SIDE02 暖かな光(後編)

 その次の日からだ。いつもと代わらない笑顔を向けながら、その視線が全く交わらなくなったのは……。

 俺を見ているようで、実際には少し外された視線。

 後悔した。本当に本当に後悔したんだ。ほんの少しだけ……もしかしたらって思ってしまったのは嘘じゃない。でも身近で見ていたんだ。あの人達が本当の家族じゃないなんて本気で思えるはずが無い。

 それに何より……。

 だけど恐くて謝ることも話し掛けることも出来なかった。


 そんな事が何日か続いたある日、バイトを終えて帰宅しようとした俺を瑠美子さんが呼び止めた。

「絋夢君、今日時間ある? 良かったらちょっと付き合って欲しいんだけど……」

 あいつと同じくりくりと大きな瞳に見つめられて、視線を逸らした。

「忙しい?」

 首を傾げた瑠美子さんに「大丈夫です」と答えると、カウンター席に腰掛けるよう勧められた。

 そして座ると同時に、目の前にホットコーヒーが置かれた。

「どうぞ」

 優しく微笑まれて、カップに手を伸ばし口元に運ぶ。ちょうど良い苦みが口内に広がった。

「瑠惟と喧嘩した?」

 突然隣から声が聞こえて驚いた。横を見るといつ移動したのか瑠美子さんが腰掛けていた。

「喧嘩って……何で?」

 どうして分かったのかと瞳で問い掛けると、瑠美子さんが小さく笑う。

「目の事……言ったのね」

 確信のある言葉に何も言えなかった。それどころか瑠美子さんに話したあいつに憤りを感じた。それが理不尽な怒りだと知りながら。

「あの子は何も言わないわよ」

 しかし続けて発せられた……心を見透かされたのかの様な、そんな言葉に驚いた。

「瑠惟ね、普段は滅多に……というより全然怒らないの。小さい頃からお客様には何があっても怒ったり失礼な態度を取ってはいけないと教え込んだせいなんだろうね……良くも悪くも怒る事を知らないのかと思うほど怒らない子に育ってしまった」

 言いながら悲しそうに笑う。

「でもあの子……目の色の事を言われると、途端にその人を見なくなる。最近の貴方達を見ていてすぐに気付いた」

 瑠美子さんが俺を真っ直ぐに見つめる。

「ごめんなさいね、この前の貴方の声……大きかったから聞こえてしまったの」

 何の事だろう? と首を捻っていると、

「紘夢君は本当に瑠惟が私達と血が繋がって無いと思ってるの?」

 と尋ねられた。俺はすぐに首を左右に振る。

 瑠惟の笑った顔は、瑠美子さんにそっくりだ。優しく笑う顔が、背中が痒くなる様で嫌いだった。柔らかな雰囲気に吐き気がした。この家族は俺の欲しかったものを目の前で見せ付けて……悔しかった。でもちゃんと分かってたんだ。3人は同じ空気を纏ってる。家族以外のナニモノでもない。

 分かってるんだ……。

 目頭が熱くなって俯いた俺の背中を、瑠美子さんが撫でる。

「え?」

 見上げると優しく微笑んで、「瑠惟の目はね……」と話し始めた。

 気になっていた話題にいつの間にか真剣に聞き入っていた。



 瑠美子さんから理由を聞いて……より一層あいつと話がしたくなった。

 でもさすがにその日は時間が遅かったので明日にでも話をしよう……そう決意した。



「おかえり」

 声を掛けられた事に驚いたらしく、いつもは重ならない瞳が俺を見つめたまま、入り口で立ち尽くす。

「た、だいま」

 しばらくした後、ぎこちなく言葉を紡ぎながら視線を逸らす。その行動に胸が痛んだ。それでも答えてくれた事が嬉しかった。

「あのさ……あとで話がしたい」

 2階に上がろうとしていた背中に言葉を投げると、怯えたような……戸惑いを隠せないような、そんな顔をして振り返った。

「ごめん……勉強があるから」

 階段を駆け上って去っていこうとするあいつを引き止めたくて、無意識に口をついていた。

「瑠惟っごめん」

 謝ったことに驚いたのか、初めて名を呼ばれた事に驚いたのかは分からないが、元々大きな瞳をさらに大きく見開いて俺を見つめる。

 そのまま言葉を続けようとした俺の両肩に暖かなものが触れた。驚いて振り返ると瑠美子さんが立っていた。

「今日はもう上がって良いわ。瑠惟と……よく話しあって」

 瑠美子さんの心遣いが嬉しかった。

「ありがとうございます」

 お礼を言った後、今だに階段で立ち尽くしていた瑠惟の元に走り、手を引いて家の中に入った。

 自分の家でも無いのに、靴を脱いでずかずかと入りこむ俺に瑠惟は何も言わない。ただ引かれるままに俺の後ろを着いてくる。

 リビングまで歩くと、瑠惟と向き合った。真っ直ぐに瞳を見つめながら、再度「ごめん」と告げると俺が制服の上から身につけていたエプロンをぎゅっと掴み、それでも戸惑いの隠せない瞳を向ける。

「俺……あの時むしゃくしゃしてて、八つ当たりでヒドイ事言った。でも本当はあんな事思ってないから。ごめん。傷つけて……ごめん」

 俺を見つめる瞳が揺らぎ、次の瞬間伏せられる。

「気……遣わなくて良い。お前も本当は思ってるんだろ? おれが父さんと母さんの子供じゃないって思ってるんだろ!!?」

 瑠惟が大声を出したのを初めて聞いた。しかもその内容があまりにも悲しい。

「そんな事思ってない」

 目の前の細い体を力強く抱き締めると、驚いたように俺を見る。

「俺……お前達家族の柔らかい空気が苦手だった。ぬるま湯に浸かったみたいで嫌いだった。でも本当は欲しかったんだ。俺の家族には……もう望めないから」

「え?」

 瑠惟の優しい……深い緑色の瞳が俺を見つめる。

「マスターと瑠美子さんと瑠惟の纏ってる空気は同じだよ。とても暖かくて優しい。血が繋がってないなんて本当は思ってない。悔しかったんだ……俺が欲しいものを持ってる瑠惟が羨ましかった」

 一気に話した瞬間、情けなくも涙が出てきた。

 瑠惟の手が俺の背をあやすように撫でる。

「じゃあおれが宇佐美君の家族になる」

 告げられた言葉の意味が分からなかった。

「おれの事、兄貴だと思って良いよ」

 見つめる瞳が優しくて心に灯りが灯ったみたいだった。

「瑠惟はどっちかと言うと弟だよな」

 そう笑った俺に口を尖らせる。

「俺……お前の暖かい瞳の色好きだよ」

「暖かい?」

 反復した言葉に頷いた。

「深い……緑色。優しくて大好き」

 俺が笑うと今度は瑠惟の瞳に涙が溜まる。

「そんな風に言ってくれたの宇佐美君が初めて」

「絋夢」

「え?」

「絋夢で良いよ。兄貴なんだろ?」

 そう言って笑った俺に今まで以上に優しく微笑んで「絋夢」と呼んでくれた。


 俺が初めて瑠惟の名を呼んだ日……瑠惟も初めて俺の名を呼んだ。

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