第13話
なんだか余計に疲れた。
帰ってきたはいいが、扉がやけに重く感じられる。それだけ心も体も疲れたということか。
「ただいま」
僕はリビングに入って買い物袋を一旦下ろして冷蔵庫に
「おかえり、ヘタレ」
食材を保管しようと思った矢先、心ない同居人の一言により感極まって泣きそうになった。こいつエスパーか何かか?僕の心の傷ピンポイントで抉りやがって。
フィオナはそんな必殺の一言を放ったことなど露知らず(多分知ってても変わらないか)、船の中で巨大ミミズが人を丸呑みにしている映像を笑いを堪えながら見ていた。相変わらず彼女の思考回路がどうなっているのか理解できない。
こんなに落ち込むのはお腹が減っているからに違いないと強引に気持ちを切り替えようとした僕は、キャベツとタマネギとニンジンを切って油を敷いたフライパンで炒め始めた。
何の変哲もない野菜炒めだ。適当に切った野菜と肉を入れただけの。味付けは焼き肉用の塩ダレ(業務用)を適当に入れるだけ。美味ければなんでもいい、美味いからいいじゃないかという一品である。
ご飯をよそって野菜炒めの載った皿を持ってテーブルにつく。ちょうど映画も終わったので、僕はフィオナの許可を取って(どれだけ弱いんだ僕は)、民放のバラエティ番組にチャンネルを合わせた。報道番組でも見て今の情勢を確認した方がいいのだろうが、どうも今日はそんな気分じゃない。たとえ高遠さんとのやり取りがなくても、今日はそんな気分だった。
「どうした?表情が暗いぞ」
L字に配置されたソファーに座って食事している配置上、僕の右斜めに座っているフィオナが話しかけてきた。こういう僕が暗い顔をしていたり溜息をついたりしている時に、彼女はよく話しかけてくる。純粋に心配してくれているのか、単に鬱陶しいと思っているのか、彼女の意図はわからないが、僕にとっては話し相手になってくれるので助かっている。
「父さんに会ったんだ」
「は?」
とても神妙に言ったはずだが、フィオナは言外で呆れていた。
「どうしてそれが悩みになる?父親だろう?」
さも不思議そうに言う。どうやらフィオナにはそういう肉親に対する苦手意識がないというか、そういう人間がいることがしっくりこないらしい。
「僕がまだ小さい時に母さんが死んでさ」
僕は自分の生い立ちを話すことにした。あまり重苦しい話をするのはどうかとも思ったが、僕がすっきりするためにはその辺の事情をわかった上で話を聞いてもらわなければならない。いつも家事全般をこなしているのだ。それくらい、彼女には我慢してもらいたい。
「それから、僕は親戚の家に引き取られたんだ。僕は母さんだけじゃなくて父さんまでいなくなることが嫌だったんだけど、結局父さんと会うことはなかった。次に会ったのは、MUFに入った後だった。しかも父親と息子じゃなくて、上官と部下として、ね」
あの時のことはよく覚えている。僕が九歳の時に母さんが交通事故で死んで、でも、その時にはまだ死ぬって感覚がいまいちよくわからなくて。ただ、もう母さんは動かなくて、もう二度と会うことができないという事実関係が、悲しいという感情を与えた。
それからすぐに、父さんは親戚の家に僕を預けた。まだ、僕は父さんが苦手ではなかったし、むしろ好きだった。仕事が忙しくてなかなか一緒にはいられなかったけど、それでも父さんがたまに帰ってくると嬉しかった。
でも、叔父さん叔母さんのところにいる間は、父さんと会うことはなかった。連絡も一切なくて、僕は段々不安になっていった。もしかして、父さんは僕のことが嫌いになったのか。そんなことを思い、そういった思いを紛らわせるために、ひたすら勉強をしていた。
早々に中学を卒業した頃、僕は
そして、僕は士官学校を経て、MUFへ入った。
自衛隊では現行法において、自国を守るだけにしか動けない。だから、敢えて僕はMUFを選んだ。選考基準はあまり厳しくはなかった。
そして、入隊後すぐに、父さんと会った。
僕は嬉しかった。これまで触れることのできなかった、遠すぎる存在になっていた父さんと同じ仕事ができる、近づけたという意識がそうさせた。
でも、その感情はすぐに消え去った。
再会したのは『父』と『子』ではなく、『上官』と『部下』であったからだ。
頭から冷水を浴びせられたみたいだった。それから、僕と父さんはひたすらに上官と部下として接し続けることになった。もっとも、元々一パイロットと基地副司令という関係なので、会話どころか顔を合わせることすらほぼ無いわけだが。仕事外で会うこともできなかったので、それはより辛く、苦手意識へとすり替わっていった。
今こうして詳しく経緯を話しているが、結局は後から考察した後付に過ぎないのかもしれない。本当は、長い間父との距離が空きすぎたせいで、今更何を話せばいいのかわからない。たったそれだけなのだろうから。
「そんなもの、考えたところでどうにかなるものじゃないだろう」
僕の長い説明を聞いた後、フィオナは空っぽになったお茶碗と箸を置いて言った。
まぁ、結局はそういうことなのはわかっている。考えれば考えるほどわけがわからなくなる問題であることも確かだし、事は思ったよりも単純かもしれないのだから。
「試作機のテストパイロットで気負ってるせいかな」
僕はなんとなく結論づけた。
と、フィオナは僕が何気なく言った言葉にピクリと反応した。
「試作機?新型でも投入したのか?」
フィオナが聞いてくるが、僕はしまったなぁ、と心中で溜息をつき、頭を抱えた。一応Aクラスの機密事項だし、民間人とかそういう以前にフィオナは敵であるイグドラシル連合の魔導師なのだ。そんな機密を教えていいはずがない。
が、口にしてしまったものはしょうがない。こちらからも情報を与えるのを覚悟で、彼女からも事情を聞こう。僕もあの機体について、少しでも情報が欲しい。無茶苦茶な理屈だと思うかもしれないが、機密が漏洩して処分されるかもしれないのと得体の知れない機体に乗せられてどうにかなることを天秤にかけたら微妙に後者の方が嫌だなと思った。目先の事に目が行ってしまったわけだが、そこはやはり人間、自分の身が一番かわいいんだよ、うん。
「三日前に付近の海域で新型と思われるハルクキャスターを回収したって聞いたんだけど、もしかして、君が乗ってた、なんてことないよね?」
そう尋ねると、フィオナは大皿に載っている野菜炒めから肉だけを摘んで口に運びながら、ああ、と頷いた。
「〈ベラトリクス〉のことか」
何の躊躇いもなく、フィオナは答えた。
「ベラトリクス?」
僕は本当の意味で野菜炒めと化した皿を眺めながら、初めて聞く単語を聞き返した。
「ERM―X2/F〈ベラトリクス〉。第四世代ハルクキャスター、その概念実証機だ」
フィオナは彼女側の機密やらなんやらを気にしているのかどうかも怪しいほど、色々と喋り続けた。
「新型の
ぶっちゃけ、何言ってるのかよくわかりません。
人工筋繊維っていうと、特定電圧型疑似筋肉繊維と呼ばれるVIMFと同じようなものだろう。要は電圧をかければ縮まる繊維のことだ。地球製の第二世代型人型兵器の初期型はそんなもの使われておらず、第二世代後期型から油圧とのハイブリッドで使われ始めたものだ。両陣営が同じ事を考えていたのか、それとも鹵獲したハルクキャスターからの技術なのかはわからない。しかし、そこはこの際どうでもいい。
問題は、あとの二つ。恐らくジェネレータと何かの増幅器なのだろうが、聞いたことのないものなので、どんなものなのかが想像できない。だが役目はわかる。名前の通り、魔法で動かす動力と魔法を強化する装置であることは。ただ、そういった装置に実感が持てないというか、どんな理屈なんだ、と思ってしまうのである。
「センセー、そのジェネレータとアンプがなんなのかわかりませーん」
なんとなくふざけてみた。オーソドックスな教師と生徒ごっこだ。
すると、フィオナはありもしない眼鏡のブリッジを中指で押し上げるような動作を取り、
「しょうがない、出来の悪い生徒にフィオナ先生の特別授業だ」
なんかすごいノリノリで対応してくれた。
「
ふうん、と相槌を打ってみる。まぁ、概略くらいはわかった。全く意味はわからないけど。つまり、ハルクキャスターは魔法で作った電力で動いて、パイロットが使う魔法を強化して、機体の武装として使用するとか、そういうことだろう。
それにしても、タービンを回しているときたか。なんか不思議パワーで動いているイメージがあったが、普通に発電してたんだな。基本に忠実に、というか、一周回って原始的?とか思ってしまう。
「で、その魔力素っていうのは?」
会話の中に出てきたわからない単語は覚えているうちに質問しておこうという志から、僕は尋ねた。まさに聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥、というやつだ。
「ん?この前説明しなかったか?」
フィオナは顔を顰めた。いや、もしかしたら僕たちが出会った当日なり翌日なりにそんな話を聞いたかもしれないんだけど、あの時はこれからどうしよう、という焦りと、同い年くらいの女の子と同棲か!?っていうドキドキやらで、話も半分くらいしか脳に入ってきてなかったので、もしかしたら二度手間かもしれない。
「先生、やってないと思いまーす」
「そうか。してなかったか」
美人教師フィオナ(役)は何やら考えながらも、説明してくれるようだ。それにしても、教師と生徒ごっこかなり続くな。僕から振っておいてなんだけど。
「魔力素というのは、我々魔導師が魔法を使う際に必要なもので、大気中の粒子である魔力子の集合体と思えばいい。逆説的に言えば、魔力素を作り出して魔法を使える者を魔導師と呼ぶということだ。ここまではいいか?」
「はーい」
なんか僕もノってきた。
「でだ。魔力素とは、大きなエネルギーを内包する粒子なのだが、これは特異な性質を持っていてな。『質量を持ちながらも重力の影響を受けにくい』という性質を持っている」
その説明に、僕は首を傾げた。質量を持ちながらも重力の影響を受けにくいというのは、つまり質量がゼロに近いものを指すはずだ。しかし、わざわざ『質量を持ちながらも~』と言っている以上、そういう意味ではないはずだ。つまり、フィオナはこう言いたいのだろう。『慣性力は働くが、重量がほぼゼロの物質』と。質量と重量は似ていてわかりずらいかもしれないけど、重量とは日常会話で使う意味の『重さ』、質量はその物体の『動かしにくさ』くらいに思えばいい。本当は慣性質量と重力質量に分かれて、この場合は前者の事を指してるんだけど、その辺の物理的説明はこの際割愛する。
「この粒子は質量という概念を超えた存在なのだが、その特異性は他にもある。それを利用して魔導師は『魔法』と呼ばれる現象を起こしているわけだが――」
なんだか更に難しい話にシフトしてきた。が、ここは我慢の時。大人しく美人教師フィオナ先生の講義に耳を傾ける。
「この魔力素は、光子や重力子など、あらゆる粒子に干渉する」
「…………どゆこと?」
ふむ、と再び虚空の眼鏡のブリッジを上げる仕草をした後、フィオナ先生は出来の悪い生徒に説明するように、一例を挙げてくれた。
「飛行魔法を例に取ろう。では、そもそもなぜ人間は空を飛べない?」
「心の翼を失ってしまったからで―――ってイタッ」
ゲンコツが下された。どうやらあんまりふざけた冗談はご機嫌を損ねるらしい。真面目に説明している時に茶々を入れられたせいもあるだろう。フィオナ先生はスパルタだった。
「すいません、重力に抗えないからです」
そんな僕は今の君に抗えない。流石に僕はマゾではないので、あんな体罰を続けられたら参ってしまうからだ。
「よろしい。では逆説的に、重力の制約さえなければ人は空を飛べるわけだ。そこで、不思議粒子である魔力素の出番なわけだ。魔力素が重力子に干渉し、その力の伝達を阻害する。さらに、本来働くはずだったエネルギーを別の形で使用する。そうすれば、実質的にベクトルの『向き』が変わり、揚力と推力を得たとほぼ同義になるわけだ。ま、言うほど単純な機構ではないがな。ベクトルの『大きさ』を制御しないと水平方向に自由落下という愉快な状態になるし、他にも働いているファクターがあるにはあるが、映画の続きが早く見たいので省略する」
「……………………………………………………………」
わかった………、気がする。
少なくとも、イグドラシルで言う魔法ってのは大地やら風の精霊やらが云々、とかじゃなくて、物理現象に対して科学的に介入してるてことだけはわかった。
「他にも粒子干渉で色々できるし、魔力素自体を振動させたり摩擦させることで生まれる現象もある。対象の温度場の制御や、電位の操作なんかも、演算がかなり複雑になるが、できないことはない。魔力素は質量を持っているため、それ自体を集合させてぶつければ攻撃できるし、集めて前面に展開すればシールドになる。粒子の圧縮率を変えればクッションにもなる。とまぁ、用途は色々だ」
時間にしてみればほんの十分にも満たない会話だったが、なんかドッと疲れた。
「ねぇ、フィオナ」
フィオナは新しいDVDのディスクをプラスティックの箱から漁り始めたが、僕はその後ろ姿に問いかけた。
「なんでそんなことを教えてくれるの?一応、僕って敵じゃない?」
そんな問いに意味があるとは僕も思っていない。
でも、なぜか聞いてみようと思ってしまったのだ。
「ギブアンドテイクだ」
フィオナは手に取ったパッケージを見比べながら、声だけを返した。
「そっちも機密みたいな情報を口走ったようだったからな。これでお相子だ」
一枚のケースを選び出し、フィオナはプレイヤーの前へ移動する。
「それに、知ったところでお前達に魔力素は作れない。運用もできない。知識だけじゃ何の役にも立たないからな」
ディスクが収納され、再生された。
フィオナはクッションを抱えた状態でソファーに座り、リモコンを操作する。
こういう時、なんて言えばいいんだろう?
ありがとう、ってなんか違う気がするんだけど、でもそれ以外思いつかない。
悩んでるとまた頭が痛くなりそうだ。
結局、そんなことを考えるのはやめて、僕も映画を見ることにした。
画面を見ているうちに、僕は思った。
これだけは伝えておこうと。
「ねぇ、モンスター系以外見る気ないの?」
再生されたのは、巨大なワニ映画だった。
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