晩飯のしたく、ときどき悲しいニオイ
「おいハナ」
「はぁい!」
「買い物行くぞ」
「……かいものぉ?」
「そ、買い物。外に行くんだ。晩飯の材料とか、ほら、お前の着替えとか買わないといけないだろ」
「おそとぉ! あいばただしごしゅじんと二人でぇ? やったぁ!」
「……ふぅ」
ということで、二人で近所のスーパーへ買い出しへと向かった。そこで彼女の下着やら歯ブラシやらといった生活用品と、食材もほどほどに購い帰宅した。
その後、風呂に勝手に入ってきたり、裸で歩き回ったりするアクシデントが発生したが、事なきを経て、晩飯の支度を始めた。
「何作ってんの?」
「一昨日は鶏モモのソテー、昨日は外食で魚だったから、今晩は豚の生姜焼き」
「うぅううん……もうすでに美味しそうなニオイぃい……」
「てかお前さ、裸で歩き回っちゃダメだぞ? あと、風呂は一人で入れ。シャンプーとコンディショナーとボディーソープの違い解っただろ? 文字は読めるみたいだし」
「なんでぇ?」
「あったりめぇだろ!」
「だってぇ、うちら伴侶なんだよ?」
大きな瞳をパチパチさせながら僕の顔を下から覗き込む彼女。……可愛すぎんだろ! 頼む、変なことになって取り返しのつかないことになったら大変なんだ! 平常心を保たせてくれ!
僕は自身を律した。
「……伴侶なんだったらな」
「うん」
「相手が嫌がることをしちゃいけないんだ」
「……お、おぉおお」
飽く迄冷静に、大人の男として威厳と優しさをアピールしながら諭す僕。
「わかったか?」
「おぉおおおおお! かっこいいぃい! わかったわかったぁあ!」
違う! お前みたいな美人が裸で部屋の中をうろついていたり、いきなり風呂に入ってきたら男の僕はどうにかなっちまうんだ! という本音は打ち明けられるはずもなく、ただただオスの本能を抑え、ジェントルに振舞うのであった。
「……ったくほんとに解ってんのかよ」
「いやぁ、うちの伴侶はさすがだね! さすがのあいばただしごしゅじんだね!」
「……はいはい……って、お前さぁ」
「なんでい! あたしの伴侶、あいばただしごしゅじん!」
「伴侶、って意味、知ってるの?」
「うん」
「じゃあ何?」
「ずぅうううううっと一緒にいる大切な人!」
や、やべぇ、ド直球のド正論。
「……せ、正解」
「えへへぇ!」
ハナの屈託のない、純粋無垢な言葉と笑顔についはにかみ、目線を逸らしてしまった。
「ほら、火とか包丁使ったりしていてここは危ないならそっちに行って座ってなさい」
「はぁあああい!」
僕は久しぶりに誰かのために料理をし、無償の善意で何かを与え、相手のありのままを受け入れている。
心地が良かった。自分のためがイコールとして彼女のためになり、素直に彼女が喜んでくれること。……でも、記憶を取り戻したらこいつはきっといなくなる。だから、互いにそれまでは今くらいの距離感がいい。そうでないと……辛いから。
誰かが身体の一部になってしまうと、その人と引き剝がされたときにものすごい痛みを伴い、そしてぽっかりと空いてしまった穴は、もう何をやっても埋めることは出来ない。だから、僕は彼女の記憶が戻るまでの同居人でいよう。と、この時そう決めたのだが……
「あれ、やだ……なんでそんなに悲しいの?」
気付けばハナは隣に立っていた。
「な、なんだよ急に」
「あたし何かイヤなことしちゃった?」
「だから、なんだって。何も悲しくねぇし大丈夫だよ」
「嘘だよ……だってすごい悲しいニオイがしたの」
……こいつ、俺の心が読めるのか?
「ああ、あれだ! そうそう、前に観たアニメが悲しくてさぁ! それを思い出しちゃってたんだよ! ごめんごめん!」
咄嗟に言い訳をして誤魔化した。
「……ほんと?」
「うん、ほんとだよ」
「……もぉう、びっくりした。いやだよ? あたしのこと嫌いになったのかと思った」
やっぱこいつ、一体何者なんだ? 素直にそう感じた。そして、何もかもが見透かされているなんて次元じゃなく、感じ取られているのか?
とまあ、一瞬曇ってもみたが、それ以上に可愛いは可愛いし、ハナは本気で悪意は無さそうだし、とにかく深く考えることはやめようと気持ちを入れ替えた。
きっと僕の顔がどんよりとしていた、それだけだろう。
「おぉい、出来たぞぉ」
「待ってましたぁ! もう腹ペコペコリンだよぉ」
僕は二人分の食事を居間へと運んだ。
「いっただっきまーすっ!」
「いただきます」
「うっわ、これむっちゃ美味しい! もぉう、だんなは料理の天才!」
「ありがと……で、なんだそのだんなってのは」
「ん? らってはっきいっかみへで……」
「口に入れたままで喋らない……。あと、ゆっくり食えよ? 多めに作ったんだし、誰もとりゃしねぇよ」
「うんぐ。……うん、でね、さっき行った店であなたのこと、だんなさん、って店の人が言ってたから」
「……もう好きに呼んでください」
「いやぁ、でもなぁ、あいばただしごしゅじん、ってほうが言いやすいんだよねぇ」
終始彼女のペースだ。そして、その後も美味い美味いと連呼しながら見事な食いっぷりで僕を圧倒させたのだった。
ちなみに四人前はあった豚の生姜焼きに大盛りキャベツ、長ネギと豆腐とわかめの味噌汁、小松菜と油揚げのお浸し、きゅうりの浅漬け、お米は三合。綺麗に平らげやがった。そのあとにアイスまで食った。
「おぃい、ハナ。これ、空いた食器一緒に持ってきてくれ」
「……はぁい」
「ん? どうした?」
「……ぐ、ぐるじくてうごげない……」
「……ゆっくりしてろ」
「か、かたじけねぇでござんす……」
まったく、と思いながらも口元が緩む。
敢えて深くは考えず、少しずつ、一つずつ二人で乗り越えてゆこう、と改めて思った。
そして、久しぶりの二人分の洗い物に、何故だか心が温かくなった。
後片付けを終え、気が付けば夜も九時を回っていた。
「おぉい、ハナ、歯磨いて寝るぞ」
「はいはぁい! 歯磨きぃ!」
うん、素直に言うことを聞く。別に服従させたいとか、そんな願望はないが、尽くし甲斐があるというか、何というか、正直相性がいいのか。……ああ、いかんいかん、変なことを考えるな、と自身に言い聞かせながらハナと洗面所へ向かう。
「……お前さ」
「あに?(シャカシャカシャカ)」
なんでわざわざ僕の前に陣取るんだ……
「い、いや、なんでもない」
「ぺっ……がらがらがらぁ……ぺっ」
歯を磨き終わったのに、一向にその場を動こうとしないハナ。
「おい」
「ん?」
「終わったんだったらどいてくれない?」
「なんで?」
可愛いが、こうも纏わりつかれると疲れるし、何よりこいつ背ぇ高ぇから鏡見る時邪魔なんだよなぁ! とか、言っても何だか可哀想だし、ここは大人の男として言葉を選ぶ。
「僕も歯を磨きたいんだ」
「うん」
「だからね、そこにいるとさ、鏡、見えないんだよね」
「んじゃこっちに移動するね」
「……ど、どうも」
ハナは鏡越しに歯を磨く僕のことを見つめていた。……正直、磨きづれぇよ。と、内心思っていたが、感情をあらわにすると、また嗅ぎつけられて面倒なことにもなるし、平常心を心掛けながら歯を磨く。……って、これ、なんの修行?
「がらがらがら……ぺっ……」
「……」
「お前さ、なんでそこにずっといたの?」
「う~ん……一緒にいたかったから」
「じゃ、じゃあしょうがないねぇ……」
「うんっ!」
オカシイな。十代、二十代のときはこういうの苦手じゃな……違う、自分で勝手に過去を塗り替えている。……こんなに気を配ることも遣うこともせず、相手は居て当たり前のもの、自分は愛されて、必要とされて当たり前のものだと勘違いしていた。……まぁ、いっか。昔話はどうでもいい。
「ハナさ」
「ん?」
「俺のこと好きすぎじゃね?」
「えへへぇ、そだよぉおおお!」
とにかく、今を大切にしよう。
「さて、寝るか」
「うんっ」
二人で居間へと移動をし、僕は寝袋を用意、彼女は布団の中に潜り込む。
「てかさ」
「なぁに?」
「何で鏡越しに僕のこと見てたの?」
「ああ、だって、普段見る顔とちょっと違うなぁって。だから間違い探ししてたの」
「へっ?」
「ん?」
「あ、あそう」
「うんそう」
何とも言えぬ心情でもって、僕は寝袋に身を包む。
「ねぇねぇ」
「なんだ? もう電気消すぞ。 眠くなってきた」
「なんでこっちで一緒に寝ないの?」
「えっ、えぇ?」
「一緒に抱き合って寝た方が、あったかいよ?」
「いいんだ」
「そうなの?」
「そうだ!」
「ふぅん」
「……」
「……さびしいなぁ」
勘弁してくれよぉ。急に記憶が戻って、無理やりやられました。なんてゴメンだぜ! だのなんだの、訳の分からぬ妄想が頭を駆け巡る。きっと彼女は純粋に、一緒に寝たかっただけなのだろう。
「いつか一緒に寝るから、その時までのお楽しみな」
「えっ! うん! お楽しみぃ~!」
「電気消すぞー。おやすみー」
「おやすみなさいー」
明かりを消して、急にドキドキしたり、気が付いたら僕の寝袋の中に彼女が入ってきたり、とかいうそんな王道展開は特になく、疲れが睡魔を誘って、僕は気絶するように眠った。
昨日、今日の出来事が何だったかというより、今はこれでこうなんだと受け入れる方が先で、深くは考えずにいようと、もう何度目かになるかはわからないが、そう思った。
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