第69話 備忘録CaseVI・大迷宮チャレンジ配信

 ユリナの機嫌がいいのは昨晩、ホテルでの一夜を麗央と二人きりで存分に楽しめたことが大きい。

 兄と妹を同室にして、自分と麗央を同室にした甲斐があったと陰でほくそ笑んだほどである。


 『ハウステンピョス』の夜景はH町にある雷邸から見える風景とは全く異なる。

 遠くネーデルランドオランダの街並みを再現した『ハウステンピョス』の情景には異国情緒の強いロマンチックな雰囲気が漂っていた。

 泊った部屋もまた、欧州の雰囲気を再現されたものでユリナの好みに合致した。


 窓から見える素敵な風景を麗央にぴったりと寄り添いながら、楽しめたのは彼女にとって最高の贈り物だった。

 こうして麗央成分を十二分に補給したユリナはお肌艶々で御機嫌な様子になったのだ。

 一方の麗央は夜着に着替え、薄着で目のやりどころに困るユリナにぴったりとくっつかれ、彼女の柔らかさを感じながらも手を出すことが出来ない。

 またも生殺し状態である。

 目だけが冴えてしまい、寝られないまま朝を迎えた麗央のコンディションはあまり、いいとは言えなかった。


「どうしたの? 昨日、寝られなかった?」

「え? いや、そういう訳ではないんだ。ははは」


 空元気で笑って見せる麗央だが、普段の力強さと元気はどこへ行ったのやら、全く覇気がない。

 麗央はむしろ疲れた表情を見せないでいられる分、バケツを被っていて、良かったのかもしれないとさえ、思い始めていた。


「そうなの? それなら、いいけど。今日の私達はバックアップだから」

「分かっているよ。バックアップだね。バックね。うん、バックいいよね」

「んんん?」


 麗央とは以心伝心で会話を交わさずとも意思の疎通が出来ると信じて疑わないユリナだったが、バケツを被っており、「バックか」と呟きながら、両手を意味ありげに握ったり、開いたりする麗央を見るとさすがに理解に苦しんだ。

 何かの感触を確かめるような指の動きが、ユリナの理解の範疇を越えていたのだ。


 ユリナは相変わらず、真面まともな性知識を持ち合わせていなかった。

 全く知らないのではない。

 ある程度は学んでおり、麗央の享楽にも愉しみながら付き合っていたユリナだが、肝心なところで知識が欠けている。

 知らぬが仏とはよく言ったものである。

 この時、麗央が何を考えていたのかは知らないままでいる方が彼女にとって、幸せなのは確実だった。


 しかし、ユリナは鈍感ではなく、どちらかと言えば勘が鋭いところがある。

 バケツのせいで表情こそ読めなかったものの麗央の目がどこを凝視しているのかと気付かないはずがなかった。


(手の動きといい、そういうことよね?)


 ただ、この時、天は麗央に味方した。

 ユリナはライブ配信をするにあたって、専門の撮影スタッフ亡霊を管理するのに気を取られ、麗央の不審な言動を追求しなかった。




 縦に三メートルはあろうかという大きな金属製の扉は重厚な見た目の割に苦も無く、軽い力で開き彼らを迎え入れた。

 かくして、イリスとテラを先頭にして、『大迷宮』へのアタックが開始される。

 イザークフェンリルは丸々とした体を億劫そうに二人の後をついていき、その後に麗央とユリナが亡霊撮影スタッフを伴って続いた。


「不思議でござるね」

「けっ。これくらい、大したことねえよ」


 素直な感想を述べるイリスと辛辣な物言いをするテラだが、二人ともまだ子供と言ってもおかしくはない年頃のせいか、言葉の割に態度が全てを物語っていた。

 お上りさんよろしく、『大迷宮』の中に広がる大パノラマの世界に目を奪われた。


 一面に広がる広大な草原は遠くアフリカに実在するサヴァナとよく似ている。

 屋内であるにも関わらず、雲一つない青空が広がっており、燦々と降り注ぐ日光が屋内であることを忘れさせた。


「よく出来ているみたいね」

のダンジョンみたいだ」


 麗央とユリナはいつの間にやら、手を繋いでいた。

 デートの途中で軽く散歩をしている雰囲気にしか見えない二人だったが、その目は決して、気を緩めていない。


 麗央がと表現したのには理由がある。

 とはあやかしと呼ばれる存在が特別なものではない世界だった。

 麗央とは違い、純血のあやかしであるユリナはそれなりの永い時を過ごしていたこともあり、二つの世界が鏡合わせのように良く似ていることに気付いていた。

 そして、二人はかつて麗央が幼少期を過ごした南の孤島にあった『迷宮』を探索した経験がある。

 ユリナはそうである以上、決して油断してはならないと結論付けた。

 それほどに『迷宮』は厄介だったのである。


 その時の二人は見る物全てが珍しく、目を右に左にと忙しいイリスとテラと変わらなかった。

 まだ、子供と言ってもおかしくなかった麗央とユリナは興味本位のままに動き、痛い目を見たのだ。


「ねぇ、レオ。いざという時は分かるでしょ?」

「分かってるさ。そうならないことを願うよ」


 麗央とユリナがそんな不穏な会話をしているとは露知らず、イリスとテラはサヴァナの先へと分け入るのだった。

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