第54話 歌姫の優雅な朝の一時

 翌朝のことである。

 不機嫌な顔を隠そうとしない金色の髪ブロンドの少女が、雷邸を訪れた。

 巨大な牛乳瓶を小脇に抱えている。

 何とも不思議な出で立ちの少女だった。

 麗央とユリナにとって、義妹にあたる飛鳥アスカである。


 見た者はアスカの頭の上から湯気が出ているのではないかと錯覚を起こしてもおかしくない。

 それを察してか、雷邸で使用人の代わりを務める亡霊のメイドらは青白い顔に困惑の色を浮かべ、愛想笑いに徹している。

 無言で何とも言えない表情を浮かべたメイドの一人が、人差し指で頭上を指し示した。


「人に荷物を頼んでおいて、失礼しちゃうわ」


 メイドのジェスチャーで依頼主が二階の自室にいると察したアスカは、目を三角にするとドスドスと派手な足音がしそうな勢いで勝手知ったる雷邸の中を闊歩した。

 晴れて夫婦の関係になった麗央とユリナが、同じ部屋で寝食を共にしていることくらいは義妹であるアスカも知っている。

 しかし、それが何を意味しているのかまでは理解していない。


 アスカは高校生になってから、まだ数ヶ月。

 雷神と呼ばれるあやかしと日本人女性の間に生まれた義兄の麗央と同じく、アスカも複雑な出生の秘密を抱えた少女である。

 彼女の母親はいわゆる妖精と呼ばれるの一種だ。

 西欧の伝承ではアールヴと呼ばれ、一般的にはエルフの名で知られている種族だった。

 神の眷属とも言われる見目麗しき孤高のアールヴこそ、アスカの母親なのだ。


 決して、表に明かせない事情を抱えるアスカに普通の友人は望むべくもない。

 その事情を理解し、養母である光宗博士に認められる稀有な人材などそうそう、いるものではなかった。

 長年に渡りアスカの友人という項目は埋められることがなく、ようやく認められたのがたった二人の有様である。


 そんなアスカが夫婦の何たるかを知っていようはずもない。

 ユリナや麗央よりも遥かに人の世に紛れ込んでいるアスカである。

 友人を介して、それなりに性的な知識を身に着けてはいたものの地獄の釜の蓋を開けるようなものと知っていれば、アスカも二階に上がるのを躊躇ったに違いないのだ。


「あんっ。そこはダメだってばぁ」


 扉の向こうから、聞こえてくる義姉の甘ったるい声はアスカがついぞ、これまで聞いたことがないものだった。

 口では拒んでおきながら、懇願するように熱が篭っている声色にアスカの眉間に皺が寄った。


「やぁん。そこ……あっ……そこ」

「ここかな? もう少し、下かな? 入れてもいいよね」


 アスカの友人は木曽泰牙きそ たいが山吹麻里奈やまぶき まりなという同学年の高校生である。

 異性であるタイガはともかくとして、同性のマリナとは親友と呼ぶにふさわしい交友を続けており、お泊り会で夜通し女子トークに花を咲かせることすら珍しいことではない。

 マリナが持っている雑誌や漫画などを介し、それなりに脳内がピンク色になる光景を目にしていたアスカは扉の向こうで何が行われているのかを想像した。


「あんっ。は、はやくぅ」

「う、うん。分かったよ」


 アスカは激怒した。

 朝っぱらから、自分のことを宅配便代わりに利用しておきながら、この仕打ちはあんまりではないかと激しい怒りが彼女の体を支配した。


「朝っぱらから、何してんのよっ! って……え?」


 寝室の扉が壊れんばかりの勢いで思い切り、ドアを開けたアスカの目の前に広がった光景は彼女が想像していたものといささか違った。

 豪奢なベッドの上で生まれたままの姿で睦み合っている二人が、今まさにそういう行為をしようとしている最中を想像し、怒りに任せて行動したアスカは動揺を隠せない。


「そこ、違うってば」

「でも、ここを押した方がいいんだって」

「痛いってばぁ」


 ユリナはしっかりと着るのに時間がかかるドレスを着込み、涙目でベッドを叩いていた。

 麗央はそんな彼女の素足をがっしりと掴み、足の裏を揉んでいる。


「も、もういいからぁ」

「ダメだよ。ここをこうするとね」

「痛いってぇ!」

「な、なんですかね、これ……」

「足裏マッサージだけど?」


 アスカは「ま、紛らわしいことしてんじゃないわよっ! こんのぶぁかぁ!」と顔を茹蛸よりも真っ赤に染め上げ、勝手に切れると再びドアを凄まじい勢いで閉め、逃げるのだった。

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