討伐開始


 ルカの屋敷には、対怪異への強固な結界が張られている。

 外部からの干渉を防ぐのはもちろん、内部で起きている事象を一般人に悟られないよう、認識阻害の術式も働いている。

 ルカの母、璃絵さんが張ったこの結界は、術者がいなくなった後も永続的に展開するという優れものだ。

 悪しき怪異がこの結界を突破することは、まず不可能だ。


 ……だが現実として、肉啜りはこうしてルカの屋敷に潜入してきた。

 いったい、どんな方法で?

 ヤツの謎は多い。ただ単に肉を食うだけの怪物とは思えない。

 もしもレンがいれば冷静な分析で知恵を貸してくれたかもしれないが……いまはルカを信じるしかない。


「一気に片付ける……フッ!」


 大鎌を握り、ルカは相手との距離を詰める。

 霊力で強化された肉体は、文字通りの疾走を見せ、一瞬で肉啜りの眼前に達するかに思えたが……。


「アハハ、そう簡単にはやられませんよぉ」


 肉啜りによる無数の触手が壁となり、行く手を遮られる。

 鞭のような動きで空を切る触手の先端には、鋭い牙がついている。

 音速で繰り出される触手の猛攻に、ルカは大鎌で応戦する。

 だが四方八方から自在に飛来する触手に翻弄され、どんどん後方に下がってしまう。


「どんどん増やしますよぉ。これは捌けますかねぇ~?」


 肉啜りの体から、さらに触手が生える。

 先端の牙はより鋭くなり、もはや巨大な棘のようになる。

 触手の群れはルカを目がけて、串刺しにせんと迫る。

 あんなもの、一撃でも食らったらひとたまりもない!


「ルカ!」


 思わず叫ぶ。

 だがルカは冷静に敵の攻撃を見ていた。


【 《紅糸繰》 よ 《太刀》 と 《成れ》 】


 ルカの言霊が唱えられる。

 瞬間、ルカの大鎌がその形を変える。


「ハァ!」

「っ!?」


 変化した得物を、ルカは神速の勢いで振り回す。

 光の筋がいくつも瞬いたかと思うと、無数の触手はあっという間に細切れにされた。

 ルカの手に握られているのは、すでに鎌ではなかった。

 柄のない、紅色の大太刀だった。


 糸を束ねることで、自在にその形態を変えるルカの霊装、紅糸繰。

 あれは、その内の形態ひとつ、第三形態『繊月せんげつ』だ。


「威力は『三日月』よりは下がるけど……小回りならこっちのほうが利く」


 一発の威力なら『三日月』のほうが上だが、動作が大降りになる分、速度のある連続攻撃には対応しにくい。

 だが『繊月』ならば、攻撃と同時に防御もこなせ、大鎌よりも素早く斬りかかることができる。

 なるほど、あれなら肉啜りの触手に対応できる!


「厄介な霊装ですね……ならこれはどうです!?」


 肉啜りの体が膨張する。

 ボコボコと音を立て、肉腫のようなものがいくつも生じたかと思うと……ヤツはそれを弾丸のごとく弾き飛ばした。


「っ!?」


 地面を抉る破壊音。

 肉の弾丸は深々と穴をあけ、その威力の高さを物語っていた。

 なんてヤツだ。あんなこともできるのか!?


「それそれ、ドンドン!」


 まるで機関銃のように放たれる肉のつぶて

 明らかに触手の攻撃よりも威力が上の攻撃……だが一直線の攻撃は却ってルカにとっては好都合だったようだ。


【 《紅糸繰》 よ 《弾丸》 を 《断ち斬れ》 】


 肉啜りに向かって踏み込みながら、ルカは言霊で霊装の切れ味を高める。

 大太刀の一閃は、軽々と肉の弾丸を断ち斬った。


「なにっ!?」


 相手の怯んだ隙をルカは決して見逃さなかった。

 大太刀の切っ先を前に構え、そのまま暴風のごとく直進する。


「ぐっ!?」


 敵の懐に入り込んだルカは、大太刀を肉啜り本体に突き刺す。


【 《肉啜り》 の 《肉体》 よ 《崩壊》 せよ ! 】


 大太刀が赤く光を発する。

 紅糸繰の糸はルカの言霊の効力を何倍も強める霊装だ。

 霊力を強めて送り込まれた破滅の言霊。

 紡がれた言葉どおり、肉啜りの体が異変を起こす。


「グギャ……グギギギギ!」


 大太刀が刺さった部分から肉が黒く変色し、腐り果てていく。

 決まった!


「キエエエエエエ!」

「っ!?」


 勝利を確信したのも束の間。

 なんと肉啜りは腐り果てた部分を、自ら切り離した。

 すぐに繰り出される触手の一撃。

 ルカは咄嗟にかわし、後方に下がる。


「……厄介なやつね」


 低級の怪異なら、ルカの言霊を浴びた時点で、その紡がれた言葉の運命からは逃れられないはずだった。

 だが霊力の強い怪異だと、ルカの言霊に対して抵抗力を持っているが……あんな回避の仕方があるとは!

 肉啜り……やはり、並みの怪異ではないようだ。


「フゥ……いまのは焦りましたよ。まったく、恐ろしい霊術をお持ちだ。さっきの双子の姉妹とは格が違うようですね。ですが、無駄ですよ? 私の肉体はこの通り自由自在。どんな攻撃をしようと、すぐに対応し、復活できる!」

「そのようね。だからその無駄な脂肪だらけの体、削り取ってあげる」

「は?」

「肉体を切り離して逃げられるのなら……狙うべき的を小さくすればいいだけ」


 ルカは再び紅糸繰を構え、言霊を唱える。


【 《紅糸繰》 よ 《舞い踊れ》 ! 】


 紅糸繰が大太刀から巨大な『くの字型』の物体に変化する。

 それをルカは肉啜りに向かって投げつける。

 風を切りながら回転する紅糸繰。


「なっ!?」


 直撃した途端、肉啜りの体の一部が抉られる。

 攻撃は止まない。

 回転の勢いを損なわず、旋回した紅糸繰が再び肉啜りの体を削り取る。


「ガッ!? グ、ギャアアアア!!」


 紅糸繰はそのまま肉啜りの周囲を飛び交いながら、次々と肉を削げ落としていく。


 紅糸繰、第四形態『立待月たちまちづき』。

 言うなればブーメランだ。

 その動きはルカの意思によって操作され、遠距離から連続攻撃を繰り出すことができる。

 どれだけ逃げても追尾してくる猛攻によって、肉啜りの体が見る見るうちに小さくなっていく。


「戻って、紅糸繰」


 的が小さくなったことで、ルカは紅糸繰を手元に戻す。


【 《紅糸繰》 よ 《弓矢》 と 《成れ》 】


 ブーメランから変形し、今度は弧状の武装と化す紅糸繰。

 第五形態『孤月こげつ』。

 その名の由来どおり、弓矢だ。

 瞬間的な威力だけならば、すべての形態の中で最大威力を発揮するルカの切り札である。

 ルカは紅糸繰の糸で胸当てを形成し、上空に向かって跳躍。

 高所から地面に向かって、紅色の弓矢を構える。


【 《紅糸繰》 よ 《直撃した相手》 を 《消滅》 させよ ! 】


 放たれる紅色の矢。


「ヒッ!?」


 轟音を鳴らしながら直進する矢は、小型と化した肉啜りに見事に命中する。

 地響きが鳴り、激しい砂埃が起こる。

 相変わらず、とんでもない威力だ。

 庭の地面に、クレーターが発生するほどの破壊力。

 それに加えて、ルカの破滅の言霊も上乗せされた一撃だ。

 肉啜りといえど、さすがにこれには耐えられまい。


「……結局、アタシは必要なかったみたいね」


 一連の戦いを俺と一緒に見守っていたキリカが横で溜め息を吐く。


「まあ、そのほうがいいに決まってるけどね。ともあれ、これで肉啜りは……っ!?」


 安堵の表情を浮かべていたキリカだったが、すぐに驚愕の色に一変する。


「そ、そんな……どういうこと!?」


 ありえないものを見るように、キリカが目を見開いている。

 俺もつられて目で追う。

 砂塵の中から聞こえてくるグチャグチャという不気味な音。

 膨らんでは伸縮する異形の影……そんな! まさか!?


「アア……危ナカッタ……」


 肉啜りは、消滅していない!?

 バカな! あの一撃を食らって無事でいられるはずが!


「正直、アマリ好キナ味デハナイノデ、食ラウノハ、ゴ遠慮シタカッタノデスガ……致シ方在リマセンネェ」


 砂塵が風に流される。

 そこには、矢で貫かれた肉啜りの姿があるはずだった。

 だが、そこにいたのは……。


 紅色の矢を吸収し、再び巨大化した肉啜りだった!


「いやはや。ふんだんに霊力を込めてくれていたおかげで助かりました。もしも矢だけの物理攻撃でしたら、再生が間に合わず消滅してしまうところでしたよ」


 紅色の矢は氷が溶けるように形を崩し、肉啜りの内部に取り込まれていく。

 すると肉啜りの体はますます肥大化し、さっきよりも巨大な肉塊となっていく。


「嘘でしょ? アイツ……霊力を、食ってる!」


 キリカが悲鳴染みた声を上げて、戦慄する。


「ありえないわ! アイツの能力は肉を食って、生き物に擬態するだけのはず……霊力まで食べて、しかもそれを自分の糧にするなんて……そんなの機関の情報になかったわよ!?」


 霊力を食らって自分の糧に!?

 では、草薙姉妹が一方的にやられた理由は……。


「ああ、まずいまずい。本当に酷い味です。吐き気がします。ですがこれも生きるためです。こうでもしないと、あなたがたに狩られてしまいますからね。昔のように、同じ過ちは繰り返しません」


 あれほど肉を削げ落としたというのに、肉啜りはよりおぞましい姿となって復活する。

 そんな……ヤツは無敵か!?


「ククク……霊力が無ければ、あなたがたはただのヒトに成り下がる。数年前の仕返し、キッチリとさせてもらいますよ? 狩られるのは……オ前タチダ!」


 異形の咆吼が夜空に響き渡った。

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