第61話 フランは居場所を見つける

 患者服を着たフランがたどり着いたのはオルビス研修所の校舎裏だった。


「……」


 ここはいつかの夜、カール先輩と出会った場所でもある。


「ここで、僕が泣いていて、カール先輩が慰めてくれてたな……」


 走ってきたため、胸が高鳴るが、カール先輩との会話を思い出す度に、なぜか心が落ち着く。


 こんな自分に優しく接してくれたのはあの方が初めてだ。


 だから、自分は本音をぶつけることができた。


「本当に……僕はとんでもないことをしてしまった……うう……」


 あの時は興奮状態だったから、前後の事情なんぞ考える余裕もなかったが、冷静になった今は、自分がどれだけ愚かなことをしたか、よくわかる。


「あの大商会の偉い人に……マッキナ帝国の公爵家の長男に……僕は本当に狂っている」


 フランは頭を抱えてブルブルと震えていた。


 だが、あの岩山での出来事を思い出すと震えが止まった。


 一回死にかけた経験をしたせいだろうか。


 フランはフッと笑って独り言を言う。


「カール先輩とエリカ先輩はああおっしゃってるけど、流石に迷惑かけるわけにもいかないし、退学届を出そうか……」


 ため息混じりに言って重い足を動かしていると、後ろから声がした。


「フランさん……」

「ん?」


 おなじみの金ドリルごと、カサンドラが息を弾ませて彼の名前を呼んだ。


「カサンドラ様……」


 フランはカサンドラを見て目を逸らした。


 そんな彼女はフランに近づいて、丁寧に頭を下げた。


「本当に……本当に申し訳ございませんでした。私の無礼をどうか許してくださいまし」

「いい、いや!カサンドラ様!頭を上げてください!」

「いいえ。こんな程度じゃ全然謝罪にならないことは存じておりますわ……」


 慌てふためくフランは、カサンドラに顔を上げるように催促する。


 カサンドラは顔を上げて、フランを切なく見つめる。


「お兄様もです。流石にあんなことを言われたら、フランさんがキレて当たり前ですの」

「え?もしかして、聞いていたんですか?」

「はい。いなくたったフランさんを探したら……」

「醜い姿をお見せてこっちこそ申し訳ございませんでした……」

「フランさんが謝る必要はありませんの!」

「いいえ。僕がここに入所したのがそもそもの間違いです。なので、僕、ここを辞めますので!」

「え??」


 慌ただしく言うフランの衝撃発言にカサンドラは深刻そうに返した。


「はい。今から退学届を出しに行っ!」


 フランの言葉を遮ったのは他ならぬカサンドラの胸だった。


 彼女はフランをとても、とても強く抱きしめた。


「ん……ん……ん!!」

「何で……何であなたはすぐいなくなるんですの?」


 最初こそフランは公爵家の次女が自分を抱きしめたことに驚きを感じたが、『いなくなる』という言葉を聞いて我に返った。


 フランはカサンドラの腰を両手で抑えて優しく押した。


「っ」


 家族以外の男に体を優しく触られたことがないからカサンドラはビクッと体をひくつかせた。


 クザンおじさんとは大違い。


 こんなに気持ちがいいなんて。


「僕は……元々こういう人間です。すぐいなくなるような……」

「……何でそう思いますの?教えてください。あなたのこと……いっぱい」


 フランは不安そうにしているがカサンドラ彼をずっと待ってくれた。


「貴族でもないのに属性を持って、農家の子なのに体は小さくて、ずっと同じ村で生活していたのに馴染めなくて、一介の平民に過ぎないのにこんなところに入所して……僕は、矛盾だらけです。僕は……僕は……」


 急に感情が込み上げて目を潤ませるフランは、絞り出すように言葉を吐く。


「居場所がない……」


 唇を噛み締めて必死に涙を堪えようとするフラン。


 そんな彼を、今度は優しく抱きしめるカサンドラ。


「私のそばにいるのは嫌ですの?」

「え?」

「私のそばにいるのは……嫌?」

「ど、どういう意味なのか……それより離して頂かないと……」

「あなたが離れないように、私がちゃんと捕まえますから。貴族とか平民とか関係ありません」

「……」

「辛かったでしょ……ずっと旅人のような人生を過ごして、私にひどいことを言われて、私のためにクザンおじさんを倒して……お兄様にまたひどいことを言われて……」

「……」

「マッキナ金貨5000枚なんかじゃ、慰めにもなりませんわ……それほど、あなたはとても辛い気持ちを味わってきましたから。ずっと自分の感情を隠しながら」

「……」

「私が全部受け止めますわ。だからどこにも逃げないで」

「カサンドラ様……」


 カサンドラは潤った目でフランを見つめる。


「あなたのおかげで、私は成長することができましたの。お兄様となら絶対できない成長をあなたと関わる度にしましたわ」

「……」

「だ、だから!結婚を前提に私と付き合ってください!!」


 カサンドラははにかんで頬をピンク色に染める。


「そ、そんな……僕なんかが」

「なんかじゃありませんわ。私は、フランさんよりいい男性を見たことがありませんの……だから……」

「ちょ、ちょっと!!カサンドラ様!?っ!」


 カサンドラは、フランの口に自分の唇を当てた。


 フランは最初こそ、当惑していたが、キスした瞬間、ある場面が脳裏をよぎる。


 クザンに自分のお兄さんの醜悪なところを聞いて衝撃を受けたあの表情。


 しかし、今


 目の前には凛々しくて乙女っぽくて若干プライドが高い彼女と自分は繋がっている。


 きっとこの顔の奥には不安があるのではないだろうか。


 ふとそんなことを思っていると、キスは終わり、カサンドラは頬を真っ赤にして震える声で言う。


「フフフ……ファーストキスなので、その……うう……」


 恥じらうカサンドラを見るフランは心の中で叫ぶ。


 かわいいいいいい……


 だけど、


 どこか欠けている印象だ。


 儚い。


 それを補うべくフランは口を開く。


「僕が……カサンドラ様をお守りします」

「っ!!!」

 

 フランの言葉に、カサンドラは腰が抜けて倒れてしまった。


「カサンドラ様!大丈夫ですか!?」


 フランが倒れたカサンドラを心配そうに見つめると、


「ううう……嬉ししゅぎる……」


 カサンドラが照れ始めた。


 そんな彼女の姿を見て、フランが惚れていると、二人のところに二つの影が差した。


「ブウウウ……」

「ギュウウ……」


 二匹の巨大虫。


「ブーちゃん!ヘラクレスくん!何で……もう自由の身になったはずなのに……」


 フランが問うと、ブーちゃんとヘラクレスくんは翼を広げて『フランはずっと友達、フランは我々の王』という意志を伝えた。


「王?」


 と、小首を傾げていると、ブーちゃんとヘラクレスくんはカサンドラをきつく睨んできた。


「っ!」


 睨まれたカサンドラは倒れたまま、体をブルブル震わせる。


 そんなカサンドラを見たブーちゃんとヘラクレスくんは、自分達の意志をフランに伝える。

 

 すると、フランは困ったように呟く。


「いや、そんなこと……まだカサンドラ様には早いというか……」

「フランさん?ななな何を言われたんですか?」


 震えながら訊ねるカサンドラにフランはやるせない表情で言う。


「自分の気持ちを行動で示せって……」

「行動……」


 行動という言葉を聞いたブーちゃんは、カサンドラへ自分の毛だらけのお尻を突き出し、ヘラクレスくんはツノを突き出してきた。


 触れという意味であることを察したカサンドラは震える。


 しかし、


 フランの顔を見ると、心が熱くなる。


 こんな気持ちは初めてだ。


 この熱い気持ちは、自分の体を動かせて、気がついたら


「おお……カサンドラ様が、ブーちゃんのお尻とヘラクレスくんのツノを触っている……」


 感動したように口を半開きにして驚くフラン。


 二匹の巨大虫は満足したようにふむと頷いた。


 公認を受けたカサンドラは嬉しくなり、そのままフランに飛びついた。


 フランは、そんな彼女の背中に腕を回して受け止めてあげた。


「フランさん!私、触れましたの!」

「素晴らしいです!」

「フランさん」

「は、はい……」

「まだ返事をもらっておりませんの」

「……」


 フランは怖くなった。


 ずっと旅人のような寂しい人生を歩んできたが、この綺麗な女性と一緒にいてもいいのか。


 彼女のそばにいれば、自分が自分じゃなくなる気がしてきた。


 でも、


 彼女の瞳は実に強烈だ。


 彼は密かに呟く。


「カール先輩……」

「フランさん?」


 カサンドラがかわいくキョトンとしていると、フランは意を結したように言う。


「付き合いましょう」


 フランはいつかの日の会話を思い出す。


『差別を受けたなら、お前がそれいつらを差別しろ。いじめられたら、逆にお前がいじめればいい。無視されたら、お前も無視しろ。軽蔑されたらお前がそいつらを軽蔑すればいいだけの話だろ?』


 自分は消極的で引っ込み思案で怖がりやで色々ダメ人間だ。


 時間が経っても変わらないだろう。


 だから、そんな自分を強めてくれる良き方々を大切にしよう。


 迷惑をかけることもあるだろう。それを心配しちゃダメだ。迷惑をかけたら、後で倍返しすればいいだけの話だ。


 カール先輩のように強くなりたい。

 

 そして、目の前で涙を流して喜んでいる彼女を守りたい。


 ガラスのように少し触るだけで割れそうな存在である自分が柄にもなくそんなことを思ってしまった。


 もう我慢しない。


 やられたら、


(カールとエリカが嬉しそうに覗き見する)




追記



アーロンパパとエイラママ、カリンとヨハネの話もしますぞ



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