第32話

 僕らは息を切らせながら国道沿いにあるコンテナホテルの一室の鍵を開けた。ここは今回のような緊急時に特安関係者が避難する、数ある組織の隠れアジトの1つだ。


「何があったの?詳しく説明して」


 部屋に入るや否や、和沙は真剣な目つきで僕を見た。僕は嗣津無という式神を放った経緯や、その式神の気配が消えたこと、和沙が能力者に狙われている可能性を伝えた。許可を得ずに式神についての情報を組織外の人間に漏らすことは歴とした特安法違反なのだが、最早そんなことを言っている場合ではない。頭の良い彼女は一度聞いただけですべてを理解したようだ。


「じゃあ狙いは私ってことね」


 和沙は青ざめた顔でそう言った。それを見たミツキが自信に満ちた顔つきで震える和沙の肩に手を回した。


「かずち、私たちがついているから大丈夫。私、こう見えても強いんだよ」


 和沙は目にたまった涙を人差し指で拭いながら、ミツキの肩にその小さな頭を預けた。その時僕のバッグの中で特安から渡された業務用携帯が鳴った。これは外部からの傍受を遮断する特殊仕様端末で、極めて重要な伝達事項の際にのみ活用されるものだ。


(今度はなんなんだ?)


 僕は立て続けざまに起きるイレギュラーな事態にすっかり神経をすり減らしていた。


「はい、倉木ヒナタです」


 その後に続いた女の声は、感情というものを根こそぎ引っこ抜いたような、背筋の凍るような喋り方だった。


「倉木ヒナタさんですか?」

「そちらは?」

「森川です」


 森川琴音。三田直属の上司であり、若干28歳で特安の本部長を務める名実共に組織の最高権力者だ。彼女の機械音声のような喋り方は相手の意見を一切拒絶する氷のような冷たさがある。会話中に無駄なことは言わないし、同じ内容を2度繰り返すこともない。森川部長と比べれば、表面上は愛想の良い三田の方と話していたほうがまだ気楽なほどだ。彼女は淡々と衝撃的な事実を述べた。


「三田主任が約10分前に何者かに襲撃されました。正確に言うと7分26秒前です」

「三田さんが?」


 嗣津無の気配が消えた直後に三田が襲われた?二人を襲った者は同一人物だろうか?僕は彼女の独特の喋り方に戸惑いながらも、彼女に嗣津無の気配が消えた事実を伝えた。


「戦闘向きではないやつでしたが、こうもあっさりやられるとは……」


 彼女はその事実には何の反応も示さずににこう言った。


「今はどこにいるのですか?」


 国道沿いのアジトに潜伏している旨を伝えると、彼女は一言そうですかと言った。


「三田主任は、本人から襲撃されたとの一報があった後に音信不通となりました。現在安否不明です。大川吾郎さんには遠方へ離れるよう伝えました。念のため民間の腕利き術師に彼の護衛を依頼したので安心してください。倉木ヒナタさん、本件が私個人からの依頼ということはご存知ですね?」

「三田さんから聞いてます」

「結構。政治の話は本位ではないのですが、この件が明るみに出て私が失脚した場合、特安の独立性が損なわれる可能性があります。最悪解体されるかもしれません。この社会の治安維持のために、それだけは必ず回避しなければなりません」


 特安が、この社会がどうなろうが知ったことではないと言いたいところだが、残念ながら僕らはこの組織に、何より部長に協力しなければならない理由がある。僕は昨日の夜に和沙たちが見ていた母さんの写真を頭に思い浮かべた。僕らは本当に彼女の肉体を見つけることができるのだろうか?


「この事件に見合った実力の持ち主は、今はあなた達だけしかいないのです。倉木ミツキさんの力で必ず解決してください」

「あの、ただこっちには……」


 部長は僕の返事も待たずに話を続けた。


「"絵描き"からの絵が届きました。場所ははっきりと"沼田金属工場跡"を示しています。すぐに向かってください」

「すぐにですか?」

「今夜確実に人形がヒトバケを起こすからです」

「え?それってどういう……」

「小牧和沙さんは一緒に居ますか?」


 外注組の鼻たれ小僧には口も挟ませたくないのだろうか。三田といい、特安にはなんでこんな奴しかいないのだろう。僕は気を取り直して返事をした。


「はい、隣に居ます」

「スピーカーにしてください。小牧さん、聞こえますか?」


 和沙はその機械のような喋り方に戸惑いの表情を見せつつも、はっきりとした口調で問いかけに答えた。


「はい、聞こえます」


 部長は相変わらず挨拶もせずに要件に入った。


「小牧さん、あなたを守る力が消えました」

「私を守る力?」


 僕は和沙に小さく耳打ちをした。


「和沙、俺が式神について教えたことをこの人に悟られるなよ」


 和沙はウィンクをしながら小さく頷いた。可愛い……。僕はこんな状況にも関わらず顔が赤くなり、下を向いてしまった。


「倉木ヒナタさん、そしてもう一人の能力者がある能力を使いました。大川文子からの干渉を打ち消すためです。この前、雪と桜吹雪と紅葉が一緒に観測されたのはご存知でしょう。あの日から、あなたはその力で守られていたのです」

「もちろんその日の異常気象は覚えています」

「その力が数時間前に消えました。小倉ヒナタさん、あなたは気付きましたか?」

「いえ、その力は俺のものではないですから。部長は東京にいるのに力が消滅したことを感知できたんですか?」


 数秒間の沈黙。俺、何か不味いことを言ったかな?


「三田主任から報告がありました。だから彼女はあなたの自宅周辺を張っていたのです。そして数十分前、あなた単独の能力による力が消えたことも感知した彼女は、その直後にあなたの家に急行しました。しかし、おそらくはあなたの力を打ち消したものと同一人物から奇襲を受けたのでしょう」


 三田がやられたとなると、相手は複数人だろうか。どちらにしても相当な手練れに違いない。


「ただ小牧さんを守っていた力……それは間違いなく大川文子によりかき消されたのでしょう。小牧さん……このままではあなたは今日、現実世界だろうと夢の中だろうと亡者に食い尽くされてしまいます」

「はい」


 和沙の受け答えは僕なんかより余程しっかりしていた。


「小牧和沙さん、眠気が襲うのは何時ですか?」

「午後9時です……」

「今はもう19時半です。3人ともすぐに目的地に向かってください。小牧さん、工場跡地で人形が実体化したら、何をすればいいか理解していますね」

「人形の首を切り落とす、ですよね?」


 その台詞を口にした和沙は肩を震わせていた。先程から黙っていたミツキが、和沙のその様子を見るや急に携帯に向かって怒鳴り始めた。


「あ、あの!」

「あなたは……倉木ミツキさん?」


 森川の機械のような声は、それでも少しだけ戸惑っているようだった。


「かずちは何があっても私が守るから!あなた達の職務なんかには従わないから!」


 森川は十数秒間不気味に沈黙した。ようやく口を開いた時の彼女の喋り方には、今までと打って変わりねっとりとした質感が感じられ、言い様のない憎悪のような感情が籠っているようにも思われた。


「今回は……私個人の依頼なので……特安法は……適用されないであろう。小倉ヒナタさん……、そのように解釈して……三田主任に……伝えましたね?」

「間違っていますか?」


 長い長い深呼吸が繰り返し電話から聞こえてくる。そう、僕らが今話をしているのは、あの三田ですら怯えすくみ上る人物なのだ。


「今回に限り……その解釈には……目を瞑りましょう。ただ……次に同じ発言をした場合……、その時は……覚悟をするように」

「寛大なお心遣い、感謝します」


 僕は森川部長に不思議と怯えていなかった。あと数時間もしないうちに死ぬかもしれない、そんな状況ので腹が据わってきたのだろうか?僕は別に死んでも構わない。でも……目の前の二人の少女にだけは絶対に生き残ってほしい。


「おそらく……敵も……大川文子の力が……復活するタイミングで……動き出したのでしょう。間違いなくその場所で……鉢合わせするはずです。小倉ヒナタさん……、ミツキさん……、必ず敵を……仕留めなさい」

「了解」


 僕がそう言うと、携帯は唐突に切れた。そして和沙が涙を浮かべながらすかさず僕の両肩を掴んだ。


「ヒナタ君、ごめん!」

「な、なんだよ急に」


 緊急時だというのに、和沙の暖かい手の感触に胸が高鳴りっぱなしだ。


「私知らなかった。ヒナタ君、私の知らないところでこんなにも私を守ろうとしてくれていたなんて……ずっと誤解していた。あの日の夢で見た動物も君の力だったんだね」

「あれは俺の力じゃないけど。っていうか誤解って、俺はどう思われていたんだよ……」


 僕は顔を赤らめながら頭をぼりぼりと掻いた。それを見たミツキは、頬を膨らませ不貞腐れながらこう言った。


「ヒナタ、なにデレデレしてんの!ほら、二人とも時間ないよ」

「デレデレしてないっつーの!さあ、工場跡に行くぞ」


 和沙は覚悟を決めるかのように大きく深呼吸をした。その様子を見たミツキがそっと和沙の手を握った。


「かずち、こんな下らないことさっさと終わらせちゃおう。明日から夏休みの計画で忙しくなるんだから」


 和沙はまたくすくすと笑いだした。やはりこの子に一番似合ってるのは笑顔だ。和沙はミツキに向けてウィンクをした。


「そうだね、さっさと終わらせちゃおう。またこの三人で食卓を囲みたいもの」


◇◇◇

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