第8話 備忘録CaseI・リボーン

 屋敷を出ることがないユリナが、全国的にも港町として知られるY市。

 外国人居留地があったこともあり、同じく港町として知られているH県K市と共通する点が多いお洒落な町だ。

 ファッションの発信地としてもよく知られており、多くの人で賑わっている。


 ユリナと麗央は菊を伴って、Yの町を訪れている。

 目的は現在の菊に似合う服を見繕うことだ。

 しかし、麗央は気が気ではなかった。

 人目を引くユリナ本人に全く、自覚がない。


 まず、ボルドーの色を基調とし、黒のレースがあしらわれたゴシック・ロリータのドレスが目立つのだ。

 さすがに『歌姫』と身バレしないよう特徴的なツインテールではセットされていない。

 珍しく、ハーフアップにセットされたユリナの髪だが、それでも目立ってしまう。


 ゆうに腰まで届くほどに長いのも目立つ原因の一つだったが、それ以上に天然の白金色で陽光に煌めく、プラチナブロンドであることが大きかった。

 意外なことに彼女の身長は決して、低くはない。

 麗央が軽く、百八十を超えているので小さく見えているだけで厚底の編み上げブーツを履くと殊更に目立ってしまうのだった。


 幸いなことに大柄の男性――麗央がすぐ傍にいることもあり、二人が指を絡め合った恋人繋ぎをしているのが牽制となっているのか、声をかけてくる無謀な挑戦者はいなかった。


「あ、あの何だか、とても注目を浴びているようでございます」


 二人の後ろで申し訳なさそうに縮こまっている濡れ羽色の髪をサイドポニーテールにまとめた少女が、か細い声で抗議をする。

 前髪を完全に下ろしており、目許まで隠しているので少女の表情はうかがい知れないが相当、困惑しているようだった。


「ダメよ? これくらい慣れておかないとなんて、出来ないわ」


 麗央は「慣れ過ぎもどうかと思うんだ」と危うく、口にしそうになり、慌てて口を噤む。

 ここでユリナと悶着を起こそうものなら、どれだけ騒ぎになるのか、分かったものではないと判断したのだ。


「で、でも」

「デモもダッテもないの」


 自信たっぷりと言い切るユリナに麗央と黒髪の少女は何も言い返せない。

 言い返したら、それ以上の地獄を見るのを知っているからだった。

 触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものである。




 黒髪の少女。

 その正体は四百年以上の時を『菊』である。


 菊は霊体である。

 本来は肉体を持たない彼女がなぜ、肉体を持つことが出来たのか。

 これもまた、ユリナが強引なアイデアを敢行したに過ぎない。


 麗央にはがいる。

 これまた、

 光宗回みつむね めぐる

 機械工学・生物工学に精通した世界屈指の科学者人物である。

 過去形なのは既にだからだ。

 天寿を全うし、神の御許に召されたのは三年前のことだった。


 しかし、実のところ、光宗博士は

 戸籍からも抹消されており、表向きには死んだことになっているし、現在の光宗博士を見て気付く者がいたとしたら、相当にいい目をしている。

 一世紀に近い年月を生きた人間が、小学生程度の容姿になっていて健在であるなど信じられる者の方が希少である。


 ユリナは「お養母かあ様がいるじゃない」と事も無げに言った。

 麗央も養母が人ならざる業の持ち主であることはよく知っていたが、おいそれと頷く訳にはいかなかった。

 光宗博士はを用意することは出来るだろうが、そこから先が問題だったからである。

 「私を信じて」とこれまた、自信たっぷりに胸を張って主張する妻の姿に麗央も折れる他なかった。


 こうして、菊の為にが用意された。

 既に生命の失われた肉体で構成されたである。

 服を着れば、見えない部分ではあるものの生々しい縫合痕が体のあちこちに見られる。

 メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』に出てくる怪物を彷彿させる姿にも見えるが、少なくとも容貌は誰もが見惚れるほどに美しいものだった。


 菊は妙齢の女性を擬態していたが、器は十代半ばにも満たない容姿をした少女である。

 濡れ羽色の艶々とした髪。

 眦が垂れている目には黒曜石のような瞳が収められていた。

 ふっくらとした唇は僅かに朱を塗った色合いをしている。

 体つきは未成熟でまだ、育ち切っていない双丘は強く、自己主張することもなかった。


 「私を信じて」と宣言した通りになった。

 ユリナの歌により、菊はその日受肉したのである。

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