25


 会議室には様々な樽が所狭しと並べられている。最初から窓を開けているとは言え、この酒臭さには辟易してしまう。


 順調に進む農耕地改革と街道整備。そして新たに、港の造設、造船、海産物加工場、円形闘技場の建設が始まった。

 海産物に馴染みのない首都民のために、国主導でそれらの普及もされている。業務の担当はシナリーのはずだが、イリシャが大いにやる気を見せて、最近では新たに海鮮料理を出す店も出来たらしい。


 ハッセルバムには正面から戦争が出来るほどの金はない。国庫もこの調子で行けば数年とたたずに尽きるだろう。


「青薔薇! これはどうだ? 十年しか寝かせていないが、燻した樽の香りが馴染んでなかなかだぞ! 俺の一押しだ」


 上機嫌なマルバドから手渡された木の器。並々と注がれたそれを軽く舐める。

 辛味はなく、まろやかさの中にスモーキーな強い香りガツンとくる。アルコールのツンとした独特の匂いも樽の香りに誤魔化され、マルバドの言うとおりなかなかの美味しさであった。

 ただし……


「この強さの酒を人間に飲ませたら、何人かは中毒で死ぬでしょうね」

「こんなに美味いのに」

「否定はいたしません」


 ヒューイが差し出してきた水で割ってみる。悪くはないのだが、せっかくの香りが飛んでしまって、美味しさという面では半減するだろう。平民がちびちびと飲みすすめるにしても、一瓶を飲み切るだけで数か月かかりそうだ。

 飲料用で売り出した酒瓶に『火気厳禁』などと書くわけにはいかない。


 会議室のあちこちでガヤガヤと酒を楽しむ魔王とその側近たち。

 昼間から酒をかっくらって宴会をしているわけではない。これもれっきとした仕事だ、たぶん。


 イリシャの持ち込んだ干物や、ユアンが持ち込んだ揚げ芋なども見えるが、断じて宴会ではない。


「楽しんでるか、青薔薇」


 こちらもまた上機嫌に近寄ってきたクリセルダに、思わずため息をつきそうになった。胸中でなんとか宴会ではないと言い訳をしているさなかだというのに。

 楽しんでいるか、という台詞は夜会の挨拶だ。執務中に向ける言葉ではなかろう。


 酒をハッセルバムの輸出品とすべく、その会議を行っていたはずだ。それが何故か遊宴の場みたいになってしまった。


「薄めると香りが飛びますね」

「そのまま飲むのが一番だろう」

「好む方もいるでしょうが、それでも強すぎるのです」


 上品な顔をして、干物を片手に酒を飲む。一国の主とはとても思えぬ様相だった。

 これがメルダース皇帝であったら、一瞬のうちに足元を掬われそうだ。


 肩に大きな樽を乗せたウルが近づいてくると、どすんと音を立ててアーデルハイトの目の前に置いた。


「人間、俺はこいつを推す。獣人の酒、豆酒ラッコルだ!」

「あたしソレ嫌ーい」

「うるっせぇ、インチキ鳥モドキが! 豆の旨さを一番感じられる酒こそ、このラッコル! 異論は認めねぇ!」


 早速ノアが器にうつしてアーデルハイトに渡してくれる。澄んだ透明な酒。

 軽く嗅いでみるが、聞いていたとおり強い香りはない。感じられるのはアルコール独特の刺激臭のみ。舐めてみると、ぴりりとした辛さのなかにほんのりとした甘さがある。


「美味しいですね」

「そうかなぁ? それ、味しなくない?」

「樽で熟成したものと違い、透き通った美味しさかと。豆の甘さと水の美味しさが直に感じられます」


 ハッセルバムは酒が美味しい。

 人間以上に酒を好むこの国では、その種類も豊富だ。貴重な食料を酒にしてしまうくらいには、彼らは酒を好む。


 ただ、ウルの持ち込んだラッコルも馬鹿みたいに強い。火を近づけたらこちらも燃えそうだ。


「てめぇは嫌いだが、酒の趣味は合うな!」

「ああ、ラッコルか。獣人は鼻がきくものが多いからか、こういった香りの弱い酒を好むらしいな。私も嫌いではないぞ」


「陛下。あまり飲み過ぎないでくださいませ。沿岸の町と同じようなことになっては困ります」


 酔ったクリセルダは厄介だ。ただでさえ垂れ流しの魔力が、さらに制御が効かなくなる。耐性のない者であれば、それを浴びて死んでもおかしくはない。

 この場にはアーデルハイトの世話役をかってでたラニーユがいるのだ。弱いレイスのラニーユは間違いなく消滅する。


 あの子は貴重なアーデルハイトの侍女であり、部下たちの教育役だ。こんなことで殺されたら困る。


「ハイジ、これは? 人族領には絶対にないと思わない?」

「イリシャ……それは間違いなくお酒よね……?」

「間違いなく酒よ! みんな大好きバジリスク漬け!」


 大瓶の中に漬け込まれたバジリスクの幼体。毒蛇が沈む濁った茶色の液体はいかにも毒々しい。酒だと言われなければ、怪しい研究材料にしか見えなかった。


「……いったいどのような感性をなさっていたら、そのような珍妙な酒が生まれるのでしょう……」

「美味しいわよ?」

「うお、くっせぇやつじゃねぇか! ぜってぇ俺の前であけんなよ!」


 ウルがそそくさとユアンのほうへ逃げていった。ヒューイまでさりげなく距離をとっているのをみるに、鼻の良い獣人にはきつい臭いなのだろう。


「蛇酒か、これも美味いぞ。臭いがあるから好き嫌いは別れるが、夜のお供として男どもに人気があるな。精力増強の代表だ。バジリスクの毒で舌がピリピリするのも楽しくて良い」

「毒があるのですか……」

「ああ、たまに死ぬ」


 たまに死ぬ。

 死ぬのですか、そうですか……


 樹海に潜む巨大な蛇の魔物、バジリスク。狩の練習をさせるために子どもを木の上から落とすことで有名である。

 樹海で死んだ人間の死因でもっとも多いのがこのバジリスク毒である。


 レッドラインの民家では、魔除けとしてバジリスクの牙を軒先に飾っていた。


 ちなみに、普通の毒蛇がもつ毒は、実は飲んだだけでは死なないことが多い。けして安全とは言えないが、咬傷から毒が入らない限りはほとんど害はないのだ。

 しかし、バジリスクは違う。あれらの毒は皮膚に触れただけでも強力な麻痺を引き起こす。噛まれたともなれば、ほんの数秒で呼吸困難に陥るのだ。

 生体のバジリスクは霧状の毒を噴霧する。吸い込んだだけで死ぬとわかっていても、バジリスク討伐で命を落とす傭兵は絶えない。


 その危険なバジリスクを漬けた酒。たまに死ぬとのたまいながら差し出してくるとは、さすがに君主とあっても正気を疑う。


 まあ、死にはしないだろう。どうせすでに死んでいるのだし。

 クリセルダに差し出されたそれを舌先で舐める。


「ぅ……」

「はははは! 青薔薇のそういうところが好きなんだ! くく、ははは!」


 ピリピリするなんてものではない。思わず口元をおさえて眉根を寄せてしまった。舌に電流が走ったかのように痛みが突き刺し、次の瞬間には痺れて感覚がなくなっていた。

 今喋ったら確実に舌が回らない。臭いがどうのという以前に、痺れが強すぎて味などひとつもわからなかった。


「くく、ははは! 毒があると聞いたのに迷いなく飲むやつがあるか!」

「ひ……死、には、し、ない……だろうと、思いま、して」


 そもそもすでに死んでいる。

 じわじわと痺れが抜けはじめ、ようやく嗅覚と味覚が戻ってきた。なるほど、今更ではあるが、たしかに臭いがきつい。生臭いような、薬臭いような、なんとも言えない香りだ。

 ひとくち舐めただけだというのに口の中はカッと燃えるように熱く、刺激としてはただ強いだけの酒の比ではない。


「喋れるのか!? すごいな!」

「ふ、ふふ、はい、お水」


 あんなハイジ初めて見たわ、と笑われたが、こちらももう二度と見せるつもりはない。蛇酒など金輪際飲んでなるものか。


「蛇酒は却下です、却下」


 魔族ですらときおり死ぬというのに、人間がこの毒に耐えられるわけがない。酒ではなく毒物だ、これは。

 しかし、バジリスクの幼体を捕らえられるというのは素晴らしい。なんと言っても人間は毒が大好きなのだ。それも上層に行けば行くほど、毒を好む人間は増える。毒は売れる。


 円卓に器を置いて、持ち込まれた樽や瓶を眺めた。さて、いったいどれをばら撒こうか。


 ハッセルバムで作られる酒の主な原料は芋や豆だ。メルダース帝国の葡萄酒とは違い、すべて蒸留されている。醸造酒というのは魔族にとって造酒過程で出来る未完成のジュースでしかない。

 メルダース帝国は北上するほど水資源が貴重になる。水資源が貴重で水代わりに葡萄酒を飲むメルダース人。水資源が豊富で、強い酒を嗜好するハッセルバムの魔族。この違いは大きい。


 メルダース帝国では蒸留酒には高い税がかけられ、ここ数年の間に高級嗜好品化がさらに進んでいる。葡萄酒も蒸留酒も、周辺諸国に卸している交易品でもある。

 そのせいでセンドアラ公国産のエールやウイスキーの需要が高まり、同時に値段も高騰した。


 ハッセルバムはそこに食い込む。


 芋を原料にし樽で熟成させたウイニット。豆が原料の無味無臭に近いラッコル。草の魔物とも呼ばれる多肉植物から作られるソナ酒。

 バジリスク酒? 却下だ。


 考えなければいけないことは、まだまだ山積みだった。



 会議という名の遊宴は進み、気づけば日が暮れていた。やがて雨が降り出し、雷まで鳴る始末。雨が吹き込まぬように窓をしめたせいか、会議室の酒気はいっそう充満していた。


「いいぞー! マルバド様ー!」

「デカいだけが筋肉じゃねぇ! ウル様の肉体美を見せつけてやれ!」


 考え事をしていて目を離したアーデルハイトが悪いのだろうか。否。けしてそんなことはない。アーデルハイトが見ていようが、見ていなかろうが、彼らは勝手に騒ぎ出したはず。


 アーデルハイトは悪くない。


「あははははは! イリシャ、何言ってんの!」

「だってシナリー、見てみなさいよ。このクッションったら、すごくクッションに似ているわ!」

「あははははは!」


 アーデルハイトは悪くない。


「……駄目じゃない……駄目じゃない……」


 アーデルハイトは悪くない。


「青薔薇、私を見ろ。その美しい青い瞳に私をうつせ」


 アーデルハイトは悪くない。


「マルバド様の筋肉こそ、この国イチ!」

「いいや、ウル様の肉体美こそ大陸イチだー!」


「あははははは!」

「駄目じゃないもん……」


 アーデルハイトは……


「青薔薇、さあ、夜間飛行へ行こう」


 心の底からメルダース帝国に帰りたいと思った。


`

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る