世に存在しない者達の“リアル”な声だけが、痛烈にこだましていた。

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