第17話 喧嘩

 妲己からの用事って別れの言葉だったのか。

 レーヴは軽くショックを受けながら家に戻った。妲己のこと、本当は大好きだったのだと気づかされた。もう、遅いのだけれど。

 いつからだったのだろう。いつから。

 思い返すと、すぐに気づいた。そうだ、本当は気づいていたんだ。大好きだって気持ちを、無意識のうちに隠していたんだ。


 女官との約束がきっかけだった。

「いつぞやの貘殿ですね。まだこちらにおいでだったのですね。良かった。」

 肩で息をしながら、いつの日か悪夢を食べてやった女官が立っていた。何の用だ。

 助けてやった、食べてやった。当時の自分はそういう傲慢な考えを持った生き物だった。人助けだって、理由は分からないが放っておけないからしていただけだった。

 そんな態度でもお構い無しで女官は続ける。

「どうか、あの方を怖がらないで、避けないでほしいのです。」

 女官は貘に頼み込んだ。妲己の話を、嫌だと断りたいのに、断りづらいくらい、たくさん聞かせてくれた。一方的に。語れるほど会話をしているところなんて、一度も見たことがないのに。

「わかったよ、わかった。」

 最初は嫌だったし、気乗りしなかった。何より怖くてたまらないのだった。頼まれたからやろうと、そう思っただけだった。

 しかし、女官に頼まれて向かった方角の小屋で妲己を見たとき、考えがまるっきり変わっていた。

 人々の悪夢に出るような女はそこにはいなかった。そこにいたのは、自分の罪を受け止め、一人寂しく消えてなくなろうとしている娘だった。

 見捨てられなかった。見捨てたくないと思えた。あまりにも寂しそうで、儚くて、なにより綺麗だと思った。

 消えて欲しくない。

 なりふり構わず悪夢を食べた。美味しいけれど、それを認めたくない自分がいる。

 どうか、寂しさが和らぐように、どうか、怒りが治まるように、どうか、悲しみが流れていくように、どうか、呪う気持ちが晴れますように、どうか、強く生きられるように、どうか、愛を受け取れますように。

 必死だった。命を繋げたかった。一生懸命悪夢を食べた。

 胃が食い破られそうな激痛が走っても、せり上がってくる感覚に苦しんでも、食べるのをやめなかった。ただひたすら夢中になった。

 それはとてもとても綺麗な花畑が見えるようになり、ようやく、食べることをやめた。

 ああ、やはり、なんて綺麗なんだろう。

 疲れ果てた姿を見られるのは嫌だったが、しばらく傍で寄り添い、眠りにつくことにした。きっと、その方が寂しさも和らげられる。

 なんてあたたかい夢なんだろうか。こちらまで安らげる綺麗な夢。

 心地よい日差し、吹き抜けていく風の涼やかさ、舞い上がる花の香り…どれをとっても最高なのだった。寄り添っているだけなのに。


 目が覚めると、非常に気まずくなってしまい、急いでその場をあとにした。

 理由は自分でもわからなかったと言いたいが、思い当たる節しかない。

 今までこんなに誰かのために頑張ったことなんてなかったのだ。

 あまりに一生懸命になってしまっていたことを思い返すと、顔から火が出そうだった。

 誰かに見られていやしなかったか、妲己が気づいてしまっていなかったか、照れくさくて、恥ずかしくて、しばらく顔が熱いままだった。


 素直になれなかった自分が悪いのだと、レーヴは反省した。同時に、自分が夢を見られるようになることで、ソーンとリーヴルに同じ想いをさせようとしていたことに気づかされた。

 ああ、また損な役回りをさせてしまったんだ。ごめんなさい…。


 家に着くと、二人は目を輝かせながら待っていた。が、レーヴだけが戻ってきたのを見て頬を膨らませた。

「やっちゃったね。」

「レーヴったらー。」

 最初は言われていることの意味がわからなかったが、しばらくして納得した。

「ああ、ふられちゃって…。私が意気地無しで…。」

 二人に謝ろうと思った。まだなにもしてないが、やろうとしていたのはよくないことだった。

 しかし、口を開く前に、レーヴから見ればすんごくしょうもない争いが勃発した。

「妲己さんはお母さんというより、頼れるお姉さんだったけど、レーヴはお父さんな感じで良いなーって思ったのに。」

 リーヴルは口を尖らせている。ソーンはソーンで、リーヴルを驚いた目で見ている。

「妲己さんに関しては同意するけど、レーヴは良くて弟か、親戚のおじちゃんじゃないの?」

 ちょっと待て、どちらも聞き捨てならないぞ。お父さんって、弟って、おじちゃんって。

 おじちゃん特に論外だぞ。気前の良い、頼れる素敵なお兄さんの線はないのか!?

「おじちゃんはありだけど、レーヴはお父さんだもん!拾って育てて面倒見てくれたんだもん!」

 ありなのか。確かにお父さんとおじちゃん似てるけどありなのか!

「レーヴは頼りなくて抜けてて面倒を見ないといけないところがあるから弟なの!ぐうたらしてるとこはそのまんまおっさん!おっさん!」

 なんで二回も言うの?大事でもなんでもないでしょそれ!

 二人とも言ってることは事実で否定できないが、おじちゃん、おっさんキャラが不動の位置に収まってしまったことが非常にけしからん!けしからんぞ!悲しいことに、お兄さんにはなり得ないようだ。

 しかし、二人が喧嘩するところを初めて見た。

 嬉しいような、悲しいような…。きっかけが切なすぎるよ、トホホ。

 その後しばらく二人の喧嘩は続いた。そんなことで続くのかとレーヴは呆れるのを通り越して感心させられつつ…。

「お兄さんとは言ってくれないのかい?」

 ついうっかり口を出してしまった。

「ないないない。」

「お兄さんって呼ばれたかったら、それらしく振る舞って。」

「…はい。」

 見事返り討ちだ。

 うっかり口を出してしまったが最後、レーヴのおじさんっぽいところを挙げ連ねる流れになり、最終的には和解した。

「そう!食べたらすぐゴロンとして、だらしないところがまさにおっさんで!」

「うんうん!お菓子ちょうだい、紅茶ちょうだい。たまには自分でやればいいのに、最近人にお願いばっかりして…。」

 耳が痛いぞ、痛すぎるぞ。

 結局、仲直りさせるには共通の敵が一番だったわけか。


 レーヴに対する認識で喧嘩して以来、やっと打ち解けたのか、少しずつ本音で話すようになってきた。

 えっへん、僕のおかげだね。

 いつぞやの本で読んだキャラクターの決まり文句だったそれを、心の中だけで言ってみる。口に出せば非難轟々で、また二人の共通の敵として立ち回ることが目に見えていたからだ。

「最近レーヴさ、悪者買って出てない?」

 ソーンに言われて少しだけ動揺した。

「だって、その方が丸く収まっていいかなって。」

「全然良くないよ。なにそれ。」

 ソーンは少し怒った様子だった。

「あのね、私ら一緒に暮らしてる家族なんだから。友達でもだめだよ、そういうの。そりゃ、最初は上手くいくかもしれないし、そういうのがずっとうまく続く間柄なら問題ないかもしれないよ?でも、そういう間柄にはなりたくないなあ。大切にしたい人が毎回そうやって袋叩きになってるのを見るのは嫌だよ。」

 言われて、何も返せなくなった。

「レーヴは自分なりに収めようって頑張ってくれてるのはわかるけど、私も嫌だ。そういうの、他に方法がないようなとき、最後の手段でやるんだよ。」

 レーヴは深く反省した。

「どちらかというと、喧嘩中ってお互い言いたいこと言って、譲れないときに起こることが多いよね。だから、レーヴがとるべきだったのは、私たちの意見を聞いて、聞きながら落ち着かせて、落とし所をゆっくり決めていくことじゃないかな。時間もあったんだから、そうやって、ゆっくりじっくり、時間を掛けるべきだったと思うよ。」

 いつの間にか、追い越されていた。二人とも、育つのが本当に早い。これ以上置いていかれないようにすべきか、失敗して、二人のための土台になるべきか。

 悩んでいると、リーヴルが頭をなでた。

「失敗して、乗り越えて、ちょっとずつ一緒に良くなっていこうね。」

 いつしか掛けていたはずの言葉が返ってきた。

「そうだね。」

「お仕事しててもね、最初はすぐ覚えられるのに、忙しくしてると忘れちゃったり、合ってるか心配になっちゃったりするんだ。だから、忘れちゃってるなって気づけたら、教え合って支え合うんだよ。仲間で、友達で、家族なんだから。」

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