第22話
フィオナとは途中で別れた。別々に事情聴取をしようということだろう。一緒に行えば口裏を合わせるかもしれないという、マニュアルに則った対処だ。
僕は高遠司令の執務室にいる。以前テストパイロットに命じられて以来だが、まさかこんなにすぐ来ることになるとは思わなかった。
しかも、なぜか
木の色が目立つ部屋で、広さは幅五メートル、奥行き八メートルといったところか。壁際には本棚がずらりと並び、部屋がかなり細長く見える。部屋の真ん中にはガラステーブルと、二人掛けのソファー一つと一人用のソファーが二つ。その奥、今はブラインドが下ろしてある大きな窓の前に、これまた大きな木製に見えるデスクが重量感を放ちながら鎮座している。
そのデスクの椅子に高遠司令が座り、横には眼鏡に照明を反射させて屹立している副司令官の姿がある。
「まずは、大戦果だ、よくやってくれた、と言っておこう。ハルクキャスター四機の撃墜、賛辞を呈するに値する」
僕はその言葉を、素直に『嬉しい』と感じられない。
「……恐縮です」
むしろ、その言葉が、それに続くであろう、次に紡がれる言葉が、『恐い』。
僕と司令の間にはデスクとテーブルがあり、さらにそこから二歩程度下がっているはずなのに、やけに司令や副司令が近くに、大きく感じられた。
「この戦果は、『彼女』によるもの、なのかな?」
司令は直接事を尋ねようとはしない。ぶつけるのではなく、その表面を撫でるように問いかけている。いつも見せている。余裕を漂わせる微笑すら、その奥に潜む凶獣を内包する封印のように思えて、指先が小刻みに震えてしまう。
「これが〈アルフェラッツ〉と君の力なのなら、僕は大いに喝采を送ったことだろう。でも、もしそれ以外の
まだ核心に触れてこない。実にいやらしい話し方だ。まるで包囲の輪を狭めるように、僕の思考を少しずつ浸食してくる。
「さて、率直に聞こうかな」
それでも、いつまでも続くと思われたジャブは早々に切り上げられた。
「彼女との現在までの
僕は返答に困った。
素直に話さなければ、嘘とわかった時点で更なる懲罰の上塗りとなる。一番困ったのが、僕とフィオナの間で口裏合わせをしていなかったことだ。たまたま居合わせた民間人を、保護のためやむなくコックピットへ入れました、と言えれば良かったのだが、それは彼女が同じ事を言わなければ成立しない。もし別の言い訳を語っていれば、それで矛盾が生じる。
ここは学校ではない。正直に話せば謝って許してくれる場所などではない。軍法というルールの中に組み込まれ、僕は法を犯し、それを目の前の二人は追求しているのだから。
詰めが甘かったのだ。最初から、こんなことがあった時のために口裏合わせをしておくべきだった。それをしなかったのは、現状に甘えていたからだろうか。それなりに楽しかったのだろう。今思い出しても罵倒されたことくらいしか出てこないが、フィオナとの生活が楽しかった。それが普通になっていた。このままでいられればいいのに。
そんな現実逃避が、こんな取り返しのつかない事態を招いてしまったのだ。
「僕は……」
観念し、僕は真実を語ろうと思った。
「あ、待って」
そんな決意をして話し始めようとしたとき、司令が何かに気づいたように声を上げ、デスクの一角を軽く叩いた。
「ごめん、なんかレコーダーがおかしいみたいでさ。えーと、…………うん、大丈夫だ。話を割ってすまなかった。続けて」
記録用のレコーダー(僕からは見えない)を叩いてしばらく何か操作をした後、司令は僕の発言を促した。
かなり気張っていた僕の緊張の糸が、プツンと切れてしまい、説明の組み立てをしていたはずの頭は何も考えられなくなっていた。
僕はただ、この一〇日間ばかりのことを、思いつく限り語った。
一〇分ほど話したところで、話は終わった。自分でも気づいたが、これは状況やら経緯の説明というよりは、少女との思い出話みたいだった。
「なるほど」
司令は頷いていたが、副司令は終始無言だった。何かを言おうとして息を吸うが、出て行くのは吐息だけ、と言った方が正しいかもしれない。そういう癖なのだろうか、と思ったが、そもそも僕は父親の癖なんて知らないことを思い知った。
「事情はわかった。君の処分は今のところ保留だ。もう帰っていいから休むといい」
と、司令は先ほどまでの笑みから隠れた鋭さや威圧感を取り除いて告げた。
「え?あの……」
「機体の修理とかミッションレコーダからの吸い出しとか、そういうもので忙しいから、明日も休みでいいよ。心身共にかなり疲弊してるだろうしね。ただ、急な呼び出しはあるかもしれないから、遠出は禁止。以上、退室、ほらほら」
僕の疑問など一蹴し、高遠司令は犬でも追い払うように手を振って退室を促した。
僕は有耶無耶になった事に考えを巡らせる。これはどういうことだろう、と。
退室し、廊下を歩きながら、そんなことばかり考えていた。
これは、無罪放免?それとも、一応の自宅待機?謹慎?有無を言わさぬあのやり取りはなんだったのか。
そんなグルグル回る思考回路をそのままに、未だ青空を維持している炎天下へと足を踏み出した。たった一歩外へ出ただけで、じんわりと汗が滲んだ。
ドア一枚隔てただけでこれだけの差があるとは、天国と地獄っていうのはこんな薄っぺらな壁一枚で別れてしまうものなんだな、とあまりよく回らない頭で考えた。
ロッカーのある棟へと向かうことすら億劫だ。もちろん今後の僕の処分とかフィオナの身柄とか、そういう部分はずっと気がかりではあるのだが、太陽光線は人の考える力までも奪い去ってしまう。
そんな気力を奪う熱に浮かされ、アスファルトによる輻射で視界が揺らぐ中、一人の少女が作業服の上着をはだけて歩いてきた。肩までかかる髪と大きな瞳は、間違いなく、
「高遠さん……」
今はハルクレイダーや一部破損した基地施設の修復やらで忙しいはずの整備グループ、そこに属しているはずの高遠さんは、僕と同じく陽の光と熱気を孕んだ風にやられていた。
「どうしたの、こんなところで?」
高遠さんは「あ、りょうとくーん」とフラフラの足元と声で、文字通り額に汗して、
「外での作業も入ってて大変なんだよ。それに、班長が給水ポット持って来いって」
恐らく彼女も炎天下の作業を続けて思考が上手く回っていないのだろう。説明が断片的になっている。それでも意味はわかったので、お疲れ様、と言って別れることにした。
機体の損傷は〈アルフェラッツ〉も〈ペルセウス〉も大きかったはずだ。今日の起動テストが終われば少しくらい休めるはずだったのだろうが、運悪く敵襲に遭うなんて、不幸にも程があるだろう。僕だけ休むというのも気が引ける。
というわけで、せめて郷田さんたちに労いの挨拶だけでもしておこうと思い、第七格納庫へと足を向けた。かなり暑くて辛いが、ろくに休みも取らずに働き詰めの人たちのことを思えば、これくらいの暑さは我慢しなければなるまい。
しばらく歩くと、周りのものよりも背の高い格納庫が見えた。
僕が歩いていくと、男達の気合いの入った声が耳に届く。その野太い声は余計に暑苦しく感じたが、何やら様子が違っている。
角を曲がってみると、そこには白い機体が牽引車の平たいトレーラーに載っていた。かなり破損していて、片脚はなく、胸には大きなナイフが深々と刺さっている。
間違いなく、浜辺で撃破した敵機だった。
その敵機に、人が
僕はそれを見ながら近づいていく。
その途中で、郷田さんが僕の接近に気づき、傍まで走り寄った。そして一言。
「こっから先は立入禁止だ。戻りな」
彼の言っている意味が理解できず、僕はポカンとしたまま首を傾げた。郷田さんの表情は険しかった。仕事中に声を上げる時すら、こんな表情はしなかったと思う。さらに、
「やめとけ、ボウズ」
その声は、憐憫?いや、同情?大人の立場から、子供に見せまいとする、何かがその先にある?
しかし、そんな郷田さんの厚意も、僕には届かない。見えてしまったから。
僕の両目の視力はそれぞれ一.五ある。映画鑑賞が趣味なのに珍しいと言われるが、それはこの際置いておく。
ハルクキャスターからナイフごと外した装甲は、コックピットのハッチだったようだ。コックピットはスライド式で、数人のスタッフが周囲で操作をすると、コックピットブロックが前方にスライドした。そこへ、担架が送られた。
僕は、なんだか嫌な予感がした。その予感は、郷田さんが僕を止める原因なんじゃないかと思う。
作業は何やら手間取っているように見えたのだが、すぐに終了したようだった。担架にパイロットだろう、生きているか死んでいるか、後者の可能性が極めて高いが、それを裏付けるように、白い布を被せられた状態で運ばれようとしている。その光景から目が離せない。僕がやってしまった結果なら、僕も覚悟を決めなければならない。それが、戦争をするということなのだから。
その時、ぐらりと担架が不安定に揺れた。足場の悪い中での作業なのだからしょうがないだろう。そのせいで、担架の中身が落ちた。
「―――っ!?」
僕は、その光景に眼球が飛び出すんじゃないかと思うほど、目を見開いた。
それは、黒いソックスのようなものとスパッツのようなものを穿いていた。ここまで薄着なのは、浜辺でのフィオナと同じように、魔法で作り上げたパイロットスーツのようなものが解除されているからだろう。
着衣はそれしかない。それも当然といえば当然だ。
腰から下に穿くものなんてそれくらいしかなくて、
腰から下しかない人に、それ以上着せようがないのだから。
転がり落ちた下半身は、機体の上をバウンドし、その度に関節をぐにゃぐにゃ曲げながら、トレーラーの上に断面を擦りつけて逆立ちした。そして、最後にゆっくりと傾き、トレーラーから落ちた。
視線を上に向けると、スタッフが「やっちまった」みたいな顔をして、下にいる仲間に詫びと確認を取る。そのスタッフが支える担架の、上に被せられた白い布の隙間から、だらんとした浅黒い腕が垂れ下がり、急に吹いた潮風が、一瞬だが白い布を捲り、黒く濡れた髪と、顔の半分が外の熱気に晒された。
目が合った。白く濁った眼球が、僕を見た。驚愕と苦痛、絶望を語る白濁としたその目は、一瞬しか見えていないのに僕の脳に深く刻まれた。
膝が笑う。力が入らない。そのまま地面に膝をつき、手をついて、僕は全てを忘れたくて、現実から逃れるように目を閉じた。
視界が暗闇に変わった瞬間、白濁とした目が、僕を射抜く。
「ぅぅ…」
小さく呻く。それに続き、僕は見えなかった上半身の有り様、その断面と、余計なところにまで想像を巡らせてしまい、とうとう胃の中の物をぶちまけてしまった。
「お、おい、ボウズ!」
郷田さんが僕の肩を掴む。が、僕は歯をガチガチと鳴らすばかりでそれに応えることもできない。まるで、鋼鉄の重りを背負っているように、体が言うことを聞かなかった。
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