第107話 備忘録CaseVIII・ホームステイ終わる

 YoTubeが世間一般に認知され、話題の種となり始めたバズったのはチハルが大学で青春を謳歌していた丁度、その頃である。


 夢と希望を胸に抱く青年らによって創業されたYoTubeの躍進に注目したのがグローリー社だった。

 この媒体を利用し、新たなステージに進んだを行うべく、グローリー社はYoTubeを買収する。

 グローリー社が持つ独自技術を大いに盛り込み、運用されることになったYoTubeがいよいよ本腰を上げた。


 チハルがYoTubeにハマったのはまさにその時だった。


「これよ。あてしがやりたかったのは」


 チハルはその時、深淵を覗いてしまったのだろう。

 蝶が蛹から孵るように少女から、大人になったと言えば、聞こえはいい。

 かつて幼き日の優しき心を失ったチハルは人でありながら、怪異のような存在と化してしまったのだ。

 虚栄心の固まり。

 抑えられない自己顕示欲。

 留まることを知らないそれらにいつしか、チハルは己自身を見失った。


 『名もなき島』での生活がし、チハルはそんな過去の自分を振り返り、恥ずかしく思った。

 バズる為に恥や外聞をかなぐり捨て、正しいのだと信じて疑わなかった。

 周囲を明るくし、笑わせているのではなく、晒された者として笑われているだけと気付かぬまま、得られた結果に満足していた。


「あてしはママと違うんだよ!」


 母親にそう言って、増長していた自分は果たして、どんな顔をしていたのか。

 さぞや醜い顔をしていたに違いないと今更のようにチハルは後悔する。


「お主は気付いたのだ。それで充分ではあるまいか」


 砂浜に腰掛け、水平線に沈んでいく太陽を見ながら、随分と流暢に日本語を喋るようになったワニ男ことセベクにそう言われ、チハルの頬を一筋の涙が伝っていく。


「いいのかな。本当にそれで……」

「お主はまだ若い。御母堂もまだ健在であろう? 何を躊躇うことがあろうか」

「うん。だけどさ……」


 「帰れないじゃん……」と喉まで出かかった言葉をチハルは飲み込む。


 チハルは神を信じていない。

 大好きだった父親がいなくなった。

 やつれていく母親を見るのが辛かった。

 神がいるのなら、助けてくれるものではないのか。

 そんな自分勝手なことを考えていた。


 だから、のだと今のチハルは考えている。



 気が付けば、夜の帳が下りていた。

 太陽は完全に沈み、空には満面の星が輝く。

 天で静かに煌くのは銀色の優しい光を放つ真円を描く月だった。


「そろそろであろうよ」

「え? 何が?」


 セベクはワニに似た見た目をしているが、魔物の一種――リザードマンに属している。

 厳めしい外見通り、寡黙な男だ。

 セベクが右の人差し指でゆっくりと指したのは月だった。


(あれ!?)


 その時、チハルの視界がぐらりと揺れた。

 眩暈にも似た奇妙な感覚だった。

 魂を引っ張られるとはこういうものかもしれないと妙な感想を抱くチハルの意識が徐々に薄れていく。


 薄れていくのは意識だけではなかった。

 己の手と足がゆっくりと透けていくのに気付いたチハルだが、何をどうすることも出来ない。

 なすがままに身を委ねることにした。


「さらばだ。異邦人エトランゼの娘よ」


 チハルにその言葉は届いていない。

 彼女には最後にセベクが何かを言った程度にしか、聞こえていなかったのだ。

 『名もなき島』での短くない暮らしの中でいつしか島への愛着すら湧いていたチハルはいくばくかの名残惜しさを感じながら、その意識を暗い水の底へと沈め、別れを告げた。




 に戻ったチハルを見届け、セベクは一人、闇色に包まれた砂浜に佇む。

 義娘ユリナに頼まれた要件が済んだ以上、偽りの世界は間も無く、終わりを告げる。


「お義父とうさま、御苦労様でした」


 音もなく、現れたのはこの世界の支配者たるセベクの義理の娘だった。

 長い髪をゆったりとした編み込みの三つ編みのおさげにした姿はセベクも良く知っている。

 彼女がリラックスした時にしか、その姿にならないことを知らない関係でもない。


「レオ、何してるのよ?」

「あ、うん。父さん、久しぶりだね」

「レオか……大きくなったな」

「いや、それほどでも」


 ユリナに押され、姿を現したのは麗央だった。

 夢の世界で故郷を見るのに否定的な姿勢を見せたせいか、麗央は居心地の悪そうな表情をしていた。

 それでも久しぶりの親子の再会である。


 例え、夢の世界の出来事であろうともこの機会を利用するべきだと強く訴えるユリナにさしもの麗央が折れたのだ。

 ぎこちなさがまだ、残っているものの見ているだけでも微笑ましい親子の様子にユリナも満足し、花笑みを浮かべた。

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