第8話 質素な朝ごはんは、私のために?

朝、八時頃。

――王都、シルヴィオ王子の屋敷にて。



「随分と早くから待っていらしたようですね、アンナ様」


食堂に入ってくるなり、シルヴィオ王子がそう聞くものだから、私は途端に恥ずかしくなった。


熱くなってくる顔を隠すため、とっさに俯き自分の膝上を見つめる。


「申し訳ありません。別に、食い意地を張っていたわけではありません……!」


言い訳がましいかもしれないが、嘘は言っていない。



本当にただ、早起きが習慣になっていたため、時間を持て余していたのだ。



聖女に選ばれ、妹の嫁いだステッラ家の屋敷から王都にあるこのお屋敷へ移ってきてから数日が経過していた。


身体は、まだここでの生活に慣れてはいない。


長年働いているうちに、私には使用人生活が身に染み付いてしまっているらしかった。


どれだけ遅くに寝ても、日が昇るより前に目が覚めてしまう。


掃除しなきゃ、献立考えなきゃ、新しいメイドの採用も、などと夢に見るのだ。



……かといって、メイドに混じって掃除なんてしたら聖女としてどう思われるか。


結果手持ち無沙汰になり、もう30分以上はここで待機していた。


「そうは言っていません。分かっています。昨日も少ししか食べられなかったようですから」

「えっと、すいません。あんなに多くの量が出てきたのは、久しぶりで……。少し前まで、私はパンひとつでも、一日くらい十分に――」


ここまできて、私は口を手で覆う。


危ない危ない……!


妹の屋敷で受けていた扱いや生活環境は、極力伏せていなければならないのだ。

普通の公爵令嬢が一日にパンひとつなんて、ひもじい生活をしているわけがない。そんなことを言えば、王子に余計な気を遣わせてしまうじゃないの。


恥ずかしさで頭に血が上っていたからか、うっかり口が滑ってしまった。



どうにか誤魔化したくて別の話題を探っていると、


「大丈夫、詳しくは聞かない。でも、見たところ、アンナ様はかなり痩せていらっしゃる。食べられるのならば、そうされた方がいい」


シルヴィオ王子は淡白にこう言って、聞かないでいてくれる。


かなり不自然だっただろうに、それを咎める気もないらしい。


私より4つも若いのに、どうすれば、こんな懐の深さが得られるのだろう。これが次代の王たる器なのだろうか。


それに比べて私は……と少し恥にも思うが、今は彼の優しさに甘えさせてもらうしかできない。


「……ありがとうございます」

「礼には及びませんよ。うちのキッチンメイドも、アンナ様は痩せすぎだと心配していました。それで今日の朝食からは――――と、噂をしていたら来たみたいですね」


シルヴィオ王子が入り口の方を振り見るので、つられて私もそちらに目をやると、メイドが二人、中へと入ってくる。



彼女たちが押すワゴンの上に並ぶのは、豪華絢爛な食事……ではなかった。


皿の数こそ多いが、載っている量はどれも控えめだ。

そのうえ、根菜の煮物やスープ、パンがゆといったラインナップは質素と見ることもできる。


「えっと、これは……?」


置かれた皿をついつい自分で取り分けながら、私はメイドの一人の顔を見る。


「こちらは若様と相談のうえ、少し朝食の内容を変えさせていただきました。アンナ様は、どうやら長い間、満足いくほどは食べていらっしゃらないようでしたから。

 いきなり肉やチーズでは、胃にも負担がかかる。ですから、野菜中心にしております」


私への配慮の結果だったらしい。


たしかに、私はなかなか油っぽいものを食べることができていない。


これまでの質素な食事のせいだろう。

パン一つ以外は、たまに甥のレッテーリオが持ってきてくれた菓子を貰っていた程度。


皿に並んでいるご馳走を見ると美味しそうだとは思うのに、身体が受け付けてくれなかったのだ。


結局メインを残してしまうことも多く、そのたびに胸を痛めていた。食材を無駄にすることに対しても、『残す』という行為に対しても。


でも、それだけのことで朝ごはんが変わってしまうとは、まさか思わない。


自分は聖女で、王子の妃としてここに来たのだと改めて思わせられる。思った以上に、気を回していただいたらしい。


「アンナ様。余計な配慮だったら、申し訳ない。でも、これは俺も気になっていましたから。こうやって慣らしていけば、少しずつ肉なども食べられるようになりますよ」


シルヴィオ王子がこう言ってくれる。

そんな彼の前に並べられるのも、私と同じ質素なご飯だ。


健常な男の人にしてみれば、かなり少ないうえ、野菜類だけでは満足感にも欠けるだろう。


「あの、シルヴィオ王子こそそれで足りるのですか? これから城へ行って公務があるんじゃ……」

「あぁそれなら大丈夫。これでも結構、間食をするほうなんだ。

 それに、同じ食卓を囲むんだ。違うものを食べるより、同じものを食べた方がきっと美味しく感じる」


「……私のために、付き合わせてすみません」

「だから、謝らないでください。それより、早速いただきましょうか」


メイドたちが去った後、広い食堂には私と王子のみが残される。


外には執事が待機しているとはいえ、2人きりだ。


パンをナイフで切り出す王子の姿を、私は向かいの席から、しばしぼうっと見つめた。

そんな何気ない所作さえ、視線を奪うのだから彼の美しさは恐ろしい。


しかも若いだけでなく、優しくて謙虚で気遣いもできるのだから、今に彼が煌々と輝き出しても不思議じゃない。


勝手に神秘的な絵を思い浮かべていたら、つっと目が合う。


「アンナ様、どれか気にいるものがありましたか?」

「えと、こちらのほうれん草のクリーム煮は美味しかったです」


「それはいい。俺もこれはかなり気に入りました。せっかくですから、今晩も出してもらいましょうか」

「それは嬉しいです。ありがとうございます」

「うん、いい笑顔でございますね」


自分が自然と微笑んでいることに、指摘されて気づかされる。


そういえば、誰かとこうして食卓を囲むことも、こうして感想を言い合うことも、少し前までは考えられなかった。


ただ与えられた最低限の食事を、独房みたいな小さな部屋にて無言で腹に収めるだけ。それは、食事と言えるものだったかすら怪しい。


誰かと一緒に料理を食べる。

ただそれだけのことが、幸せなことだったと、シルヴィオ王子のおかげで思い出すことができていた。



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