第52話

「ヒナタ君を襲った奴の気の周波、しっかり覚えさせましたよ」


 私はハンドルを握った左腕を右手でポンっと威勢よく叩いた。私の片腕に宿る式神が張るアンテナは、ごく微小な周波も感知してくれる。


「よくやったわ。今後捕獲する必要が生じるかもしれないしね。それにしても、まさかね」


 文香さんは薄いピンクベージュに塗られたネイルをもてあそびながらそう呟いた。何でもない風を装ってはいるものの、ざわついている際に無意識のうちにするその動作や何気ない言葉選びから、内心穏やかでないことが察せられる。それが分かるくらいには、長い付き合いのつもりだ。


「誰ですかね?ヒナタ君の夢に介入しようとしたのは。今回狙われたのはミツキではなく弟君かあ」

「倉木ミツキが狙いでないとしたら、特安の敵対勢力かしら。去年も特安職員の女が京都で消されたでしょ」

「ええ……」


 特安関係者ゆえに彼が狙われた、という理由だとしたら、極秘組織らしからぬ大失態であろう。正規職員ではないとはいえ関係者の身元を特定されたのだから。むろん彼らと敵対する私たちは特安に関するどんな情報をも自分たちの手元に留めており、それらが外に漏れることは決してない。私たちが大切な情報を共有するのは、深い絆で結ばれた極僅かな仲間うちでだけだ。


「もしくはそいつらも本来のターゲットは倉木ミツキだけど、外堀から埋めるつもりなのかも。特安には敵が多すぎるから、誰の仕業か皆目見当がつかないわね」


 文香さんの隣に座っているおさげの少女は、その台詞を聞くや両膝にきちんと乗せた拳をぎゅっと握りしめる。きっとこの娘にとっては倉木ヒナタだけが、彼女がこの世に存在する唯一の理由なのだろう。文香さんはおさげ娘の固く握りしめられた拳を両手で優しく包んだ。


「ごめんなさいね、変なこと言って。でも私のサポートなしでよく式神を使いこなせた。初めてとは思えなかったわ」

「ヒナタ君は、命に代えても守ってみせます」

 

 信号待ちの間に後ろを振り返ると、瑞樹ちゃんの右手首から肘あたりにかけて、紫色のうっすらとした靄が未だまとっていた。そして、センターコンソールに器用に身を横たえる人型像は、蜃気楼のようにユラユラと揺れながらその実体を消そうとしていた。


(文香さんの言う通り、よく使いこなせたもんだ。それに、瑞樹ちゃんの右手にシェアされたことで更に力を増したみたい)


 黒のフロックコートと中世のペストマスクのような奇妙な仮面という出で立ちの、大きな鎌を持った文香さんの左手の式神、トーメフォンデ。本当はもっと長ったらしい名前だったのだが忘れてしまった。戦闘力は文香さんの右手の式神や相沢さんの鬼羅には及ばないが、極めて貴重な力を持つ第一級の式神だ。夢に関する能力は多彩な能力の一部に過ぎない。


「まあ、相手が誰であろうと私たちの邪魔になる者は排除するまでよ」


 そう、瑞樹ちゃんをコントロールするための最大のファクター、それは倉木ヒナタの身の安全だ。倉木ヒナタを狙う者、それは現時点では私たちの敵となる。


「英恵ちゃん。そういえば、大川文子の様子は?」

「まるで掴めません。強力な結界を張られて近づけないんです。それに、結界の外では式神が複数警戒にあたっているようです」

「特安職員の式神かしら。近くに住んでるっていうのに、歯がゆいわね……」


公立小学校前で左折した後、私が運転するレクサスLSは、左手に綺麗に剪定されたツツジが咲き誇るこじんまりとしたマンション前で一時停止した。


「瑞樹ちゃん、覚悟はいいわね?」


 少女は下を向き、自分の膝を凝視しながら小さく頷いた。


「はい……」


◇◇◇

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る