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 検問と検品を終えて街の中へと踏み入れる。


 この地に降り立ったことは一度、二度の話ではないが、だからといって庶民たちが闊歩する街中を出歩いたことはない。アーデルハイトの名は有名ではあるものの、だからといってこの顔を知っている者のほうが少ないのだ。


 聖ツムシュテク教皇国。西大陸の国々、ホロホロ族を除くすべての国が国教とするツムシュテク教、その総本山。大陸の最西端に位置し、陸地はすべてメルダース帝国に接している。元は聖ツムシュテク教皇国とメルダース帝国で挟むようにして二つの小国が構えていたのだが、五十年以上前、先々代皇帝であるノルベルト二世によって滅ぼされた。

 ツムシュテク教の総本山であるがゆえに、国内はどこも各国から訪れる巡礼者たちで賑わう。巡礼者に扮すれば国内に侵入することも難しくないため、アーデルハイトが直接踏み入れる前から、二名の間諜を送り込んでいた。ただ、忍び込めたからと言って国の中枢まで入り込むことは難しい。深く踏み入れるための間諜を育て上げるためには人材も時間も足りなかった。


 相変わらず言葉を発することはないが、人間の魔族であるスーとスウィのふたりはアーデルハイトが想像していた以上に優秀に育った。存在感のない双子は、まるで最初からそこにいたかのように人々の隙間に忍び込む。警戒心を煽ることなく、多くの者が勝手に双子の前で情報を吐き出した。


「商会長、宿の確保ができました。申しつけのとおり、サイハテ商総数四十名で貸し切りです」

「案内して。ヒューイ、商組合で行商登録の手続きを。組合長とまでは言わないけれど、なるべく上の人間と面談できるように調整して」

「仰せのままに」


 いかにも異国の商人といった出で立ちをしたヒューイが、数名の部下を引き連れて去っていく。言葉遣いも立ち振る舞いも、商会の中枢にいる人間としておかしくないほどに成長した。最初の二十名は、いまやアーデルハイトが細かく指示を出さずとも意をくみ取れるほど、頼もしい手足となってくれている。


 石畳も建造物の壁も、首都シットメットではすべて白色で統一されている。屋根はどれも鮮やかな青である。アーデルハイトもまたこの国の文化に倣って白や青を基調とした服を身にまとっていた。まかり間違えても黒を纏うわけにはいかない。

 白や青を基調とした服と言っても、無垢な真白や目の覚めるような青ではない。それらを身に着けることを許されるのは、僧門にくだった神官のみである。


 服の色はあわせても、アーデルハイトら一行が異国風の出で立ちであることに変わりはない。男たちのほとんどは頭にターバンを巻き、女たちの半数は顔にベールをかけている。だからといって、大きな荷馬車を引いたサイハテ商が道行く人の目を引くことはなかった。

 首都シットメットのなかでも商人街と呼ばれるこの一角は、その名の通り多くの商人たちが出入りする。アーデルハイトらが扮するサイハテ商のように、異国の行商人など珍しくはない。多くの金が動き、影響力を持つ人間が多く集まるこの一角は警備体制も厳格であり、治安も悪くなかった。


 ノアに案内されたのは、それほど大きな宿ではない。しかし、中へ踏み入れてみると清掃の行き届いた受付フロアに品の良い調度品といった、『サイハテ商が求める』水準に充分達している宿である。庶民の利用する宿のように、宿泊受付と食事処がひとまとめにされていないのも良い。


「ようこそ、聖ツムシュテク教皇国、首都シットメットへ。ヘルゲン・ラーカム一同がサイハテ商の皆様を歓迎いたします」


 身なりを整えた宿の従業員が受付に並び、ツムシュテク教の礼をとった。


 このやりすぎとも言える挨拶しかり、予約をしていないにも関わらず貸し切りしかり、ノアはいったいいくらのチップを積んだのか。たしかに、数か月滞在することを考えて拠点となる宿屋の相手をしろ、とは言ったが。

 ちなみに、『ヘルゲン』とは旧言語で宿泊所をさす。この旧言語はツムシュテク教では神代言語とも呼ばれ、聖典はすべてこの言語で記さている。『ヘルゲン』を直訳すると『神の寝所』となり、国の認可を得た格式の高い宿屋しか名乗ることを許されていない。


「サイハテ商の商会長をつとめます、アーデルハイトと申します。母国のしきたりにより、既婚の女は素顔を晒すことができません。顔を隠すことはこの国では失礼にあたると存じ上げてはおりますが、どうぞご容赦くださいませ」

「申し遅れました。私、ヘルゲン・ラーカムの代表をつとめますラーカス・ラーカムでございます。お顔のベールについてはもちろん、構いません。国が違えば文化が違うことも当たり前ですから。皆様に心地よく過ごして頂けるよう最善を尽くしますが、至らぬ点がございましたら遠慮なくお申し付けくださいませ。お手数ですがこちらの台帳にご宿泊される皆様のお名前をご記入ください」


 ラーカス・ラーカムとはずいぶんとふざけた名前である。が、それをとやかく言うつもりもない。

 言われたとおり、素直に四十名の名を書き連ねていく。アーデルハイトの配下はおよそ百名まで膨れ上がり、文字を書けぬものはいない。しかし、短期間で習得したばかりかその他の教育まで詰め込まれているため、字が壊滅的に下手な者も少なくなかった。聖ツムシュテク教皇国に連れてきた四十名は中でも優秀な者たちであるが、それでも初めのうちは慣らし運転。どのような立ち振る舞いをすべきか、見て学ぶ期間である。


「サイハテ商様の母国は東の国でしょうか」

「ええ。ハッセルバム、と申します」

「おお、初めて聞くお名前ですね。不勉強で申し訳ありません。アーデルハイト様は西大陸の言葉も流暢でいらっしゃいますね」

「ええ。こちらで商いをするというのに、失礼があってはいけませんもの」


 けして嘘は言っていない。ラーカス・ラーカムの言う『東の国』が大陸東部の諸国を指すことはわかっているが、そもそも聖ツムシュテク教皇国は大陸最西端の国である。ここから見ればどの国だって『東の国』だ。嘘は言っていない。


「ハッセルバムはまだまだ歴史の浅い国ですから、ご存じなくとも仕方ありません。とくに、いまでも鎖国状態が続いておりますゆえ……国を開くための第一歩として、我々サイハテ商が行商に赴いているのですよ」

「なるほど。ときに、ハッセルバムの特産品などは、お伺いしても?」

「西大陸の各国にかなうほど生産量があるわけではございませんが、酒を特産としております。数はなくとも、質ではけして劣らないと自負しております」


 嘘は言っていない。

 大陸の東は西大陸とは違い、安定して統一された国は存在しない。民族や小国が争いを続け、短い期間で地図を塗り変え続けている。大陸を東西で分断するように広大な砂漠が広がり、そこからさらに東へ進むと荒野が待ち構えている。豊かな西と荒れた東。乾いた砂漠を渡り切るのは至難の業で、それ故に領土を広げたい西大陸諸国も攻めあぐねている現状であった。

 東大陸に存在する小さな国々を、西大陸諸国は厳密には国としては認めていない。しかし、東大陸ならではの特産もあり、行商程度ではあるが細々とした交易が続いている。


「酒ですか! それは良い!」

「あら、ラーカム様もお酒を嗜まれるのですね。それでは……そうですね、ノア」

「こちらを」


 ノアが差し出したのは両の手におさまるほどの小さな樽。中身が見えるように本当は瓶にしたかったのだが、有り余る木材の有効活用をするために樽の形をとっている。

 これはアーデルハイト一行のなかで『お近づきの印酒』とふざけた名前で呼ばれるものである。中身は今後ばらまいていく安価な酒と変わりはないが、小さな樽にほんの少しの細工を施してチップの硬貨が挟めるようにした。正面から差し出された者だけが、挟まれたチップの影を見ることができる。正面を除けば、上下左右どこから覗いても硬貨は見えない。岩窟人は本当に良い仕事をする。


「ツムシュテク教徒のみなさまには毎日厳かなお祈りの時間があるのでしょう? わたくしどもの酒はその清酒としてもお飲みいただけるかと自負しております。いずれ感想をお聞かせくださいませね」

「ええ、ええ。このような嬉しい贈り物はなかなかございません。後日、是非とも感想をお伝えいたしましょう」


 ああ、そうだ。とラーカス・ラーカムが声を漏らし、受付カウンターの下から質の良い紙を取り出した。さらさらとインクのついたペンで何かを記し、蝋でしっかり閉じる。

 樽に挟んだチップと引き換えに差し出されたのは、おそらくなにかの紹介状だった。


「行商登録のために商組合へと行かれるでしょうから、こちらを。大変有難いことに『ヘルゲン・ラーカム』は商組合の組合長様にもご贔屓頂いております。こちらの紹介状と私の名前があれば、直接の面会が可能かと思います」


 組合長行きの切符は有り難く頂戴して、ベールの中で微笑んだ。

 ヒューイに頼んだ仕事は無駄になったかもしれないが、聖ツムシュテク教皇国への足掛かりとしては幸先の良い一歩であろう。


 このラーカス・ラーカムもいずれ腰を抜かすことになる。

 今日相手にしたベールの女が、まさか『ハッセルバム』の王妃なのだとは思うまい。

 そしてそのハッセルバムが、まさかヒトの恐れる『魔族』の国なのだから。


 『ヘルゲン・ラーカム』。今まさに、戦争の温床を招き入れたなどと、ラーカス・ラーカムも思うまい。


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