第9話 初雪観測のち裸族バレる

 この地でやりたいことがあった。

 山沿いに居を移すなら見たいと思って、寒さに一段と冷え朝も遅く来るようになった頃、私はゾーイにすら内緒でまだ太陽が登らない時間に屋敷を出た。

 薄暗いけど夜目はきくほうだから足元に問題はない。

 吐く息は白いし、冷たい空気は刺さるけど、気にせず進む。


「間に合った」


 ここに来たばかりの頃見つけた開けた小さい滝のあるこの泉は私のお気に入りになった。

 今日はこの滝の上まで登る。あまり高さはないけど、この場所が開けてよく見える。

 泳ぐには丁度いい広さだから、やっぱり春には服脱いで泳ご。止められても強行突破しよ。


「フォー?」


 泳ぐのを止める筆頭になるであろう大型犬のフォーが離れたところに出てきた。

 おいでと言えば隣にお座りする。


「おはよ。早いね」


 尻尾を一振り。

 フォーについて領主とお話しすることがないから聞けずじまいだ。でも今はフォーと仲良くできてるから深く知らなくてもいいかなと思ってる。隣で動かないのをいいことに腕を回して抱き着いた。


「あったかい」


 もふもふを堪能しながら夜明けを見るなんて贅沢ね。


「フォーは毎日見てるのかな?」


 空が薄い群青の頃に出たから、今はもう白くなり始めた。

 山際が少しずつ明るくなって、山の線が輝き始める。薄い紫に染まる空、同じ色の雲が横に長く伸びていく。山が近いからか、光を近くに感じた。


「季節見られるのっていいなあ」


 ね、とフォーに同意を求めると、目を合わせて尻尾を一振りする。同じ気持ちかと思うと嬉しかった。

 今の時期は陽が昇るのが遅いのもあって起きるのに苦労しない。それにもう一つ見たいものがあった。


「よし、雲出てきた」


 山の天気は変わりやすい。

 徐々に暖かい日の光を遮る。

 その後にふわりと柔らかく軽い白色が落ちてきた。


「当たり」


 まだ外でも裸になれる時から今まで天気の移り変わりを観察し続けて、聖女教育で鍛えた感のよさで今日朝焼けから早くに雪が降ると判断した。

 ドンピシャで当たりを叩き出す。ここで聖女教育が役に立つなんて笑えるわ。


「……今度旦那様誘ってみようかな?」


 ばっと勢いよく私を見るフォー。ん? 驚いてる?

 もふもふを抱き締めて一緒に見ていたけど、腕を緩めて見つめ直す。


「なに? そりゃ夫婦の時間はだめって条件にしてるけど」


 じっとこちらを見るだけのフォーの気持ちが読みとれなかった。

 私の結婚の条件だって知らないだろうしね。


「一人の時間も欲しいけど、仲良く過ごすにこしたことはないでしょ?」


 分かる? と言ってもフォーは反応を示さない。尻尾も動かない。

 条件をきっちり守る彼のこと、今後も接触はないだろう。

 けど油断はできない。接触できないを理由に即離縁を叩きつけられないよう、せめて一年。それぐらい頑張って離縁ならお情けで実家の敷居を跨げる気がするので、今は絶賛最低限友好な関係だけは築いておきたい。うん、私すごくゲスだね。条件出しておいて一年仲良くして下さいとか都合よすぎる。


「お友達ぐらい仲良くなって一緒に冬がきたね~みたいなこと言うの。どう?」


 お友達になる以前の話だけど。旦那様は常に国境武力の管理で忙しいから会うこともない。私も最初は裸族優先だった。今、こうして交流を持ちたいと思うのは、打算的なものと、ある種のホームシックな気もするけど。

 するとフォーが視線を逸らして顔を背けた。


「もしかして焼きもち?」


 ぴくりと反応した。これは図星ね。


「可愛い~! 俺といる時は他の男の話するなよ的な?」


 ぎゅぎゅっと抱き締め直してもフォーは嫌がらなかった。


「これからはしないよ? フォーとの時間はフォーだけ、ね?」


 満更でもなさそうな空気を感じた。頭のいいこの子は私が他人に意識を向けてるって分かっている。

 焼きもち焼かれるほど懐かれてるとちょっと嬉しい。優越感。


「よし、時間少し使いすぎたから早く戻らないと」


* * *


 残念なことに、帰宅したらゾーイが起こしに来ていた。夜明け鑑賞会がバレてしまったけど思った程大事になっていない。執事長のバトレルにも伝わっていなかった。


「奥にいるね」

「はい」


 夫婦の寝室で服を脱いで過ごすが私の日々だ。

 領地内で遠乗りもするし、山を下って町へ出たりもした。国境の砦には行ってないけど、粗方この領地のことについては目で確かめたし、今でも屋敷にある本からこの地の歴史や風習を詰め込んでいる。

 けど、今日はあんまり読む気がしなかった。


「今日はもうやめ。いつもの読も」


 嫁ぐにあたって持ってきた私のお気に入りの本。隣国最後の聖女様のことが語られている本だ。

 聖女様自身は監修だけで、聖女様に近い人が書いたこの本の中身はどの空想話よりも夢に溢れていた。前世の記憶と複数の世界、ずっと聖女に想いを寄せていた王子の存在。ファンタジーでありながらロマンスも交えた話だ。現実だと信じられないぐらい鮮やかな世界だった。

 だからこそ隣国にいる聖女様の使う異世界の言葉に影響されたり、聖女様プロデュースのキャンプ用品とかチェックしたりしている。

 完全なファンというやつだ。ひとまずフォーとの秘密の場所にリアルタープを張りたいのが直近の欲求だったりする。


「あ」


 机の上に置いた私のバイブルが滑って私の足の甲に落ちた。

 ゴッといかつい音が響く。


「いったっ!」


 裸でいることのデメリットの一つが、ノーガードになるから物理ダメージが大きいってとこかな。

 よりによって足の甲、痛みに少し涙が滲んだ。

 落ちた本を手に取り、声にならない呻きをあげて痛みに耐えた。


「今、音が」


 開くはずのない扉が開く音が背後から聞こえた。


「え?」

「……え?」


 顔だけ向けると夫婦の寝室の夫側の扉が開かれていた。

 驚いていた渦中の彼と目が合い、勢いよく閉められる。


「え?」


 待った。見られた。

 着替え中の言い訳は……通らない。服が置いてない挙げ句、ゾーイがいるわけでもない。

 本がぶつかった痛みなんてぶっ飛んで、いやな汗が頬を伝う。


「待て、服に」

「ひっ」


 再び扉が開かれた。

 平坦な声に表情に動きがないのに、どうして二度も開けてくるわけ。

 羞恥で身体が震えた。


「ノックして下さい!」

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