第26話 どんなに離れていても

『ハル、おはよう。昨日はどうかしてた。心配かけてごめん。もう大丈夫だよ』


 朝目覚めると、隣にいたはずの恭司はもう出かけていて、スマホにアキからのメッセージが入っていた。

 ······そんなはずないじゃん。でなければ昨日、あんなに切羽詰まって。


 それを切り捨てたのはわたしだ。

 知らないフリはできない。

 最低だ。

 散々、振り回しておいて、肝心な時にそばに行ってあげられないなんて。

 アキの写真を見てる。

 どんどん指でスライドする。

 大概、視線がこっちになかったり、恥ずかしそうに隠れようとしたり、画像自体がブレてたり。

 アキは、わたしの知らない人なの?

 ······そんなはずはない。

 変わったのはわたしだ。

 でもどこから? なにがきっかけで?

 離れている間にすっかり素敵に変わってしまったアキに引いたのかもしれない。

 わたしはまったく成長してないから。

 変わったのは、あの頃、肩くらいだった髪が、肩甲骨辺りまで伸びたことくらいで。

 その寝乱れたその髪を、ギュッと結ぶ。



 夏っていうのは便利でもある。

 あまり手をかけないで食べられるものが多い。

 わたしはグラノーラに牛乳をたっぷりかけて、ガツガツ食べる。

 恭司が見たら、行儀の悪い、と怒るだろう。

 右手にスプーン、左手にスマホ。

 ナッツとドライフルーツ、コーンフレークに牛乳。そこにスマホ。

 片手で操作する。

 正直に言うと、グラノーラはあんまりすきじゃない。自分で買ってきて言うのもなんだけど。

 恭司の作ってくれる、鮮やかな黄色の半熟目玉焼きがすき。ベーコンもカリカリの。

 佐伯さんはあれを食べたかな? 食べないで恭司を捨てたんだとしたら、もったいない。

 ······違うか、形としては恭司が佐伯さんを捨てた。それとも、逃げた?

 理想じゃなかったとわかったから、逃げたのかな?

 それはそれで悲しい。

 誰かをそうだと決めつけてしまうのは怖いことだ。

 恭司が教えてくれた、大人の話。


 すきと言うのは簡単だけど、ほんとのすきは難しい。


 あっついなー、と思いつつ、大通りを歩く。

 大学生に絡まれた、恭司に助けられたあの通りの前を歩くとまだなんとなく怖い。

 恭司に守られたわたしはもう大丈夫なはずなのに、それでも嫌な気分になる。

 ふと、立ち止まる。

 ここに立ってたのはわたしだ。

 なにを考えてたんだろう? 短いスカートを履いて、一晩の寝床を体で買おうなんて。

 それを考えたら、なにも対価を払ってないのに助けて拾ってくれた恭司は神様だな、と思う。

 もしかしたら出ていくことになるその日のことを考えてみる。

「今までありがとう」

「ああ、元気で」

 ――そんな他人行儀なわたしたちだろうか?

 もしそうなったら、二度と会わないんだろうか?

 もう、あの目玉焼きが食べられなくなる。

 悲しくなる。

 空を見上げる。

 秋が、近づいている気配がする。


「えー? まだ男のところにいるの?」

「違うよ、オジサンだよ」

「うわー、やだ。オジサンは三親等内だから、結婚できないの知ってんの?」

「······ちゃんと知ってるよ」

 帰省から帰った満里奈は元気だった。

 髪色を黒に戻して、ストレートパーマをかけていた。なんで黒に戻したのか訊くと「心境の変化」と答えた。

 ツヤツヤな髪は、かんざしでまとめようとしてもスルスル滑ってダメなのだと言った。

 今日は大きめのクリップで留めている。

「安西には会った?」

「航太? 長野に帰省したって、お土産もらった」

「なにそれ、アンタだけ?」

「えーとね······」

 わたしは小さいショルダーバッグをゴソゴソして、御守りを取り出す。満里奈に見せる。

「マジ御守りじゃん」

「なんかくれた。守るとか、守らないとか、危ないとか、なんか言ってた。わたしって危ないの?」


 白い小さな丸テーブルを挟んで、満里奈は少し怖い顔をしてわたしの顔を見た。

 なにが彼女の機嫌を損ねたのか、ビクビクしながら考える。目が怖い。

「自覚ないの? 家出して、謎のオジサンのとこに入り浸ってて、熱中症で倒れてみたり。危ないでしょう」

「家出っていうのはさぁ、誤解」

「んなわけないでしょう? 誤魔化されるか」

「えー、誤魔化したりしないよ」

「⋯⋯なんでそう言えるの?」

「だって嘘ついてもメリットないじゃん。嘘なんかついてないし」

 満里奈はカップを寄せて、ヨーグルトシェイクをすすった。嫌な音を立てたりはしない。大人だなと思う。

 満里奈の実家は田舎にあって、ヨーグルトシェイクはご無沙汰だと彼女は喜んだ。

 わたしはあの日を思い出して、タピオカドリンクを飲んでる。絶滅危惧種のタピオカも、ヨーグルトシェイクを何杯も飲んだ後だと新鮮に思える。

 航太と飲んだバナナシェイク、あれは最高だったけど、恭司はジューサーを頑なに拒否する。

「イケメンもいるしね。アンタばっかなんでモテるかな?」

「モテないよ」

「無自覚なヤツほどモテんのよね。人生、上手くいかない。やってらんね」


 満里奈ほど身綺麗ならモテないわけがない。

 見た目美人で、クールに見えるのに話してみるとざっくばらんなところにギャップ萌えする男子は多い。

 満里奈はそれを自覚してると思う。

 そういうとこが、大人。

「満里奈だって田舎で彼氏と再会したんじゃないの?」

 彼女は手に持っていたヨーグルトシェイクをトレイに戻して、わたしを見た。そして揚げすぎの短いポテトをひとつ、口に放り込むと、待ち人が並んでるセール時間のクレープ屋の方を見た。

 ⋯⋯余計なことは言わない方がよかったのかもしれない。

「言わないにしようかと思ってたけど、別れてきた」

「⋯⋯そっか」

「アイツ、ほかに女がいた。電話かかさずしてたし、なんならビデオ通話も頻繁にしてたのに、告ってきたのも向こうでわたしはどんどんすきになっちゃって離れててもまだすきだから逢いに行ったのに⋯⋯。やっぱ、離れるとダメなんかなぁ。気持ちも比例して離れるのは世の理なのかなぁ」

 ズキン、と他人の話なのに胸が痛む。

 離れててもすきな気持ちは変わらない。

 そうキッパリ言えるのが、なんだか羨ましく思えた。悲しい思いをして、涙を堪える彼女に。

「だから帰省中、アンタにあんまり連絡できなかったんだ。言葉が上手く出てこなくて。ごめん」

「満里奈が謝ることなんてひとつもないよ」

 逆に、わたしの方こそなんにも彼女のことを気にせずのうのうと暮らしてたのに。

「あー、これ早く飲んで映画行こう」


 どうしても観たい映画があるんだと言って、彼女は誘ってきた。

 映画館は混んでいて、満里奈の欲しかったグッズは売り切れで、パンフレットさえ手に入らなかった。

「だから田舎は嫌なんだよ。上映最終日近くじゃ売り切れてても仕方ないじゃん。映画観るのも一苦労だし、万人受けする映画しかやらないしさぁ」

 わたしはそれが嘘で、満里奈の田舎には大きなシネコンがあると前に言ってたことを思い出す。

 彼氏と観るつもりだったのかもしれない。

 たぶん、そうなんだろうなぁと思う。

 ⋯⋯アキにほかの女がいるかもなんて、考えたこともなかったなぁ。

 呼べば応えるのはアキにとって本当は義務で、かわいい女の子が後ろに隠されているのかもしれない。それで⋯⋯。

 妄想は全然広がらない。

 アキに限ってそんなことないよな、と思う気持ちが勝る。

 でも、こんなに逢わずにいるのに、それが確かだって言えるかなぁ?

 本当は言いたいのに言い出せないのかもしれないし、第一、わたしはそういうことに疎い。

 やっぱり逢いに行くべきだったのかもしれない。

 三時の回の劇場への入場を促すアナウンスが流れる。

 イケメンアイドルが主演するその映画は悲しい恋愛もので、空席はほとんどなかった。何度タイムリープしても別れを回避できない彼女に別れを告げるシーンで、満里奈は泣いていた。

 知らないフリをした。

 別れを告げて、彼氏は何度目かの事故死を迎える。もう、タイムリープはしない。





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