第二章 始動
第7話
『MUF』の横須賀基地は、元々アメリカ軍基地を改修したものだ。軍港と滑走路を挟んで格納庫やら司令部やらの建物が建っている。入り口ゲートには一応衛兵が立っているが、僕が通ると敬礼してくれる。僕は返礼し、ポケットから顔写真入りのIDカードを取り出して改札機に翳す。空港の入国審査よろしく、瞬時に端末が認証確認、同時に持ち物に不審物がないかチェックされる。それこそ、一度財布と拳銃を取り出してから金属探知機とかでチェックもあるわけで、面倒といえば面倒だ。
ゲートを潜ると、手前に三階建ての事務局があり、視界の端、北西方向に幾つも並ぶプレハブな兵舎があり、視界の端に滑走路が見える。
ここ横須賀基地はアメリカ軍駐留基地時代からかなり改修されている。新設された司令部棟に、新設された格納庫、新設された兵舎。埋立地が増え、船舶のドックや港が移設され、研究棟や実験棟も増設され、中には一〇メートル級の風洞も存在する。元から残っている建物や施設はほんの一握りで、それらも全て改装されている。二〇九八年の米軍再編成時に放棄されて以降、物凄い勢いで手が加えられ、利用されたのはほとんど土地だけという、もう元の面影はほとんどないらしい。これまであった軍の主要施設が、居住区画のある北側から埋め立てられた南東側へと移動した形になったため、印象はがらりと変わっていることだろう(僕は前の基地がどうなってるか知らないのであくまで予想)。
特に、元々居住区だった地区のほとんどを潰して建設された研究開発区はかなり凄いらしいが、入ったことがないので伝聞情報くらいしか知らない。なんでも、研究開発だけでなく生産ラインがあるらしい。なんとも凄い物が十数年でできたものだ。ちなみに、嘗ては中にスーパーや映画館があったらしいが、それを潰したことには基地職員から不満が出たらしい。
事務局の脇を通り過ぎ、やや歩いた後、兵舎の一角へと入る。
「よう、相模」
僕がドアを開けたと同時、快活な青年の声が出迎えた。
「おはようございます、
僕は足を揃え、敬礼。ま、ここまでやらなくてもいいんだけど、これが僕と芦原大尉との普段通りのやり取りなので、特に違和感はない。学校のロッカー室とあまり変わらない、長椅子の両脇に聳える縦長のロッカー群には、僕を含めて二人だけしかいない。少し時間が早いせいだが、あと一〇分もしないうちにここはごった返しになるはずだ。僕と大尉はそれが嫌で、いつも少し早めにロッカーに入るのである。
芦原
「今日もお元気そうですね、大尉は」
自分のロッカーの前に立ち、青い軍服を取り出しながら言うと、ブーツの紐を結んでいる芦原大尉が「まあな」と具合を確かめながら答えた。
「昨日は事務局の浅川准尉に元気をわけてもらったからな」
活き活きとした表情で語っているが、この大尉、『取っ替え引っ替え』な関係を持っている。どうも一夜限りの付き合いが多いらしく、特定の女性と関係を持ち続けないらしい、そんな二八歳独身である。確か、基地内の広報が行った職員調査で『抱かれたい男ナンバーワン』を飾ったのもこの人だ。
そんな遊び人みたいな印象を持ちやすい彼だが、パイロットとしての腕はなかなかのものだ。なんでも第七世代戦闘機である〈RF-6〉三機に、第五世代の〈F-22〉一機で勝利したらしい。
〈RF-6〉はこれまでの常識を覆す戦闘機である。プラズマジェット推進方式を採用しているのも特徴の一つではあるが、それよりも大きな特徴はその推進部の構造である。フレキシブルスラスターという、要はいろんな方向に動くスラスターである。横方向に四五度、上方向に六〇度、一番下方向には一二〇度まで移動するという、考案時は上層部から笑い飛ばされた戦闘機であった。それが今アメリカを中心に制式採用されて配備が進められているのは、その常識外れのスラスターが生み出す常識外れの機動であった。とにかくおかしいこととして、普通戦闘機は回避行動に旋回やら上下降などの回避マニューバを実行するのに対し、いきなり真上や真下、真横に回避してしまう。その機動は従来の
そんな、普通なら変則機動ですぐに後ろを取られて撃墜されるであろう状況で、芦原少尉(当時)は勝利したらしいのだ(本人曰く、そもそもコンセプトが違う機体なので単純比較が馬鹿馬鹿しいとのこと)。そのことは関係筋では有名な話らしく、『足つきがラプターに負けた』と、印象に強いようだった。ちなみに、足つきというのはフレキシブルスラスターを動かすとき、特に下方向に向けた際に足の付いた戦闘機に見えることから付けられた非公式名称だ。本来のペットネームは〈レイダー〉なのだが、どうも浸透しなかった様子であり、軍関係者も普通に〈足つき〉で呼んでいることがあるくらいだ。嘗て、バルキリーだ、ブロンコだとか言ってる人がいたが、生憎僕には理解できなかった。
僕と大尉はロッカーから出て訓練場へ直行した。
自分で言ってもなんだが、この軍隊はかなりおかしい。僕は軍に入って四ヶ月が経とうとしているが、だいたい九時前に集合していれば文句は言われない。普通はもっと早く集合するらしい(なにしろ自衛隊も他の軍隊も経験ないのでわからない)のだが、どうも『MUF』はやや緩い気がする。警戒が緩いわけでもなく、僕も深夜警備やスクランブルの待機を経験しているが、その頻度は決して多くない。元々この地区は自衛隊との連携作業が基本なので、時間内にできるだけ技術を磨き、実戦で通用する兵を育てるのが当面の目標として示されている。特に、今年は僕を含めて三人の戦闘機パイロットがこの基地に配属されている。だから、芦原大尉のように経験のあるパイロットが教官役を務めて新人・若手を育てよう、という指針の下、こうして訓練に励むわけである。
そもそも、この『MUF』横須賀基地は、ぶっちゃけてしまうと自衛隊の延長線上に当たる。階級の呼称や指揮系統の違いで誤魔化してはいるが、外国人がほとんどいないこの基地は、もはや専守防衛ではない『先制できる自衛隊』と言っても過言ではない。
国連の指揮下となっているものの、基地設置国からの要請があれば、それを受けて行動する。マスコミでもこれを指摘していたが、その辺りは政治家の問題なので僕から言うことは特にない。
滑走路には数機のRF-6〈レイダー〉の白銀のボディが太陽光に照らされていた。滑走路の途中から、熱気のせいでゆらゆらと景色が歪んでいる。
それらを横目に、僕たちはまず射撃訓練場に
「ああ、忘れてた」
行こうとして、芦原大尉はポンと手を叩いた。
「相模来たら司令部に来るように言われてたんだった」
なんか大事なことを忘れていたようだった。っていうか、そういう大事なこと忘れないでください。毎度思いますけど、大尉のそういう部分って、作戦中に起こったらかなりやばいと思うので。「あ、そういや合流ポイント変わったんだっけ」なんて撤退途中に言われたらシャレにならないし、殺意すら沸くかもしれない。いや、もう絶望かもしれない。
「司令部……、ですか……」
なんとなく、乗り気がしない。別に司令部に呼び出されてドキドキワクワクする人も多くはないだろうが、それに輪をかけて、僕は司令部という場所が嫌いだった。
「ん?どうかしたか」
「あ、いえ」
僕の沈んだ顔を気にしてくれた大尉には申し訳ないが、曖昧な返事しかできなかった。
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