13.死に至るやまい 前
ジョシュアが目を覚ましたのは明け方近くだった。窓の外からうすら聞こえる鳥の声が、これからも目にすることはないだろう朝を告げていた。
起き抜けのぼんやりとした頭でも、気絶する前の事は
何度も何度も、泣きたくなる程殺された。避けても受けても吹き飛ばされる。気付くと手脚は無くなっているし、無理矢理血を与えられれば驚く程の速度で生えて来る。
死神の如き赤毛の戦いぶりに、ジョシュアは吸血鬼の戦い方というものを嫌でも覚え込まされた。
そして同時に気付くのだ。己はもはや人間ではないのだと。思い知ってしまった。悲観する暇も余裕も、ジョシュアには無かった。
もはや身体も精神もボロボロで、しばらく戦いと名の付くものは遠慮したい。けれどもきっと、あの分ではしばらくミライアどころか赤毛のお許しすら出ないのだろうな。そう思うと、ジョシュアは自然大きなため息を吐いてしまうのだった。
そう、ひとしきり絶望した後で。ジョシュアは横になったまま、ぐるりと周囲を見回した。場所はいつもと同じ、赤毛に連れてこられた大きな屋敷の二階だ。
この家には誰も住んでいないのか、はたまた家主が出かけているのか、自分達以外の気配を一切感じなかった。
思いのほか広い地下室と、生活に必要な物の置かれたパントリーや広間のある一階、そして、寝室など複数の部屋を有した二階。
平民、というには大き過ぎる家だ。どこぞの貴族のセカンドハウスのようにも見える。何故、このような場所に赤毛が自由に出入り出来ているのか。ジョシュアには疑問でしか無かった。
けれどあの男ならば、女も男も
寝かされていたのは、二階にある部屋の中でも一、ニを争う程に大きな部屋で、客か主人でも迎えられるような豪華な造りをしている。
家主に断りも入れず豪華な部屋に寝ていた事に
毎度ながらボロ衣のようになっていた衣服は、いつものように綺麗なものに着替えさせられている。それをやったのがあの赤毛だと思うと、少し、いやかなり微妙な気分にはなるのだが。背に腹は代えられない。ミライアでない事を幸運に思うしかない、と、ジョシュアは無理矢理に納得させた。
そんな起き抜けの思考に区切りをつけたジョシュアは、ようやく起き上がる決心をする。
起き上がってしまったら、またあの訓練が始まるのだと思うと憂鬱だった。逃げ場なんてどこにもないのはジョシュアも承知しているし、それに、辛いばかりという訳でもないのだ。
彼は元々ハンターだった。人間の、軍や騎士達の手に負えない化け物に立ち向かう、化け物退治の専門家。
その在り方は違えど、ミライアに付いて回ればジョシュアもいつか、
起き上がるために、掛けられていた薄い毛布を
そしてその瞬間、ジョシュアは硬直した。
布団の中、彼の腹の辺りに腕を回しつ、何と赤毛がそこで眠っていたのだ。
ここ数日ほど行動を共にしてはいるが、赤毛の眠る姿を見るのは初めての事だった。あまり眠らなくても平気だとか、他人の前では眠りたくないだとか、赤毛は色々と喋ってくれたのだが。では一体、これはどういう訳なのだろうか。ジョシュアは考え込んでしまった。
ミライアも含め、吸血鬼は基本的に他者とは
それは戦闘が苦手だと言い張る赤毛も同様の事で、寝首をかかれぬ為にも他者の前では眠らないのだ。当人はそう言っていた。そのはずだった。
「…………」
思わず無言で見つめる。これは一体何の
そうして何とか、起こさぬようにしながらその腕から逃れようと思考を凝らす。腕を引き剥がそうとしたり、その腕の中からすり抜けようとしたりと。だが赤毛の馬鹿力に阻まれ結局は無駄だった。
かと言って諦めようにも、寝起きのジョシュアの身体はひどく水分を欲している。今すぐにでも、部屋の向こうに置いてある水差しの水が飲みたくてたまらないのだ。
はて困った。ジョシュアは動きを止めて考えた。眠っているところを起こすのも気がひけるし、他に方法なんてあるのだろうか、なんて。無言でうんうん唸っていると。
ふと、腰に引っ付いて離れない赤毛の身体が、微かにブルブルと震えている事に気が付く。
すると途端、ジョシュアはハッキリと苛立ちを覚えた。
このふざけた男は、ジョシュアがこの腕から抜け出そうと奮闘するその様子を、最初からそこで笑って見ていたに違いないと。
「……おい、アンタ、起きてんのか?」
苛立ちを隠しもせずに声をかけると、赤毛の震えは益々強くなっていった。それでも尚、無言のまま震え続けるので、彼は苛立ち紛れに赤毛に蹴りを入れる。
もう、寝ているのを起こさないように、だのという遠慮は必要ない。結構本気で蹴り付けながら、ジョシュアは脱出を試みたのだった。
するとようやく、狸寝入りの赤毛から悲鳴が上がった。
「あ、痛っ、それ痛い、骨当たってる」
「煩い。起きてんなら退かせ」
「ひぇっへっへっへ」
「おい!」
最早完全に笑いながらジョシュアを拘束している赤毛に対して、何とも
先刻の死闘でさんざん恐怖心を
ミライアにすれば
ジョシュアは困惑していた。この男の事が
その場で大きくため息を吐く。抜け出す事は諦め、ジョシュアは脱力しながら赤毛に問うた。
「アンタ……ほんと、何なんだよ一体。他人の前では寝ないんじゃなかったのか」
「んー?」
「俺は一体どうすれば良いんだ……水を、飲みたいんだが」
「ああー、それで必死だったのね」
「……寝惚けてんのか?」
「んー、かもしれない、久々に眠ったよぉ」
「昼間も、起きてるのか?」
「うん。ここの地下に
「……そうか」
赤毛の気分が変わり手放してくれる事を願いながら、ジョシュアは赤毛の話に付き合う事にした。
「眠ったってただお腹空くだけだし。俺さぁ、結構寂しがりなんだよねぇ」
「…………」
「かと言って、同族呼んでも戦えだ何だのとウザいだけだし。女の子だったらそういう心配ないしー、美味しそうだしー、愛でるには最適ってね」
突然始まった赤毛の話に、ジョシュアは何も言わず聞き入る。今は茶化すような場面ではなさそうで。ジョシュアは腰にへばり付いたままの赤毛をそのままに、その後頭部を見つめた。
“赤毛”のと呼ばれる程見事な彼のトレードマークは、ジョシュアが今まで見た者達の中でも、最も
「俺さぁ、同族ん中でも
不意打ちで告げられた内容に、ジョシュアは息を呑んだ。そんな雰囲気でもなかったはずなのに。一体、この男は何を考えているのだろうか。考えてもジョシュアには解るはずがなかった。
「そんでぇー、血ィ飲みすぎる前に他の欲でも満たして、色んな奴から血を貰えって姐さんに言われてね、今こんなんなのよ」
「…………」
「後で話聞いたら、モンスターやらにでも突っ込んで戦って発散してこいって意味だったらしいけど。ま、俺はこっちのが好きだし今んとこ上手くいってるから結果オーライ、みたいな?」
赤毛らしいといえばらしい話だ。そう語る男は余りにも普段通りで。一体どういう顔でその話を受け止めれば良いのか解らぬジョシュアは、ただそれを黙って聞くだけだった。
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