第7話 寂しい、手を繋ぎたい

 夕方はまだ向こう側にあるように見えたのに、鍵を回す音がする。

 ギョッとして、どこに隠そうか悩む。

 隠す? なにを? どうやって?

「ハル、来客? 知らないヤツじゃないよな」

 ぬっと背の高い恭司が帰ってきて、航太はシャキーンとなった。初めて見たら、確かにちょっと怖そうな人だ。

「初めまして、安西航太です。千遥さんの大学の同級生で」

「ハルの大学の?」

「はい。それで僕、この近くのコンビニでバイトしてるんですけど、その店の前で千遥さんが熱中症で倒れて······」

 そこで恭司は険しい顔をした。

 口を開けたまま、わたしを振り向いた。

「それでハルをここまで?」

「はい、まだひとりで帰れそうになかったんで。勝手に上がってしまってすみませんでした。でももう、僕は必要ないと思うので帰ります」


「座りなさい」

 響く低音で指示された通り、航太は元いた場所に座った。

 恭司は部屋に荷物を置きに行き、スっと襖を閉じた。

「ハルが大変お世話になりました。今は私が保護者代理なので、監督責任は私にあります。ゆっくりしていってください」

 おおー、とちょっと感動する。恭司が、年下の男に敬語を使うとは。

 そしてそのトドメに深々とお辞儀をした。


「ハルはお礼をちゃんと言ったのか? この人がいなかったら大変なことになってたんだ。同級生といえども『親しき仲にも礼儀あり』だ。安西くんにきちんとお礼しなさい」

 わたしも航太もオドオドして、悪戯をして怒られている子供のようだ。

 お礼なのか、脅しなのか、わからない圧力がある。

「あの、航太、ありがとう。すごく助かった」

「千遥の役に立ててよかったよ」

 お互い、すごく変に緊張しながら短い会話をした。恭司はなにか間違いはないか、見届けたようだ。


「ハルは今日はもう寝てていいから。安西くんは一人暮らし?」

「あ、はい。この近くに」

「じゃあうちで食べていったらいい。本当なら外でなにか奢りたいところだけど、ハルが本調子じゃないだろうから」

 はい、と答えながら明らかにキョドる航太をじーっと見ていた。

 その後わたしは氷枕の上に寝せられて、とにかく飲めるものを飲めと、航太が作ってくれた麦茶をごくごく飲まされる。お腹が膨れる。

 ······心配性なんだよね、と思いつつ、台所に立つ恭司を見ている。

 あの日はコンビニ弁当だったのに、真面目に料理を始めた。なにか作れるのか?

「酢飯は大丈夫?」

「はい」

「じゃあ問題ないね」

 なんだか甘辛いいい香りがしてくる。懐かしい香り。

 それにしても材料はどこから湧いてでたんだろう? わたしは今日は棒棒鶏を作ろうと思ってたのに。


 甘辛い匂いは不思議な安心感をもたらして「TVでも観てたら」と促された安西が観てるバラエティ番組の音が遠のいていく。

 騒がしい人工的な笑い声が、段々······。


「ハル、起きられるか?」

 ハッと気が付くとどうやら眠ってしまったらしい。熱中症、恐るべし。

 体力をごっそり持っていかれたみたいだ。

 起き上がると、まだ怠さが体に残っていた。

「無理しなくていい。ハルの分は取っておくから」

「ううん、大丈夫。ごめんなさい、心配かけて」

 恭司はバラエティ番組のうわっと沸いた笑い声をバックに、またいつもの眉間に皺を寄せた顔になった。さすがに慣れた。

「ハル、熱中症はすごく危ないんだ。あまり暑い時間に外出は控えなさい。他人様に迷惑がかかるだろう?」

「うん······気を付ける」

 恭司の大きくて厚い手のひらが額に乗せられる。

 わたしはクラクラしそうになる。

 おかしい。

 すきなタイプはアキみたいに、ヒョロッとしたタイプなのに。

 被ってるのは背が高いところだけじゃない?


「熱っぽいな」

「大丈夫じゃないですね」

「うん······まぁ、本人が食べると言うんだから、食べられるときに食べさせよう」

 わたしがベッドから下りるのを、恭司はつきっきりで見ていた。いつ倒れてもいいように。

「あ、おいなりさん」

「食べるか?」

「だいすき」

 神主の息子の作るおいなりさんはすごくご利益がありそうな気がした。つい航太にその話をしそうになって、気が付いて口を噤む。

 そんなことから、わたしたちがなんの血の繋がりのない者同士だとバレてしまうかもしれない。

 ヤバい、ヤバい。

 学校で変な噂が立ってしまう。

 それに恭司のプライベートだ。やたらに言っていいことでもない。


 航太も心配そうな目で見ているので変に緊張してきて、グキッと足首を捻った。

「あ、痛ッ」と声が反射的に出てしまう。

 二人の男がわたしを支えようと動いて、すぐそばにいた恭司の膝の上にすぽっと落ちた。

 航太の手は宙でなにも掴まなかった。

「お前、手のかかる女だよな」

 ふっと恭司がやさしい顔をする。小鳥の足跡が目尻にできる。わたしのすきなやつ。ママと同じ。

「······助けてくれてありがとう」

「素直なのはよろしい。後で腫れてないか見てやろうな」

 うん、と頷いてそっと座布団に座らされる。お姫様みたいだ。ときめいてどうする?

 少し汗ばんだ額。仕事の後だから。

 男の人の匂いをすんと嗅ぐ。微かに、恭司の匂い。


 いただきます、と三人でお辞儀をしておいなりさんに手を付ける。⋯⋯なぜか全員正座だ。

 昨日は恭司は確か胡座だったのでは?

 それぞれが、銘々取り皿においなりさんを取って頬張る。なぜか緊張感が走る。

 緊張してばかりだな、今日は。バランスが悪い。

「うま。これすごく美味しいですよ。どこか特別なんですか?」

「特別なところはない。けど、うちの実家で母親が作ってくれたのを再現してる。昔ながらの人だからレシピとかはないんだよ。教えてもらった時も『お酢はこれくらい』とか『お塩はこれくらい』っていう感じで、覚えられるか不安だったんだよ」

 恭司はその時を思い出したのか、すごく大きな笑顔を見せた。これは意外とマザコン、ということもあるかもしれない。

 でも、お家は神社だし、お母さんも忙しくて恭司は寂しくなかったのかな、とちょっと不安になる。


 寂しいのは嫌だ。

 ひとりぼっちは寂しい。

 できるなら誰かの隣にいたい。

 すぐ手を繋げる人と。


「ハル?」

「ごめん、美味しくてぼーっとしちゃった。うちのママが作るのとはまた違って、お揚げが甘辛くてすごく美味しい」

 そうだろう、そうだろう、と恭司は自慢げだ。

 わたしは自分の隣に本当は誰もいないことに気付いてドキドキしていた。手の先が冷たくなる。手を繋いでいてほしい。

「ハル?」

 ハッとする。

 いけない、そんなことを考えてる時じゃなかった。なんでそんな子供のようなことを。

 体の調子が戻ってないからかもしれない。悲しくなってくる。······アキ、アキに逢いたい。

 これは余程、重症だ。

「千遥、寝てた方が良くない?」

「そうだな、これはお前の分、ちゃんと取っておくから横になって頭を冷やせよ。その前に水分摂って」

「わかった」

 今日のわたしはグズグズだ。なにもかもがダメになって、睡魔がわたしを襲った――。

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