第6話 風船の人

今日も今日とてもリオンが自宅を抜け出してローシャの家へ来ていた時のことだった。

「あーあ、自由な時間が欲しいぜ」

ぼやくリオンにローシャは呆れた。

「君は充分過ぎるくらい自由だと思うけれどね。欲しいものというなら僕は望遠鏡が欲しいよ」

ローシャの言葉にリオンが目を瞬かせた。

「それなら俺の家にあるから今度泊まりに来いよ!」

気安く言うリオンの言葉に甘えて望遠鏡に興味が深かったローシャは久々にリオンの屋敷へ泊まることになった。

日中はリオンの家族への挨拶をし、そのまま乗馬で時間を過ごしてお茶の時間には邸宅へ戻りティータイムで話が弾んだ。

しかし、玄関や来客用の応接間の備品にやはり一般的な伯爵家である自分の家と調度品の格も違い、ローシャはこういうところで身分差を実感してしまう。

ローシャが嘆息するのをリオンはついぞ気付かなかった。

夜になり夕食を食べ終えるとようやくリオンの室内に向かい、何度も訪れたことのあるリオンの自室に久々に足を踏み込むと確かに望遠鏡が窓の外に向かって鎮座していた。

「君がこういったものを求めるなんて意外だ」

「父様からの誕生日プレゼントさ。俺が興味もないの分かっている癖にこれで感性を磨けとさ」

その言葉にローシャは苦笑した。

ローシャの家ならば兄達が優先されてこんなものは自分にも買ってもらえるかどうかだ。

兄達と差別はされてはいない。

だが、跡取りとそのスペアと三男とで区別はされている。

ローシャが賢く両親から見ても手が掛からないことからもどうしても後回しになってしまっていた。

それに不満はないが寂しい時も確かにローシャにはあった。

だからこそ両親に構われ思いやられているリオンに憧れと嫉妬とでないまぜになってしまう。

「君はいいな」

「そうか?ローシャの方が自由で俺は羨ましいぜ。見ろよ、この家庭教師から出された宿題の量を」

お互い無い物ねだりなのだとローシャは理解していた。

だからリオンのその言葉には触れずに望遠鏡から夜空を眺めてみた。

「本当に星が見えるんだな」

「そんなもんを見て何が面白いんだ?」

「これだから情緒のないリオンは困る」

やれやれ、とローシャが呆れながらもあちらこちら望遠鏡を動かしながら目を離さずにいると、リオンの邸宅からそう遠くない公園の薄暗い街灯の下で二人の人物が取っ組み合いをしているのを目にした。

「おや?喧嘩かな?物騒だな…」

そのまま目を離さずに二人の様子を伺っていると、片方が突き飛ばし片方がそのまま地面に倒れて動かなくなった。

片方の人物が生死の確認に揺すってみているのか近付いて何事かをしパァン、パァンと数度音がしてから倒れた人物が動かないと分かると少ししてからその場から離れていった。

「大変だ、リオン。僕は今、殺人事件を目撃したらしい」

「なんだって!?」

慌ててリオンがローシャに場所を変わってもらうとそこにはすでに犯人の姿はなく、倒れている人影らしきものもなかった。

「とりあえず警察に連絡を。使用人にそう伝えてくれ」

「分かった!」

こうして使用人から警察に通報がいき、警察官が駆け付けると確かに遺体が横たわっていた。

ローシャとリオンがその報告を聞いたのは事件を目撃してから一時間後のことだった。


「悔しいなぁ。俺達も捜査したいよな」

貴族子息が事件の第一発見者とあって慎重に事情聴取をとの配慮もあり、またローシャとリオンが親の庇護下にある子供のため翌日に警察から話を聞かれることとなった。

リオンは今頃捜査しているだろう公園を望遠鏡で覗きながら愚痴を溢した。

「仕方がないさ、リオン。何度も言うようだけどそれが彼等の仕事だよ」

「そうは言ってもローシャが第一発見者なのに…なにをやっているんだ?」

「寝て忘れないように見たこと、感じたこと、違和感などを書き留めているんだよ。明日の証言で必要になるだろう?」

ローシャは鞄から愛用のノートとペンで自分の要点を書き記した。

「そういうところが探偵っぽいのになぁ」

リオンがぼやくがローシャは肩を竦めてノートにペンを進めた。


そして翌日にローシャとリオンは事情聴取のために現場に訪れた。

本来ならリオンの邸宅で行われても良かったが、より正確さを伝えるためとリオンが押し通して現場まで入り込んだのだ。

「お越しくださりありがとうございます。事情聴取にあたらせていただきます。本捜査の指揮を取るアーサー警部であります」

これにはローシャも驚いた。

目撃証言なんて下っ端の警察官が聞きに来るかと思っていたからだ。

「初めまして、アーサー警部。お会い出来て光栄です。新聞で数々のご活躍を聞き及んでおります」

事実、アーサー警部は優秀な捜査官として数々の難事件を解決し新聞を賑わせていた。

お互いに握手をし挨拶を交わすとローシャはノートを取り出しアーサー警部に書き記した要点を告げた。

「まず、僕が見た殺害現場の位置が違います。僕は街灯の下で二人の人物が取っ組み合いをしているのを見たのですが、ここには街灯がありません。警官が現場に訪れるまで、リオンと二人で見張っていましたが、遺体のあった筈の場所に近付く人物はいませんでした。」

「なるほど。街灯の下ですか。昨夜も聞いたのですが、夜だったので細かい遺留品はよく見えなかったのですよ。早速近辺の街灯付近を調査に行かせます。しかし、被害者は街灯の元ではなく茂みの中に隠されるように置かれていました。矛盾点が一つ出来ましたな」

そう言うとアーサー警部は警官に指示をして街灯付近を調査に行かせた。

ローシャはアーサー警部の証言をノートに記した。

遺体の置き場所が違う。これは重要なことだ。

「それから、殺害された方が先に手を出したのかは薄暗い街灯の元だったので分かりません。ただ、殺害した方の男性は倒れた男性に息があるのかを確かめたのか、なにかを盗んだのか殺害された男性に近寄りしばらくなにかをしていました。また、その際にパァンという音が何回かしていました。銃声ではないと思うのですが」

「被害者からは財布も鍵も盗られてはいないのでこちらとしては怨恨として見ているのですが…そちらも遺留しておきましょう」

そしてアーサー警部は顎に手を当てて考え込んだ。

「その音のことも気になりますね」

「ええ。何故倒れた後に何回もしたのか僕も気になっています」

「倒れて動かなくなった後にした音…これが事件の鍵になりそうですね」

「ええ、僕もそう思います」

ここまで喋ってローシャは疑問に思った。

まるでローシャを同等に扱うかのような警部の言動に違和感を覚えたからだ。

だが、それが何故かは分からなかった。

「俺達の他に目撃者は居なかったのか?」

リオンは黙っていることに我慢が出来なくなり警部に訊ねると、警部は残念そうに首を横に振った。

「いつもはあちらで調書を受けているご老人が朝晩の散歩で事件発生時にこの公園を歩いていたらしいのですが、昨夜は体の調子が良くなく偶然一日だけ夜の散歩をやめていたのです。つまり、目撃者はあなた方しかいないのですよ」

「それじゃあ、俺達の目撃証言はとても重要ってことだな!」

リオンが得意気に言うのをローシャは諌めた。

「それよりも、あのご老人もしかして目がお悪いのでは?連れているのは盲導犬でしょうか?」

「その通りですよ。完全に見えないわけではないのですが、些細なことが見えないためああして盲導犬と過ごしているらしいのです」

「なるほど…」

ローシャのノートが埋まっていく。

「容疑者は?」

リオンが無遠慮に尋ねるとアーサー警部は少し困った顔をして頬をかいた。

「容疑者候補はいるのですが、あなた方が見たと言う殺害時間にはアリバイがあるのですよ」

「では、そのアリバイが崩せればその容疑者が犯人である可能性が高いと?」

「まあ、現時点ではそうですな」

「ふぅん……」

一面に事件の事が書き記されたノートを見遣りローシャは考え込む。

すると一人の警官が指示を仰ぎにアーサー警部の元へやってきた。

「長々とお引き止めしてしまい、申し訳ありませんでした。もうお帰りになってくださって結構です。何か伺いたい時はまたお尋ねさせていただきます」

「はい。分かりました。事件が早く解決し被害者の魂が安らかに眠るよう僕らも祈っております」

外面の笑みでローシャは再びアーサー警部と握手をして別れた。

それにしても意外だな、とローシャは思った。

事件の唯一の目撃者とはいえ事件の仔細をこんな子供に話していいものか。

アーサー警部の考えが分からないな、と思いつつ事件現場をまだ彷徨いていると、頭上にあるものを発見した。

「これは……」

「なにか見付けたのか?」

突然上を向き目を瞬かせたローシャに合わせて隣にいたリオンも上を向きローシャの目線を追う。

「風船だ」

「なんだよ、風船くらい。その辺の子供が手放してしまったんじゃないのか?」

ローシャは首を傾げる。

「しかし、街灯の近くの木に引っ掛かっているのは気になるな」

「そうか?」

ローシャは木に引っかかった風船を見て何事かを考えるとリオンに言って木に登り風船を取ってくるように頼んだ。

「ローシャは木登り出来ないもんな」

そう言いながらするすると木に上り風船の紐を掴むとひょいっと飛び降りた。

「リオン、礼は言うけれど一言余計だよ」

「事実だろ?それより、この風船が事件に関係あるのか?」

悪びれなく肩を竦めて風船を揺さぶるとローシャはニヤリと笑った。

「ああ。こいつのおかげで大体のことは分かったよ」


リオンに説明するために二人は風船を持ってリオンの部屋へと戻り、ローシャは自分が推理した事のあらましを話して聞かせた。

「遺体は二つあったのさ」

「遺体が二つ?死んだのは一人だろ?」

「遺体のひとつは君が手にしているよ」

リオンが風船とローシャを見比べる。

「僕達が望遠鏡で遺体だと思ったのは風船だったのさ」

リオンが飛ばないよう紐を掴んで保護している風船を撫でてローシャが告げるとリオンは驚いた。

「遺体が風船だって?風船は死なないぞ?」

その言葉にローシャは呆れつつ説明した。

「あらかじめ殺しておいた被害者を別の場所に隠しておけば、犯行時間が違いアリバイが成立する。本来なら、目の悪いお爺さんが毎晩散歩に来るらしいじゃないか。その人を目撃者に仕立てる気だったんだよ。僕達が遠くから望遠鏡で見て風船と人間を見間違えるようにね」

「なるほど。風船を人に見立てて殺して倒したように見せ掛けたんだな。その際に風船を割って萎ませれば荷物にならず鞄にでも仕舞って悠々と逃げればいい」

「リオンのわりには察しがいいじゃないか。多分、その通りだよ」

そしてまたリオンが手にする風船をひと撫ですると呟いた。

「これが唯一の物証だろうね」


ローシャはまた警察署に向けて事件のあらましを書き記し、流石に風船は空気を抜いてから同封してポストへと投函した。


それから数日後、アーサー警部がローシャとリオンの元へやってきた。

どうやら犯行の手口はローシャの推理通りでアリバイを確保したらしい。

犯人は警察が予測を付けていた男だった。

金銭の貸し借りから大金を借りていた加害者が返しきれなくなり犯行に及んだそうだ。

「事件が解決したようでなによりです」

「いや、我々だけの手柄ではないんですがね」

「と、言いますと?」

ローシャが尋ねるとアーサー警部は少し楽し気に言った。

「我が警察署に時折事件が起きた際に事のあらましを書き記した手紙が届くのですが、あなたは何か知りませんか?」

これでローシャはアーサー警部がローシャが今まで警察署に事件の推理を手紙に認めて送っていたことを察していたことに気付いてしまった。

「さあ?僕達は単なる子供ですから。推理や捜査はあなた方警察官のお仕事でしょう。僕達は何も知りません」

「そうですか。またお会いする事もあるかと思いますが、その際にはよろしくお願い致します。ただし、今回のように偶然居合わせた場合のみでお願い致します。あなた方はまだ子供。大人の庇護下に置かれる、守られる存在なのですから」

ローシャが知らぬ存ぜぬを貫こうとしたがアーサー警部はローシャ達の推理を認めていたのだと、今までの違和感がようやく分かった。

そして、自分達が子供だから血生臭い事件に関わらぬよう忠告してきたのだ。

線引きはお互いにしているものの、良き協力者が出来たのかもしれないなとローシャは思った。


「いや、そもそも事件に遭わないのが最適解なんだけれどね」

「何か言ったか?ローシャ」

「なんでもないよ。さ、また望遠鏡を見せておくれよ。今度は事件なんて起きない事を願うね」

そして二人はリオンの自室へ戻って行った。

その日の夜空はとても美しく、リオンの部屋へ来ないと見れないのが惜しくて翌日帰宅するとローシャは数年振りに両親に頼み込んで望遠鏡を買って貰った。

ローシャの久々の我儘に両親は微笑んだ。

望遠鏡に夢中だったローシャはその笑みに気付かなかったが、いつものようにひょっこり遊びに来ていて贈られる瞬間を見ていたリオンはローシャの頼みに嬉しくするローシャの両親を見て、いい家族だなと改めて思った。

ローシャは愛されている。本人は謙遜して気付かないようだけれど。リオンは、リオンとローシャの家族だけでもその事実を知っていればいいと思った。

出来ればローシャも自身が愛されているともっと実感して欲しいけれど、自己肯定感が低いローシャに言っても伝わらない事は分かっていた。

だからリオンはローシャをいつだって褒めていた。

ローシャにローシャを愛してほしいから。

親友とはそういうものだと思っていた。

「良かったな、ローシャ!」

「ああ、ありがとう。リオン」

無邪気に笑うローシャは久々だ。

そんなローシャを見て自分も望遠鏡を活用してみるかと、リオンは自室の物置になっている望遠鏡を思い描いた。

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