V.2.1 2022年 第67回全日本学生拳法選手権大会 観戦記 V.2.1

@MasatoHiraguri

第1話 はじめに

はじめに

過去2回(2018年・2019年)の府立(全日)観戦の際、私は幸運にも「場外での大学日本拳法 → 大学日本拳法の試合以外の場面における大学日本拳法らしさ」を見ることができました。

今回は、2022年12月11日の大会前の12月8日、電車の中(大阪)で「大学日本拳法的なる体験」をし、私の中では既に前夜祭気分で盛り上がっています。

そして、この体験を今年2022年 第67回全日本学生拳法選手権大会の予告編と考え、その観点で本大会を楽しませて戴くことにしました。



大学日本拳法とは器ではなく道

大学日本拳法とは、自衛隊や警視庁の日本拳法とは違います。

自衛隊も警視庁も、日本拳法の延長線上に行き着いた、ひとつのアプリケーション(器)であり、そこに技術的な進化はあったとしても、精神的な葛藤や熟成の余地はありません。完成して固まったひとつの機能(器)であり、その目的と役割は固定されているからです。


ですから、彼らの日本拳法とは「道を求める → 哲学する」世界ではありません。

哲学などしていたら、自衛隊は敵の兵隊に殺されるし、国家権力のロボット犬としての警察官は、国民を国家権力に従わせるという冷酷な彼らの職務を果たすことができなくなってしまう。組織の一部・マシンに成り切ることができなければ「彼らの組織」は機能どころか存在すらできないし、哲学なんかしていたら、個人としての出世もできないのですから。


また野球とは、言葉は悪いが「見世物」であり、人に見てもらう・人に評価されることが、それをやるモチベーションに大きな比重を占めていますが、柔道や大学日本拳法とは、逆に「自己満足」の世界であり、人の評価など関係ない自己探求の道です。

黒澤明監督の映画「姿三四郎」「続・姿三四郎」で、柔道家の姿はキッパリと言いました、「柔道は見世物ではない」と。


負けて悩み、勝っても内に悩むところに精神的な成長を見出そうとする。自己の中で「悩み・解決し」を繰り返し、酒や味噌の如く自分を醸造していくことに価値を見出そうとする。

結果よりも過程重視、或いは、悩む・苦しみ・考えることこそが、技術の習得や試合での勝利に勝る重みを持つ。目で見える現象や見た目のかっこよさよりも、精神的な葛藤や苦悩の克服という目に見えない世界で、自分しか見られないドラマを自分で作り自分で楽しむ。それが「見世物ではない」ということです。

しかし、そんなことばかりやっていたら、間違いなく「お宅・根暗」の世界に入り込んでしまうのですが、現実に投げ飛ばすを柔道・本気でぶん殴り合いをする日本拳法ですから、深い内面世界への思索と外面世界での自己解放とのバランスがうまく取れるわけです。

しかも、同じ年頃・同じ知性や感性の人間ばかりが集まる大学(映画では、柔道家嘉納治五郎門下)という世界ですから、仲間同士切磋琢磨し合うことで、非健康的な孤独感や疎外感に陥ることがない。


道を往く者の悩み

柔道の技や肉体の鍛錬などを越えた姿三四郎の悩みとは、徳川幕府を開設した徳川家康の悩みと同じ「英雄の苦悩」です。

「勝てば勝つほど敵が増える。私はいったい何のために柔道をやっているのか」と、姿三四郎は悩みます。

「敵を殺す(あらゆるものに打ち克つ)」ため辛酸苦悩努力するのに、殺せば殺すほど敵は増えてくる。勝てば勝つほど新たな戦いが生まれてくる。有名になればなるほど、他人にも身内にも、そして自分自身の心の中にも「敵・障害・重荷」が増える。

徳川家康は「人の一生は重荷を背負うて遠き道を往くがごとし。急ぐべからず。」を座右の銘にしていたそうですが、日本全国300諸侯の頂点に立ち「無敵」となったが故にこそ、その重荷は並大抵のものではなかったのでしょう。


私のような凡人に英雄の悩みなどありませんが、姿三四郎の悩みをメタファー(隠喩)と考えれば、彼の悩みとは全ての人間に当てはまる。「柔道での戦い」とはひとつの象徴であり、あらゆる人間が、毎日何らかの戦いに直面しているのですから。

朝、眠気に勝って起きるところから「戦い」は始まっている。眠気に負けてしまえば、後でたくさんの戦い(問題・災い)が降り注いでくるし、それに勝てば、バスに乗り遅れないように、電車の席取り、なんて戦いに始まる大小様々な問題(戦い)が次々と出てくる。それは人間としての宿命と言えるでしょう。


徳川家康は、組織の力で己の道を確かなものにし、強敵檜垣3兄弟との戦いを乗り越えた姿三四郎は、非情な戦いに「愛」を加味するという、彼なりの戦いの道を見いだしました。

器(動物園の動物的な生き方)になってしまえば楽でしょうが、それでは真の人間として往って帰ることはできない。若きウェルテルはゲルマン民族的純粋理性によって道を求め、私たち日本人(縄文人)は、家康や三四郎のように純粋日本人性を哲学することで、道の往来ができるにちがいありません。


司馬遷の名著「史記」は、本紀・年表・書・世家・列伝からなる紀伝体という手法によって、あの時代(黄帝から前漢の武帝まで)を切り取ったのであり、それこそが中国人流哲学というものなのでしょう。

そんな偉大な哲学に比べれば、私の場合、ある現象に対するひとつの解釈にしか過ぎないのですが、立教大学日本拳法部OG・Tさんが提唱される「日本拳法を楽しむ心」由来の「日本拳法で楽しむ精神」によって私流に切り取った、これは「2022年 第67回全日本学生拳法選手権大会」の形而上(精神)的写真集なのです。


2022年12月8日(木)

V.1.1

平栗雅人




プロローグ

  第67回全日本学生拳法選手権大会3日前、2022年12月8日に大阪で遭遇した、私の「日本拳法体験」。


  大学日本拳法的なる問題解決能力

  2022年12月8日早朝、大阪は鶴橋駅から近鉄の西大寺行き各駅停車に乗車した私は、途中、○○という駅に停車している間、乗り換えの駅を知るため、ドア横座席の上に貼られた路線図を見ようと近づきました。

  ところが、その路線図は座席に座る人の頭のすぐ上にあり、しかも字が小さい。私が顔を近づけると、そこに座る若い女性がハッとして私を見上げます。

誰でも気持ちが悪いはずです。座っている自分の頭のすぐ上に、まるでのぞき込むようにして知らない者の顔が近づいてくれば。


  そこで、即座に私は「あ、失礼、字が小さくて見えにくいので・・・。」と釈明したのです。その女性の座る4人掛けの座席には彼女一人しか座っていなかったので、もし彼女が本当に嫌なら、ひとつ席をずらせば問題解決になるのです。

ところが、なんとその若い(20歳くらい)女性は、スッと立ち上がり「どちらまでですか ?」と(優しい声で)言いながら、私と一緒に路線図に顔を近づけるではありませんか。私はこんな若い女性が、こんな小汚いジジイの脇に立つ「度胸」に、感心しました。


  で、私もストレートな心で「はい、天理に行きたいのですが、どこで乗り換えたらいいのか・・・。」と自分の目的を素直に言うと、彼女は三秒ほどじっと図を見てから私の方を向き「西大寺と○○で乗り換えですね。」と微笑みながら教えてくれました。その時、改めて気がついたのですが、白のドレスを着た、いかにも品の良いお嬢様という感じの方でした。

  私は「どうもありがとう御座います」と言うと、彼女の座るシートからドアを挟んで2メートルほどの所まで行き、立ったまま開いたドアから駅のホームを眺めていました。彼女の座る長い座席には他に誰も座っていないのですが、なんだか気が引けたのです。


  1分ほどすると、ホームの反対側に電車が滑り込んできました。駅員のアナウンスが聞こえたのですが、乗換駅を確認した私はその駅名のことばかりで、アナウンスには馬耳東風でした。すると、さっきの女性がチラチラ私を見ていたのですが、今度もスックと立ち上がると、数歩歩いて私の所まで来て「あの電車に乗れば天理まで乗り換えなしで行けますよ。」と再び教えてくれたのです。

  私は「ええ!そうなんですか。ありがとう御座います。」と再度礼を言い、今度は日本拳法の礼よろしくペコリとお辞儀をしてから電車を降り、早足でホームを横切り、向かいの電車に乗り込みました。


  その電車は今まで乗っていた電車よりも更に空いていたので、ホームが見える側の席に座り「やれやれ、乗り換えなしで行ける電車もあるんだ。」なんて思いながら、ぼんやりと、さっきまで自分が乗っていた向かいの電車がゆっくりと動き出すのを眺めていました。

すると、なんとあの女性が、座席から首をひねり、私(の方)を見ているではありませんか!

  私はその時「この年寄りがちゃんと電車に乗れたかどうか心配してくれているんだなぁ-。大阪の女性はなんて親切なんだろう。」と思ったのですが、この「親切」というものを、幾つかのフェイズで考えてみましょう。


*********************************


AAA.日本拳法のフェイズ

親切と言うよりも、日本拳法的なる問題解決能力を、彼女たち関西人は持っている(人が多い)のだろうか。


  日本拳法的なる問題解決能力とは。


① 自然体(地の巻)

  日本拳法は、そんじょそこらの格闘技のような安っぽい構えなんかしません。

  武蔵「五輪書」にいう「有構無構」の教え。心も身体も自然体です。

 → 私が彼女の頭の上からのぞき込むようにした時、普通なら「あら、なーにこの人、不気味だわ」なんていう感じで私を見るはずなのですが、彼女は不快な顔ひとつせず、ごく自然な、少し驚いた表情をしていただけでした。


② 自分から前へ出る(水の巻)

「無念無想の打ち」

「太刀にかわる身・身にかわる太刀」

「打つと当たる」

 → 私の目的を理解するや、彼女はすっくと立ち上がりました。

  3人分も空いている隣の座席に移動したり(逃げたり)せず、身をもって前へ出たのです。


③ 陰の拍子を陽にする(火の巻)

「枕を押さえる」

「まぶるる」

 → そして、私と一緒になって地図を見る(まぶるる)ことで、言ってみれば、敵であるかもしれない私を、自分の味方にしてしまった。「上から見られる」という不快感を、相手と同じ目線になることで解消し、更には「相手に親切にすることで、自分も相手もハッピーな気分になる」ことができたわけです。


④ 比較検討(風の巻)

「事実を見る・比較検証する」

 → 駅のアナウンスで「天理直通電車がホームに入線した」と知るや、即座に私の元へ駆け寄り「あちらの方が、楽に・間違いなく天理へ行けますよ」と、教えてくれた。


⑤ 残心(空の巻)

「底を抜く」

 → 更に、私が無事電車に乗れたかどうか、彼女は最終的に確かめた。

  ①から④まで、すべて空の心ですが、最後の詰めもまた、「空の心のなせるワザ」と言えるでしょう。


  これは、今回私が実際に体験した事実に、宮本武蔵の「五輪書」と大学日本拳法をコラボして作り上げた私流のアルゴリズム(問題対処法・問題解決の手順)を適用したわけです。

  また、以下のように他の様々なフェイズ(位相)でこの事実を考えてみることで、この思い出はより確かなものとなり、老い先短いとはいえ、私自身、この先何度も楽しく思い出すことができる(あの世まで持って行ける)思い出となりそうです。

また、こういう様々なフェイズを提示することで、私固有の思い出を他の人にも共有してもらえるのではないでしょうか。




BBB.宗教のフェイズ

彼女が天理教信者であったので、私のことも天理教の関係者と勘違いし、親切にしてくれた。

しかし、そうなると上記①の自然体の説明がつきませんが、私の体験では天理教信者というのは、いわゆる善人が多い。そういうアルゴリズムを持つようになる徳育がなされているのかもしれません。



CCC.ジジイのフェイズ

「関西人の女性はなんて親切なんだろう」という、爺(じじい)的感激。

まあ、これはこれで、私にとって良い「冥土への土産」となるので、特に何も考えないで、すなおに感激しておきましょう。


その他、彼女が育ちの良いお嬢様であったが故に、誰に対しても物怖じせず、公明正大・親切・懇切丁寧であった、と考えることもできます。


2022年12月11日(日)

V.1.1

平栗雅人


はじめに

双眼鏡なしでの今大会、なるべく近くで観戦しようと、3階大会役員席の端(通路)まで行きました。

幸運にも、たまたまそこへ通りがかった大会関係者の方の粋なご配慮(通路にいた人たちが見やすいように衝立をずらしてくれた)により、立ち見とはいえ、相撲の砂かぶりほど近くなく歌舞伎座の一見ほど遠くもなくという、ビデオ映像よりも若干広い視野で観戦できました。

男女それぞれの準決勝戦・決勝戦、計6 試合を観戦させて戴きました(関学対明大戦はビデオ観戦)が、特に、関西学院大学(かんせい・がくいん)女子の決勝戦(対立命館大学)と、同じく関西学院大学男子の決勝戦(対中央大学)は、今まで気づかなかった「関西の大学日本拳法」について、大いに勉強となりました。そこで見た「時間の重みと場数」という、関西と関東の格差に対する絶望感は、逆に日本拳法というものの奥深さを改めて認識することで喜びとなり、また彼らの「アナデジ拳法」は、大学から日本拳法を始めた多くの関東人の心をインスパイアしてくれたのではないでしょうか。


過去2018年・2019年の実観戦に比べ、今回は絶景の場所プラス別の幸運も重なり、コロナ禍で2年半も台湾に閉じ込められていた私にとって、まさに年末ボーナス気分での約3時間となりました。

せっかく享受したこの幸運を多くの方に味わって戴きたいと、僭越ながら「2022年 第67回全日本学生拳法選手権大会 観戦記」と題し、クリスマスのサンタさながら、私の「幸運体験」を贈り物として、ばら撒かせて戴こうというわけです。


カントは、何らかの色眼鏡で世の中を見ている私たち人間に、それらを取り払った「純粋理性」(による人生の楽しみ方)というものを示してくれました。

逆に、様々なものの見方や価値観、豊かな感性・情感という万華鏡(錦眼鏡(にしきめがね)・百色眼鏡・カレードスコープ)のような「心」で「単なる殴り合い」である日本拳法を、より心豊かに楽しもうとする、立教や青学のような「純粋理性を鏡にした」大学も、関東には多く存在します。

この書が、彼らの取り組みと同じく、大学日本拳法という重厚広大な世界を楽しむ上でひとつの参考となれば幸いです。


2022年12月30日

V.2.1

平栗雅人

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