第7話 色のない世界
あの一件からわたしの心は以前とはまるで違い、どんな仕打ちを受けても一切揺れ動く事がなくなっていた。
心が傷つかなくなると自分でも驚く程、生きる事に対しての執着心もなくなっている事に気付いた。
呼吸をするのも辛い程の暴力にも「仕方ない」と自分に言い聞かせる事がなくなり、ただその時間が過ぎるのを待つ事が出来るようになっていた。
相変わらずわたしの置かれている状況に変化はないけれど、それでも以前よりもずっと呼吸がしやすくなっていた。
――バシッ!!
「……」
「ちょっと、何とか言いなさいよ!!」
「……」
今日も変わらず機嫌の悪いアマンダさんをぼんやりと見つめていると、彼女は苛立った様子で腰に手を当て声を荒げた。
「何よその目は、奴隷のくせに」
今日の彼女はいつも以上に苛立ちを隠す事も、手加減もなく暴力を振るう。
もう痛みも感じないわたしにはどれだけ手を上げられても、罵詈雑言を浴びせられても心が壊れる事はない。
まるでその光景をただ見つめるだけの人形のように、ぼんやりとアマンダさんを見上げた。
目の前で手を高く振り上げる彼女が目に映ったが、避ける事はせずただ彼女を見つめた。
「その目がムカつくのよ!!」
「アマンダ?」
その光景をぼんやり眺めていると、突然この場にはそぐわない可憐な声がした。
驚いたアマンダさんが振り返ると彼女は、急に余所行きの声を出し恭しく頭を下げた。
「サ、サーシャお嬢様どうしてこちらに?」
「侍女長のヴァネッサを探していたのよ。それよりどうしたの?普段はあんなにも優しい貴女が声を荒げるだなんて……一体何かあったの?」
「リ、リリーお嬢様が規則を守らない為、現在こちらで教育を施しておりました」
「まぁ」
ぼんやりと床に転がったまま妹を見つめていると、彼女はわざわざわたしの所まで足を運び、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「お姉様」
「あ、あのサーシャ、」
「アマンダを困らせるような事は良くありません。お姉様の我儘には、お父様もお母様も日頃から困っておいでだわ」
ほら立って?と困ったように手を差し伸べてきた妹をわたしはただただ眺めている事しか出来なかった。
(我儘……)
(わたしはずっと我儘を言っているから、こんな仕打ちを受けていたと思われていたの?)
目の前で手を差し伸べ慈愛に満ちた表情の妹に、わたしの姿は正確に映っているのだろうか。
(あぁなんだ、貴女にはわたしの我儘が原因でこうなっていると映っていたのね)
「ふふっ…くっ…ふっ…あははははははははははははははははははははははははははははははは」
「お姉様?」
そう全てを理解した途端、どうしようもなく自分が可笑しくなってしまった。
だって全部が可笑しくて仕方がないのだ。
どれだけわたしが我慢をしても、認められたいと願っても、その願いが叶う事は一生あり得ないのだ。
だってわたしは我儘だから。
我儘なんてこの人生で一度たりともあなた達に口にした事などなかったのに、わたしがこうなっている原因がわたしの我儘だなんて。
こんな事、笑わない方が可笑しいじゃない。
わたしの笑い声に人が集まりだし、やがて両親が駆けつけてきた。
「一体何事だ!!」
「ヴァネッサは何をしているの!?サーシャ危ないわ、こっちにいらっしゃい!」
両親がわたしを見る目はいつだって冷めたものだった。
それが今では化け物を見るような眼差しに変わっている。
「どうしてサーシャの近くにこいつがいるんだ、この子に何かあったらどうするつもりだ!!」
「私達の目の届く範囲を歩かせないようにヴァネッサには言ってあったのに……一体これはどういう事なの!?」
侍女長に怒鳴り散らす両親は腕にサーシャを囲ったまま、指示を飛ばす。
「申し訳ありません、すぐに部屋に下がらせます」
「まったく……早くしてちょうだい!!」
「早く立ちなさい。旦那様方がいらっしゃっているのです。ほら、いい加減早く立ちなさい!!」
強く腕を引っ張られよろけたわたしは気にせず両親に抱きしめられている妹を見つめ口を開いた。
「サーシャ、貴女はわたしがこんな目にあっているのは、わたし自身の我儘から来ていると本当に思っているの?」
「だってお父様もお母様も仰っていたわ。お姉様は幼い頃から癇癪持ちで手が付けられないから特別な教育が必要だって。ほら、今だってヴァネッサを困らせているもの、お父様達は間違っていないわ」
生まれた時から大切に大切に育てられた貴女にはきっと永遠に分からないでしょうね。
お腹が空いてどうにもならなくて隠れて残飯を漁る惨めさも、隙間風が辛くて薄い古びたブランケット一枚で冬を越す苦しさも。全部、全部、ッ全部!!
(こんなに心はズタズタなのに、もう涙も出てこないみたい)
(涙が出ないならいっその事心も完全に壊れてしまえばいいのに)
「お嬢様になんて口の利き方を!!早く立ち上がりなさい!!」
侍女長は揺さぶるように強制的にわたしを立ち上がらせると腕を鷲掴みにし、使用人棟の方へ歩きだした。その瞬間、懐かしい、ずっと焦がれていた彼の声がわたしの耳を包み込んだ。
「――リリー、迎えに来たよ」
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