第16話 同じ馬車で王城へ。

その翌日。

私は朝の10時頃から、馬車に揺られていた。


と言って、行く先は同じ王都の中にあるお城だ。それも屋敷からはそう大した距離もない。

私は徒歩でも問題なかったのだけど、向かいに座るシルヴィオ王子いわく、


「アンナ様も聖女なのですから、万一街を歩いていることが露見すれば、騒ぎになる。移動は必ず馬車でお願いいたします。そうだ、ちょうどいいですからこれからは毎朝俺と同じ馬車に乗りましょう」


とのこと。


どうも、新しい聖女が現れ、第一王子と婚姻を結ぶことはすでに世間へ広く知れ渡っているらしく、気軽に出歩くことはできないのだそうだ。


そのため、貴族仕様のやたら豪奢な馬車に揺られている。


「でも、少し新鮮です。こうしてシルヴィオ王子と同じ馬車で王城へ上がるなんて………」

「そのうち慣れますよ。これからしばらくは、休みを除いて毎日です。アンナ様には魔力強化や、使用のための講習を受けていただきますから」


「たしか、10日間でございますよね?」

「えぇ、一流の魔法使いが指導を担当すると聞いています」


聖女の魔法は、かなり特殊なもので、独学で身につけるには限界がある。


そこで聖女が現れた際には、こうして魔力の練り方から扱い方まで研修が行われるのが通例で、今日がその初日になっていた。


ここからが聖女としての公務の第一歩となるらしい。


「でも、アンナ様ならもっと早く身につけてしまうかもしれない。すでに魔法を使いこなしていらっしゃいましたし」


シルヴィオ王子はこう言ってくれるが、個人的な感覚としてはまったく違う。


「あれは状況が状況だったからです。私、もともとは魔法をほとんど使えなかったくらい下手なんです。

 それに魔力量も多くないですから、この機にちゃんと鍛錬を積んでまいります」


まだまだだということは、使っている私自身がもっとも分かっている。

聖女の力はきっとこんなものではない。もっと大きなポテンシャルを秘めているはずだ。


私がそれにふさわしい器かどうかは定かではないし、自信があるわけでもない。

ただ、やれるだけの努力はしたいと思っていた。


なった以上は聖女としての役割をきちんとまっとうし、シルヴィオ王子に迷惑をかけないよう立派に振る舞う。

これは当面の私の目標と言っていい。


そう決意を固めていると、シルヴィオ王子が言う。


「無理はなさらぬよう、くれぐれも。特に今日は、昨日の疲れもあるでしょうから」

「大丈夫ですよ。少し前までを思ったら、遅くまで寝過ぎたくらいです」



昨夜、私たちは朝日が昇り始める頃にやっと屋敷へと帰った。


どちらが帰ろうとも言い出さず、長くその場に留まっていたためだ。



思い返すと、幻みたいな時間だったと思うし、実際そうなのではないかと疑いたくなる。


シルヴィオ王子も私も、こっそり屋敷を抜けてきた身だ。そのうえ、山賊に襲われたという危険に晒されたこともある。


もし正直に話せば、シルヴィオ王子に見張りがついてしまい、より一層自由がなくなることも考えられる。


そのため昨日のことは二人だけの秘密ということになっており、誰にも、事情を一部知っているカルロスにさえ話してはいない。



それゆえに夢のようにすら思えていた。唯一違うとすれば、この指先だけだ。

彼と重ね合った小指の先には、確かな熱が残ったままだった。今もまだ火種がここでくすぶっている。



勝手に思い出して勝手に照れ臭くなり、私は目を伏せる。


そこで馬車が大きく縦に揺れた。前に押し出された私は、王子の膝に思わず手をつく。


反射的に飛び退いてから、はっとした。

これでは、勝手に倒れ込んだうえ、避けてしまったみたいだ。


最低の印象を持たれてしまいかねないと、慌てて否定にかかる。


「あの、これは違って…………」


少し触れただけで、これだ。

昨日の夜はどうも、緊張のたがが外れてしまっていたらしい。


「いいんですよ今はまだ。徐々に慣れていってくれればそれで十分です」


シルヴィオ王子は目をつむって、さらりと言う。だが、いきなり耳横に顔を寄せたと思ったら……


「でも、婚姻式の本番ではキスもしますから。覚悟しておいてください」


油断させておいての闇討ちであった。


表情はあくまで大きくは変わらず、彼はほんの少しだけ口角を上げている。

うっとりするようなその囁きは、脳内で幾度もリフレインした。


「い、いきなりなにをおっしゃるのですか」

「なにもそこまでいきなりの話じゃないでしょう。夫婦になるのですから、当たり前のことです」

「それはそうですが、私はまだろくに恋愛もしたことがなくて……」


常に残り物だった私は、当然ながら、いまだ一度たりとて口づけなどしたことがない。それどころか、そこへ至るまでの自然な流れというのも知識として知っているだけだ。


こと恋愛において、年甲斐などあったものではなかった。

昨日はシルヴィオ王子を子ども扱いしておいて、


どんどんと熱くなる顔を覆うため、私は首を引き頭を伏せる。


「それを言うなら俺も同じことですよ。もしいきなりが困るというなら、練習でもいたしますか」

「練習、ですか」

「えぇ、魔法と同じことでしょう。事前に頬などで慣れておけばいい」


そう言うと、シルヴィオ王子はするりと私のあご先に触れる。

つっと顔を持ち上げられたら、強制的に至近距離。はたと目が合ってすぐ、私はぎゅっと瞳を閉じる。


こうなったらチークキスの一つくらいは覚悟しなくては、と身を固くしていたら、


「到着いたしました、シルヴィオ王子」


御者が前方からこう投げかける。

それで、彼の手はすっと私の顔から離れ、まざまざと感じていた気配が遠ざかっていく。


「そうか、ありがとう。では行きましょうか」


シルヴィオ王子はあくまで、なにごともなかったように、すんと冷静な声で答える。

しかし馬車を下りる際には少し躓いていたから、もしかすると彼も動揺していたのかもしれない。

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