第40話 悪夢、再び
いつものようにフォーと時間を過ごして、昼を屋敷でとった後、秘密基地に忘れ物をして戻った時だった。
今まで来たことのない時間、夏が過ぎたから日の入りが早い。手早く済ませて屋敷に戻らないと。
「よし」
レイオンからもらったオイルランタン。大事にしないと。
立ち上がり踵を返すと、音も気配もないまま人が立っていた。明らかな不審者に身構える。幸い距離はそこそこあるから、退路としては充分だ。
「どちら様ですか」
「……」
するりと手があがる先にナイフが握られている。
次の言葉が引き金となり、明滅するように幼い頃の記憶が甦った。
「騒ぐな」
もうほとんど思い出せない昔の話になっていたのに、目の前の不審者とかつて王城で私を連れ去ろうとした人間と同じだと震える全身が答えを出していた。
悪い夢を見ているよう。
「来い」
「!」
声を変え、大きめのローブを着込み、フードで顔を隠している。
フードも目深すぎて顔が見えない。そういえば記憶にある最初の人攫いも大きなローブを羽織り、フードを被って顔を隠していた。
腰には大きな剣もある。あの時と同じだ。同じすぎて、あの頃の恐ろしさが這い上がってくる。血の気が引き、その場に根を張ったように動けなかった。それでも、なんとか声を絞り出す。
「来ないで」
「震えながら言われても俺らみたいなのは喜ぶだけだぜ?」
息が浅くなる。言う通り、声も身体も震えていた。
あの時私を攫おうとしたのはこの男だ。捕まったとばかり思っていたけど、思い違いだったらしい。あの事件以来、私も言及しなかったし家族も一切話題に出さなかった。王城の警備は有能だからてっきり解決したと思い込んでいて油断した結果がこれだなんて。
「捕まってなかったの」
「へえ? 覚えてるか?」
「喋り方と声が」
もう思い出した。変えていても分かる。少し違う語調だし、声質は同じだ。男は鋭いなとせせら笑った。
「大人しく来てくれるな?」
「嫌です」
「なら力づくだ」
一歩ゆっくりと距離を詰められる。まだ逃げられる距離だ。
「なんで今更」
あれからどれだけ時間が経ったと思っているの。
新しい聖女が決まった時点で私たち聖女候補の価値はなくなった。挙げ句聖女制度も廃止され、候補に意義を見いだせない。それに攫うならもっと若い女性を選んでもいいはずだ。
「あんた自分の価値分かってねえな?」
「え?」
そういえば、国境線の騎士たちが聖女を崇める一定層がいると言っていた。
「今でも人気だぜ?」
よかったなと、揶揄うような物言いをする。
さらに近づいてきた。思わず一歩足を引く。
まだ逃げられる距離間なのに、距離を詰められる感覚がひどく不快で恐ろしかった。
「やめて」
あの時と同じように声が震えたままだ。三歳の頃とは違う。少しぐらい抵抗できると思っていたのに、大きな声すらも出せない。
「チッ、時間かけすぎたか。大人し、」
言葉の途中で大きな音と共に私と誘拐犯の間に氷の柱が聳え立った。透明度の高い氷の先に歪んだ誘拐犯の姿が透けて見える。
「氷……」
「早えな」
舌打ちをする男が見る先を追うと、なにかが木々の合間から飛び降りてきた。真上から剣を振り下ろすレイオンの姿が見えて、どっと全身に血液が巡る。
あの時と同じだった。
私と男の間に入って守ってくれている。うっすらある記憶の彼と被った。
氷の向こう側が炎に包まれ、いくらか剣同士がぶつかる音が耳を通る。そして氷が解けて視界がクリアになった時、目の前に私を守る背中が見えた。
「レイオン」
「遅くなってすまない」
なにも遅くないのに。
彼が私を視界に入れた一瞬で、男は逃げようと走り出した。逃げられないようレイオンが放った炎が囲っている。その炎の中へ誘拐犯は飛び込んだ。
「!」
逃げられないよう囲っていた炎は誘拐犯を捕らえることはなく、そのまま男は姿を消した。
「逃げたか」
心底悔しそうに吐き捨てられる。
怒っていた。眉根を寄せて、瞳の色を険しく変えている。今までで見たことのない鮮烈な感情だった。
「レイオ、ン」
「メーラ」
振り返った彼に怒りの色はもう見えなかった。
焦るように私に近づき手を伸ばす。それにびくりと過剰なまでに震えてしまい、レイオンは伸ばした手を止め引っ込めてしまった。
彼の眉間に皺が寄る。
「すまない……侍女を呼ぼう」
あ、だめ。
泣きそうな顔をした。傷ついている。
このまま彼が離れるのを許したら最初に出会った頃、結婚したばかりの頃に戻ってしまう気がした。咄嗟に彼の服の裾を掴み、怯んで身体が強ばったところを、身体を奮い立たせて彼に抱きつく。
はっきりとわかるぐらい、レイオンの身体が震えた。
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