5「千代子と💩」

「ご、ごほん。では改めまして、ででんっ! メリケンパークの『メリケン』とは――」


 とここで、千代子がわざとらしく間を取る。

 ノリの良いリスナーたちが、


『アメリカ!』

『米国』

『アメェリケェン!』

『U! S! A!』


 とコメントし、


「アメリカのこと、で・す・が」


『ですが問題かぁ!』

たばかったな千代子』

『やってんねぇ!』


 千代子とリスナーの阿吽の呼吸。

 この空気感はさすがだと思う。

 こういう風に配信を回している姿を見ていると、改めて、目の前に座っている小さな少女が大物VTuberなんだと思い知らされる。


「なぜアメリカなのでしょ~うか?」


『え』

『何でだろう』

『ペリーじゃね?』

『ペリーやろ』

『ペリー』

『だったらペリーパークじゃね?』

『領事館!!!!!111!!!!1!!』

『ペリーがアメリカ人だから』

『開国してく~ださ~い』

『ん? 領事館ってなんぞ』


「正解ですッ!」


 千代子が『ドンドンパフパフ』みたいな拍手喝采のSEを鳴らしながら拍手する。


「領事館です! この土地がまだ外国人居留地だった明治初頭の時代、第さん波止場と呼ばれていた港の海岸線近くに立っていたのが領事館だったことが、由来なのです!

 じゃあなぜ『アメリカパーク』ではなく『メリケンパーク』なのかと言うと、先のコメントにもあるとおり、外来語を日本語に直す習慣がまだなかった江戸・明治時代日本人がケンと聞いたのをそのまま『メリケン』としたわけですね」


 お、千代子の明治ウンチク――正確には江戸も含むけど――が始まったぞ。


『詠唱開始』

『めっちゃ早口で言ってそう』

『ウンチク助かる』

『ウンチ助かる』

『💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩💩』


「そもそも、事の起こりは江戸時代は嘉永かえい6年――西暦1853年、いわゆる黒船襲来、ペリー来航というやつです。

 翌年締結された日米和親条約によって日本最初の不平等条約港として下田と箱館が開港となり、安政5年――西暦1858年の日米修好通商条約を初めとする安政五カ国条約により、貿易を前提とした開港場として、箱館・横浜・新潟・神戸・長崎の5港が決められ、『開港五港』と呼ばれました……以上Wikipediaより。

 ですが旦那様方、不思議だとは思いませんか?」


 問うてから、千代子がタメを作る。


『?』

『何が?』

『続きはよ』

『焦らさんでもろて』


「なぜ、だったのでしょう?

 この当時の海洋覇権国家と言えば、リス――大英帝国です。西インから『日の沈まぬ大帝国』の名を継いだ国。列強国の一等一位。パックス・ブリタニカというやつです。

 当時のといえば、リス相手には言うに及ばず、米西戦争以前は西インにも劣る三流海洋国家でした。

 そのがなぜ、リスを出し抜いて日本と先行して交渉することができたのでしょうか?」


『?』

『わからん』

『日本以外でのブリカスムーブで忙しかった?』

『アヘン戦争?』


「残念! リスと大清帝国の間で行われたアヘン戦争は、もう少し昔の1840年です。でも戦争というのは合ってますよ! リスは戦争で忙しかった。さて、どことの戦争でしょう?」


『スペイン?』


「残念。英西戦争――西インの『無敵艦隊』をリスが撃滅させ、リスの国の覇権を決定づけた『アルマダの海戦』は1588年です」


『フランス?』


「ナポレオン戦争は1800年前後ですね」


『ロシア?』


「正解! 露西亜ロシアです!! 具体的にどの戦争か分かりますか?」


『1853年……戦争……クリミア戦争?』


「大正解です!!」


 ドンドンパフパフ!


『クリミアって、あー』

『ウクライナの南端』

『黒海の半島やね』

『ロシアに一方的に併合されたところか』


 明治日本を語る上で避けては通れないのが、日露戦争。

 その日露戦争を語る上で避けられないのが、帝政ロシアの南下政策――不凍港を求めて南へ南へと侵略していく政略。

 クリミア戦争は南下政策の1つに当たるわけだ。


「1853年のクリミア戦争。皆さんご存じですか?」


『知らない』

『知らん』

『知ってる』

『現在の方なら知ってるけど……』


「この戦争では、とある超有名人が活躍しました」


『有名人?』

『誰ぇ?』

『くぁwせdrftgyふじこ』

『ちくわ大明神』


「誰だ今の」千代子は『ちくわ大明神』ネタを丁寧に拾った上で、「白衣の天使、ランプの貴婦人、衛生学の母。異名のとおり、女性です」


『ナイチンゲール!!』

『ナイチンゲールか』


「そのとおり! 確かな統計に基づくデータから、『不衛生』と『死亡率』の相関を世に知らしめた、ナイチンゲール女史ですね!

 さて『衛生』と言えば、大事なのがお水。経口摂取で伝染する、開港から何十年もの間、神戸港を苦しめた伝染病と言えば虎烈刺コレラです。

 列強各国が未開の国を無理やり開港させて、世界中から大量の人間が病気を持ち込んで現地人が大量死する、というのは大航海時代以降定番の流れであり、神戸港もその例に漏れませんでした。

 そんな神戸を救うために作られたのが、『神戸水道』です! ここ、神戸港を北上すると六甲山系の摩耶まや山に至るわけですが、そのふもとにあるのが、平安時代から観光名所として有名だった『布引の滝』! 神戸市が布引に日本最古のコンクリート製ダムを作ったのは、明治33年――西暦1900年のことです」


 バーチャルな体で『ストリートビュー』に映した摩耶山を仰ぎ見ていた千代子が、ふと苦笑した。


「ととと、脱線が過ぎましたね。話し出すと、どうにも止まらなくて」


 いやぁ、すごい!

 メリケンパークから神戸水道局にまで発展するとは。


 千代子には、確かな明治時代の知識がある。

 しっかりと勉強している真摯なところがあり、それが、僕が千代子を『パクリだ』と訴えなかった理由の1つなんだ。


『いいよ』

『勉強になる』

『楽しい』

『千代子のおかげで歴史の勉強が楽しくなった』


「そう言っていただけると、明治冥利に尽きるというものです!」


 千代子が清楚っぽく微笑む。それから北に向かって歩き出し、


「さて、北上すれば、やがて左手に見えてくるのが南京町です。南京町は神戸港開港のころから存在していたと言われています。当時の日本は大清帝国と通商条約を結んでいなかった。結果、清国人は居留地に住むことができず、やや西に位置するここに住むようになり、チャイナタウンとなったわけですね。いやぁ、いつの世も中国人というのは逞しい。

 さらに北上すると、JR元町駅です――見えてきました。

 さて、配信時間も1時間を過ぎましたし、今日の神戸ガヰドはここまでとさせていただきたく存じます」


 別れを惜しむリスナーのコメントを嬉しそうに眺めながら、目の前のリアル千代子が手を振る。

 バーチャル体は2Dなので手の動きはトレースしないというのに、だ。

 可愛い。


「それでは旦那様方、おつチョコ!」


 ――あっという間の1時間だった。

 明治千代子を演じる少女から、目が離せなかった。

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