勇者シャインと剣士シリアス⑤


 目を覚ます。

 外は明るく日が登りきっている。


 跳ね起きて、思わず自分の手足を摩ってから、深く息を吐いた。


 …………問題ない。

 痛くて苦しいけど、大丈夫だ。

 ほら、僕はこうやって生きている。

 別に魔物に生きたまま食われることなんて、この時代じゃ日常茶飯事。

 誰も彼もが一度死ねば終わりという恐怖と後悔に塗れながら食われ、あの感覚を味わいながら死に絶えていく。


 僕は特別だ。

 いくら死んでも死なないんだから。


「シャイン、おはよう」


 シャインの返事はない。

 少し、醜い姿をみせてしまった。


 軍服にさっと着替えて腰に帯剣しつつ寮を出る。


「シャイン」


 返事はない。

 ……消えてしまったわけでは、ないと思う。


 ただ、やっぱり。

 あまり良くないものだった。

 殴られて死ぬとか、潰されて死ぬとかならまだよかったんだけど。あんなふうに食われて死ぬのは、気味が悪い。


 先ほど教えてもらった通りに指笛を吹いてエヴリルを呼び出す。


「なっ……なぜお前がそれを……?」

「……未来視で見た。シリアスの場所がわかったから、そこまで運んでほしい」

「──……っ。そういうことか……」


 同じ会話だ。

 僕にとっては慣れていくもので、君たちにとっては常に初めてのもの。

 これがズルでなくて何になる。

 僕の能力は最強だ。

 ただ、僕自身が弱すぎる。


 だからシャイン、気にしないでくれ。

 僕は自分で選んだんだから。


「場所は南側、山を二つ越えた先にある魔軍領地付近まで飛ばしてくれれば構わない」

「……それで、なんとかなるのか?」

「ああ。なんとかする」


 そうして僕はまた一つ嘘を吐いた。


 未来視なんて便利なものじゃないことも隠して、なんとかなるという嘘もついて。


「シリアスを頼む、勇者シャイン」

「……任せてくれ」








 シャイン・オムニスカイにとって最も苦しい記憶として刻まれているのは、魔王と戦った時のことだ。


 追い詰めた筈の魔軍には余裕があり、雑兵を殺されているのにも関わらず魔王は笑みを崩さない。それどころか嘲笑いながら己の軍を罵り、この程度の生物に負けるなど全て消し炭にする、とまで罵倒していた。

 自分の仲間であり部下なのに、どうしてそんなことを言うのかと彼女は問いただした。


【俺達はそうあるからだ。魔族は強さこそが全て、強くなれる種族に誕生したくせに弱いのは怠惰であり怠慢だ】


 だから、お前たち程度に敗北する。

 そう言いながら魔王が指を鳴らした瞬間、シャイン達の肉体から力は失われた。


【その程度の外付け能力で俺を殺せると思うなよ】


 そこからの記憶は、まさに地獄と言っていい。


 絶対的な防御能力が失われたウォーダンが魔王の一撃で弾け飛び、シャインを斬り殺そうとする魔王の一閃から庇いシリアスは壁と挟まれて削り殺されて、エヴリルは培ってきた自らの全てを捧げた魔法を放ったのにそれを容易く弾かれて無念のままに消失した。


 そして、シャインは。

 仲間が稼いでくれた悠久にも等しい刹那の間に人類軍によって後方へと逃され、迫り来る魔王に対して絶対に勝利することができないことを悟って、己の無力さを涙ながらに呪いながら聖剣に全てを託した。


 シャインは無力な自分が憎かった。

 もしも自分が勇者特性に頼らず、その剣技と身体能力を超越的な領域に昇華させていれば魔王を倒すことも出来たんじゃないかと。


 ウォーダンもシリアスもエヴリルも、長旅で培った軌跡を失うこともなく、勇者として凱旋することが出来たんじゃないかと。


 だから彼女にとって。

 目の前で惨劇が繰り広げられ、それに対して抵抗することも目を逸らすこともできず、ただ現実として──お前では手が届かないと見せつけられることが、何よりも辛く苦しいことだった。







(────…………ごめん、なさい)


 右手に握られたまま、意識だけになったシャインは心の中で呟く。


 ピクピクと不気味な痙攣を繰り返しながら死に至る青年。

 腕も足も胴体も臓腑すらも食いちぎられ、人間が一生の中で味わうありとあらゆる苦しみを一身に受け入れるその姿は、シャインにとって最もトラウマを刺激するものであり。


(ごめんなさい……ごめんなさい……!)


 彼女は己の無力を悟り、聖剣に全てを注いだ。

 かつて聖剣を引き抜いた幼馴染が、同じ勇者であるのならと想いを託して。

 その結果として想いは成就し、聖剣に宿ったシャインの力によってブレーヴは過去へと巻き戻る能力を得た。


 死に、巻き戻る。

 ブレーヴに出来るのはこれだけのことで、死ぬ過程の苦しみは消えず痛みもなくならない。


 その事実を理解した瞬間、シャインはなんてことをしてしまったのかと後悔した。


(ごめんなさい、ごめんなさいブレーヴ。私のせいで、私のせいで……)


 ブレーヴが死ぬ。

 爪で裂かれ牙で食われ咀嚼され、獣の胃袋へと肉を捕食され。


 ブレーヴが死ぬ。

 巨人のもつ棍棒を振り回され、疲労が溜まった時に避けられなくなった一振りで全身を弾けさせて。


 ブレーヴが死ぬ。

 虫型の魔物が飛来し両手足をもぎ取られ、身動きを取れなくなった果てにぐちゃぐちゃになるまで嬲られて。


(ごめん……なさい……私が、私が諦めたから…………)


 シャイン・オムニスカイは勇者だった。

 しかし今は、聖剣に宿るたった一人の少女にすぎない。

 ブレーヴ・シャインという青年に勇者という功績を捧げ、己の通った道筋を歩む栄光を与えた代償に──その旅をただ一人、見届ける役目を授けられただけの少女。


「シャイン」

『……………………』


 彼女に答えることはできない。


 それを押し付けてしまうことを悟って、彼の覚悟を感じ取って、それでもなお自罰的に考えてしまうから。


「君のおかげで僕は戦える。この命を使って、君たち勇者の役に立てる。それだけで嬉しいんだ」


 あんなふうに苦しんでいるのに。

 あんなふうに死んでいるのに。

 魔物に殺される瞬間、仲間達の絶望する表情を見てきた。


 ウォーダンは呆気なく死んだ。

 シリアスは泣き叫びながら死んだ。

 エヴリルは、世界を呪いながら死んでいった。


 ブレーヴは。

 シャインに死ねることを感謝して、死ぬ。


 息絶えて苦しみ抜いて精神に異常をきたすような恐怖を幾度となく味わい続けても、それでも前に進み続ける。


『…………ブレーヴ』


 やがてシャインは口を開く。

 ブレーヴ・シャインという青年が死に続けておよそ三十回ほど。

 魔軍前哨基地を壊滅させ、その死体の上に腰掛ける彼の姿を見てからだった。


「……ああ、久しぶり、シャイン。ごめんね、見苦しくて」


 違う。

 そんなことを言わせたいわけじゃない。

 シャインはブレーヴに謝りたかった。

 改めて、自分が彼に押し付けた能力と運命がどれだけ残酷なものだったのかと悟って。


(…………謝ることなんて、出来るわけが……)


 謝罪をすれば、きっとブレーヴは受け入れてくれる。

 でもそれは彼の優しさに甘えるだけだ。

 この罪は、自分だけが認識しているべきだ。

 そうじゃないと、ブレーヴという青年は、シャイン・オムニスカイの全てを赦すから。


 その謝罪こそが自分勝手なものだと理解しているから、シャインは辿々しく、少しでもブレーヴの心の負担を和らげるために。


『……うん。やっと前に、進めたね』

「……うん。やっと前に、進めたよ」


 シャインは謝ることをやめた。


 それこそが覚悟の証だから。

 ブレーヴ・シャインという青年に全てを託してしまった己の罪が、決して赦される事のないように戒めて。


 

 

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